第3話 世界を組み替える【雑用係】
テラスの街を出てから、丸一日。
俺――クロノ・ルミナスは、誰にも邪魔されない東の街道をのんびり歩いていた。
「はぁ、気持ちいいな。あの騒がしいパーティから離れてから、本当に世界が輝いて見える」
思わず伸びをしながら、青い空を見上げる。雲ひとつない快晴。
背中のリュックは少し重いが、心は軽い。
あの騒がしい連中――元パーティのやつらと別れてから、もう何時間経っただろう。
ヴェノムの小言も、ガレオンの無茶ぶりも、ルナの冷たい視線もない。
ただ風の音と、俺の足音だけ。
「いやぁ、世界ってこんなに穏やかだったんだな……」
自然と笑みがこぼれる。
誰も俺に命令しない。誰も俺の“雑用係”としての能力を当たり前みたいに使わない。
まるで世界が俺に「お疲れ様」って言ってくれてるみたいだ。
地図を取り出すと、目的地の赤い印が目に入った。
『エメラルド・レイク』――透明度が高く、湖面が緑の宝石のように輝くといわれる場所だ。
「観光ってわけじゃないけどさ、いい加減“労働”以外の目的で旅してもバチは当たらんだろ」
今日の目標はただ一つ。
『旅先で使える薬草を採取すること』
……地味だ?
うん、知ってる。でも俺にはこれが性に合ってる。
薬草の採取なんて、かつての仲間たちは見向きもしなかったけど、
俺はずっと裏方で、誰よりも素材の扱いを覚えてきた。
雑用は、俺の生き方そのものだ。
森に入ると、湿った土の匂いが鼻をくすぐった。
ここは魔物の気配も薄い。どうやら昨日、防壁強化のスキルを使った影響が出ているらしい。
「……まさか“防壁”が森ごと範囲内になってたなんてな。そりゃ魔物も寄りつかねぇ」
苦笑いしながら、俺はリュックから『薬草図鑑』を取り出した。
テラスの商店で、店主のばあさんが「これは良い買い物だよ」ってニヤニヤしながら売ってくれたやつだ。
ページをめくると、そこには“湿地帯に生える薬草”の項があった。
「『ミスト・リーフ』……湿気の多い場所に群生する。へぇ、成長が早く、魔力を蓄える特性あり、っと」
視線を上げると――あった。
淡い緑の葉をつけた薬草が、木漏れ日の中に揺れている。
「おお、あったあった!さっそく採取っと……」
しゃがみ込んで、そっと指先で葉を触れる。
しっとりした質感、魔力の流れ、悪くない。
「これをポーションの材料にすると、効果が倍になるんだよな。たしか――新鮮なうちに魔力でコーティングして……」
そこまで言って、俺は気づいた。
手のひらに、うっすらと影の魔力が走っている。
あれ?
まさか、また【影の統率者】が自動で発動してる?
「……まぁいっか。少しだけ、成長環境を最適化してやれば、薬草の質も上がるし」
指先から微細な魔力を流し込む。
【環境最適化】――対象:ミスト・リーフ群生地。
『――最適化(イノベーション)実行』
聞こえた気がした。
いや、たぶん俺の幻聴だ。……たぶん。
次の瞬間、地面がかすかに震えた。
「うおっ!?地震か!?」
思わず後ずさる。
けれど、それは数秒で止まった。
代わりに――俺の目の前の景色が、一変していた。
「……え?」
ミスト・リーフの群生地が、まるで時間を早送りしたみたいに輝いている。
葉は深いエメラルド色。茎は光を放ち、空気に魔力の香りが漂っていた。
「おいおい……嘘だろ。これ、もう薬草じゃねぇ……霊薬だ」
目の前の“薬草畑”は、完全に別物になっていた。
俺が少し魔力を流しただけなのに、世界が勝手に“最適化”されてやがる。
「……またやっちまったな」
思わず頭をかく。
俺のスキル【影の統率者】は、対象を“理想の形”に導く能力。
つまり、ちょっとでも干渉すると、全部が勝手に最上位ランクに組み替わる。
「レベルMAXとか、ほんと勘弁してくれよ……!」
地面を見ると、邪魔だった毒草や岩が煙のように消えていた。
たぶん、“最適な環境”には不要と判断されたんだろう。
……こえぇ。
「まぁいい。森の環境を整えたってことで、平和維持活動だ。うん、そういうことにしとこう」
霊薬を丁寧に採取しながら、俺はつぶやいた。
「俺って本当に、“雑用”しかしてないのになぁ」
誰も気づいてなかったが、俺がいたパーティでは、武器の耐久、魔道具の魔力循環、結界の安定化……全部、裏で俺がやってた。
その“地味な補助”が、パーティを最強にしていたのだ。
「でも、あいつら、そんなこと一度も気にしなかったよな」
寂しいような、呆れるような気持ちで笑う。
森を抜け、街道に戻ると、草むらにキラリと光るものが見えた。
「おや?」
拾い上げると、それは銀の装飾が施されたイヤリングだった。
俺はすぐに見覚えがある形だと気づいた。
「……ヴェノムの魔力増幅器?」
魔法使いのヴェノムが愛用していた、彼女専用の魔導具。
魔法の威力を安定させるため、常につけていたものだ。
俺が毎晩、魔力を補充し、細かい亀裂を修復していた。
“雑用係”として。
「なんでこんなところに……」
手に取った瞬間、イヤリングの銀細工がピキッと音を立てた。
亀裂が走り、中心の魔石が濁っていく。
「うわっ!?ちょっ、待て待て!」
慌てて手を離した。
だが遅かった。
魔石は黒く煤け、銀の装飾は粉々に砕けていった。
地面に落ちたイヤリングは、もはやただのガラクタだった。
「……なるほどな」
俺は呆れ笑いを浮かべた。
「あの時、ヴェノムが“魔力が安定しない”って愚痴ってた理由、これだ」
思い出す。
パーティ時代のやり取りを。
――『クロノ!このイヤリングに魔力を!早く!私の魔力じゃ持たない!』
――『はいはい、今やってますって』
……そう。
あのイヤリング、魔力維持も耐久強化も、全部俺のスキルでカバーしてたんだ。
俺の【影の統率者】は、装備品にも常時“最適化”をかけていた。
つまり、俺が離れた瞬間、バフが切れた。
結果――本来の寿命を迎えて、一瞬で崩壊したってわけだ。
「お前の“才能”は、俺のサポートの上で成り立ってたんだよ、ヴェノム」
皮肉っぽく呟くが、どこか温かい気持ちもあった。
嫌いじゃなかったんだ、あの口うるさい魔導師。
「ま、今ごろ頭抱えてるだろうな。“雑用係のくせに役立たず”とか言ってたツケだ」
しばらく歩くと、遠くに湖面が見えた。
光を受けてきらきらと輝く緑の湖。
まさしく“エメラルド・レイク”だ。
「おお……これは、すげぇ……」
言葉を失うほどの美しさだった。
波一つない水面に、青空と雲が映り込み、風がさざめくだけで光が万華鏡のように乱反射する。
しばらく見惚れて、俺は腰を下ろした。
「はぁ、やっと“冒険”じゃなくて“旅”をしてる気分だ」
リュックを枕にして寝転がる。
空が広い。
世界は静かだ。
俺の中にあった“雑用係としての劣等感”も、少しずつ薄れていく。
「なぁ……俺って、別に“誰かのため”じゃなくても、こうして生きてていいよな」
小さく笑って、目を閉じた。
風が頬を撫で、湖面がきらめく音が遠くで響く。
――そして、足元の地面が、またわずかに震えた。
俺は薄目を開けて、空を見上げながら苦笑した。
「……おいおい、今度は何を最適化したんだ、俺」
返事をする者はいない。
けれど、風の音だけは、まるで楽しそうに笑っていた。
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