左遷閑話

 千草先輩と居酒屋に。会社の先輩と飲みに行くなんて当たり前そうだけど、千草先輩にしたら珍しいことなんだって。千草先輩はオフでの付き合い、とくに夜のプライベートの付き合いは滅多にしないって人だそうなの。既婚者だから、旦那さんがそういう付き合いにウルサイ人かと思ってたのだけど、


「そんな野郎だったら離婚よ」


 千草先輩に言わせると、たとえ男と二人で飲みに行くのだって喜んで送りだしてくれるとか。もちろんそんな事を千草先輩やらないだろうけど、悪い意味での束縛とは縁が遠い旦那さんみたいだ。それなのに飲みに滅多に行かないのは、もう結婚して四年目だと言うのに極度のラブラブ夫婦みたいだからなんだ。


「結婚して夫婦になるほど愛し合ってるのだから、普通でしょ」


 そうだと言いたいところだけど、普通じゃないよ。独身だからエラそうな事は言えないけど、恋人関係と夫婦関係は違うはず。


「どこが?」


 真顔で聞くな。どこがって言われても困るけど、そこまで夫婦になって相手に熱中出来るものじゃないはず。


「そういう夫婦は多いぐらいは知ってるよ。でも、すべてがそうじゃない」


 そんな千草先輩が鈴音を誘ってくれたのは旦那さんが用事で留守だからだってさ。その夜の話はなぜか左遷人事の話に。左遷って言えば地方支社への転勤とか、窓際部署への異動が定番だけど、どっちが酷いのかな。


「どっちもどっちだけど、地方支社への転勤の方がだいぶマシかな」


 左遷人事にも程度があるんだって。地方支社への転勤だって左遷の時だけじゃないのよね。地方支社で勉強とか、経験を積むとか、ケースによっては地方支社のテコ入れとか、再建を託されてのものだってあるらしいのよ。


 もちろん左遷での地方支社への転勤だから、そういう前向きのものじゃないのは間違いないけど、


「そこでの頑張りによっては失地回復の余地が残るぐらいかな」


 少ないけど地方支社で頑張って返り咲きした人がうちの会社でもいたそう。


「もっともあれは伝説級の話で、失意でそのうち自主退職する方が多いよ」


 そのまま燻ってるのいるらしいけどね。なら窓際部署の方がより厳しいのか。


「そうなるよ。だってさ、失地回復したくたって、何にも実績が上げられないじゃない」


 そ、そうなるよね。でも思うんだけど、そんな回りくどい事をしなくてもクビにすれば良いと思うのだけど、


「そう出来そうなイメージはあるけど、労働者って一度雇えば簡単にはクビに出来ない仕組みになってるの」


 犯罪級の不祥事でも起こせば別だそうだけど、無能とか、お荷物とか、問題児程度ではクビに出来なくて、しようとして労基署でも駆け込まれて徹底抗戦されたら会社が負けるとか、なんとか。そっかそっか、だからセコケチ女程度ではクビに出来なかったのか。


「だからだと思ってるけど、あんな役にも立たない窓際部署が存在するのじゃないかって」


 クビには出来ないけど人事権はあるから、降格とか、それに伴う減給、さらには配置転換を出来るってことか。その部署が窓際だって社内に認知させてるのも、


「ココロはお前なんて不要だから、トットと自主退職してくれぐらい」


 これだってあからさまにやり過ぎるとパワハラだとか、なんとかで訴えるのも出て来るらしいから、真綿で首を絞めつけるようにやるとか、なんとか。会社も大変なんだな。ちなみにうちの最悪の窓際部署は?


「営業だったら研究所勤務かな」


 えっ、あそこって花形部署のはず。


「研究開発の技術者にとってはね。だけど営業なら二度と戻れない墓場みたいなところとされてる」


 そっか、そっか。研究所って新商品の開発とか、改良をするところで、あそこの評価って売り出された商品がどれだけ売れるかが評価になる。そんな事が営業職に出来るはずがなく、


「営業って商品をいくら売ったかが評価で良いと思うけど、研究所で直接売る事ないのよ。売るのは営業部の仕事だからね」


 つまり失地回復を行う手段が営業職にはゼロのところになってしまうのか。やれるのは事務作業だけよね、


「最悪の左遷は、あそこの清掃部署だって聞いた事があるよ」


 清掃担当部署を貶める気はないけど、あそこって少し特殊なところがあって、本社とかの清掃はまず外注になってる。研究所が今でも自前なのは、


「工場もそうで、職場の特性を良く知ってる清掃作業員が必要なんだよ」


 そういうスペシャリストが集まるところだけど、素人が配属されたところで、


「ついでにやってる事務室の清掃とかしか割り当ててもらえないよ」


 千草先輩に言わせると、それはついでさえなくて、わざわざ左遷者のために残しているとか。


「だってさ、スペシャリストの担当場所と課を別立てにしてるぐらい。そこからスペシャリストになる道は事実上閉ざされてる」


 営業ってすべてじゃないけど、事務部門を見下してる人が多い気がするんだよね。なんて言うか、オレが会社の利益を稼ぎ出してる大黒柱だとか、エースみたいな感じ。そんな人が見下していた事務部門の清掃をさせられるのは、


「だから辞めてくれの意思表示だって。便所掃除だって日常業務だし」


 鈴音ならそんなところに左遷されるとなったら辞表を叩きつけるよ。


「転職するにしても、そういう経歴はマイナス材料にしかならないからね」


 そこら辺はどこまで履歴を正確に書くかになるけど、


「経歴詐称は犯罪行為よ」


 履歴書を鵜呑みしてくれたら良いけど、採用担当者が怪しいと感じたら前職の会社に問い合わせたりもあるらしいし、


「人事部だって無能じゃないし、人事部同士の横の連絡もあるらしくて、いわゆるブラックリストも持ってるって話だよ」


 新卒は海の物とも山の物ともわからないのを採用するけど、中途採用になると情報があれこれ増えるものね。


「終身雇用がグラグラする時代になってしまってるから、鈴音ちゃんも取れる資格は取っておくほうが良いよ」


 耳が痛いけど、もし転職する事になったらわかりやすい武器になるのはわかる。


「玉の輿的な永久就職もハードル高いからね」


 そうだと思う。女の就職が結婚までの腰かけだったのは昭和の昔話だ。もっとも今でもそれを躍起になって狙ってる女も少なくないのは笑うけど。哲也さんを真剣に考えるのなら、鈴音の職は死守しないと。

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