第29話 夏合宿 〜赫き目覚め〜

ーー*


その日の夜道、赫村は歩いて学校に戻った。

カバンには柔道の実践本が4冊詰め込まれている。


赫村「合宿中なのに、なんで俺は1人で一時帰宅してまた学校に戻ってるんだよ」


半袖でも汗ばむ不快な気候の中、空にはやけにくっきりとした三日月が浮かんでいた。


赫村は月に笑われているかのような気分になり、早足で学校の宿泊施設に戻った。



翌日の午後の稽古。

赫村は予定通り白帯2名の指導役を務めた。


赫村「実践で大外刈に入るには"前進する力"が重要だ。その点を意識して、自分に合う"軸足を着く位置"を模索してみよう」


赫村「刈足にも適した力の入れ方がある。つま先の先端から刈ることを意識して入ってみよう」


赫村「腰が引けてると深く入れない。脚の付け根から動かし始めるくらいの気持ちで姿勢を良くしよう」


白帯2名は赫村の教えに従い、一生懸命練習した。

特に小田原は目を見張る上達を見せた。



連日3百本を超える実践的な入り方の打ち込みの成果あり、指導2日目には赫村を含めた3人は少しずつ大外刈に入る感覚を研ぎ澄まし始めた。


下田「うぉっ、今のは入られた時には身体が浮いたよ!これは耐えられない」


背が高く脚が長い小田原は間違いなく大外刈に向いており、綺麗な形で入れるようになってきた。


赫村には指導のセンスがあるようだ。


ビーーー!

星「よぉし、残り3本!赫村達も入れ!」


赫村「反復練習の成果を試していこう」


白帯コンビは乱取りの最後の3本は他の部員の胸を借りて習った技を試す機会が準備されていた。


頼通「おっ、いいとこだ!」

小田原「おりゃあぁー」

ダーーーン!


頼通は小田原の習得した大外刈に関心しながら受身をとった。


星「よし赫村、俺たちは普通にやるぞ!」


赫村「はい!」


赫村は久々の星との乱取り。


赫村「・・?」


赫村は何故か動きに違和感を覚えながら乱取りに取り組んだ。

言葉にできない程度ではあるが、何かがいつもと違った。


途中、いつもは気付かないようなチャンスを捉えた。


赫村「いける!」


赫村の突然の大外刈に星は思わず体勢を崩した。


黒襟「おっ!?」


百田「アイツにしては珍しい技がでたな」


星は大外刈も対応できるよう少し腰が引けた姿勢で組むようになった。

逆に赫村は、いつもより上体を起こして姿勢良く組み、技に入る機会を伺っていた。


赫村「っりゃあぁーー!」


星「くっっ」

ダーーーーン!!


熱気に溢れる道場に乾いた音が響いた。

赫村の巴投が腰の引けた星を見事に捉えたのだ。


赫村は現実を受け入れきれず、自身の震える両手を見た。


入学してからこの1年間強で星を投げた回数は知れていた。

しかも、綺麗な「一本」相当の投げは初めてだった。


星「・・っ、もう一本!」


赫村「はいっ!」


見える、動ける、面白い!

赫村はなんだか柔道を始めた頃に戻ったような新鮮な感覚だった。


田鶴「・・思ってたより早く化けるかもね」


腕を組んで道場の壁に寄りかかり観戦する田鶴が、数日ぶりの笑顔を見せていた。



ーー*


百田「昨夜、家に帰ったのはドーピングの為か」


稽古後に百田が赫村の袖を捲り上げて注射器の痕跡を探していた。


頼通「ヤバい薬はほどほどが良いっすよ」


白石「一切ダメだよ!」


白石は真面目な顔で突っ込んだ。


黒襟「なにがあった?」


黒襟も近寄ってきてあぐらをかいて座った。


赫村「それが・・自分でも良くわからないんだ。せっかくだから練習した大外刈を積極的に試そうと思ったくらいで、あとは自然と・・得意技も掛けやすくなったんだ」


結局、星との乱取りではあの後に赫村が2回投げられ力の差を示された。


しかし、再三、星をヒヤリとさせる赫村の攻めが周囲には印象的だった。


星「ほんと、驚かされたよ」


星は黒襟の肩に手をつきながら赫村に話しかけた。

本当にいつもイケメンだ。


星「ジャンケンで例えるなら、いつもグーとチョキだけの赫村に突然パーで叩かれたような気分だったよ。こっちはそれまでグーだけで負けなかったのに、チョキを出さざるを得なくなった。そこに渾身のグーでKOされたわけだ」


星は自分の拳で御尊顔を殴るポーズをしながら解説した。


百田「でも、技なんて誰だって複数種類使うぞ。どうして今回はそんなにインパクトがあったんだ?」


田鶴「異質の技を組み込んだからだよ」


田鶴が歩み寄ってきた。


田鶴「赫村くんの得意技は全て、懐の間合を大きく確保して相手の下に潜り込む技だ。その為、体勢を低くして袖を絞り合うような姿勢が基本スタイルとなる」


田鶴は隣にいた白石とその姿勢を再現して説明を続けた。


田鶴「しかし、大外刈はこの姿勢からは入れない。少なくとも、赫村くんが小田原くんに教えたような綺麗な姿勢で投げ切る入り方はね。だから、大外刈を狙うと自然と姿勢が起きるようになる」


田鶴は白石の道着を握ったまま、頭を上げて骨盤を起こして姿勢を良くした。


黒襟「・・確かにそうだった」


田鶴「相手からしたら対応方法が変わる。赫村くんはどちらの姿勢でも技を仕掛けられるようになったので、星くんは対応が難しくなったというわけだ」


百田「黒襟が鬼怒川の背負投に反応出来なかったのと同じか?」


田鶴「そう言うこと。組み合わせられると対応方法を大きく変えないといけない効果的な組み合わせがあるもんなんだよ」


赫村は現状を理解し、胸が熱くなった。

1つの技でこれほど柔道の世界観が変わるものなのかと。


その赫村の様子を見て、黒襟は安心したように立ち上がった。


星「よし、みんな!夕飯の支度をするぞ!料理班と洗濯・掃除班に分かれて!20時半には食事にするぞ」


田鶴「赫村くん、明日は白帯2人に大内刈の指導をお願いね」


当然のように赫村が普段使わない技だった。


赫村「わかりました!!」



ーー*


赫村による実践的な入り方の技術講座。

合宿4〜5日目は大内刈、6〜7日目は袖釣込腰の練習だった。


下田「この技、入り易いっすねっ」


小柄でリストの強い下田は袖釣込腰がしっくり来たようで、両袖の姿勢から左右どちらにも器用に身体を回して入っていた。


逆に、小田原は長い腕を持て余し袖釣込腰はしっくり来なかったようだ。

悔しそうに繰り返し練習を続けていた。



7日目の乱取り。

赫村は頼通との稽古で田鶴の真意を体感した。


大外刈を狙って相手が嫌がれば大内刈に変化できる。

相性が良い組み合わせだ。


また、襟を高い位置で持たせまいとしてくる相手には左右の袖釣込腰を仕掛け易い。


今までの自分が仕掛けられなかった場面が、ことごとくチャンスのシチュエーションへと変わっていった。


頼通「ぐぉっ!」

バシーーーーン!!


変幻自在の崩しに対応していたところを、赫村得意の低い背負投に頼通は一回転した。



田鶴はご満悦そうに赫村の稽古を観ていた。


田鶴「柔道は楽しいだろ?赫村くん」


独り言だった。


田鶴「キミはまだ柔道を十分に知らない。キミは星くん・黒襟くん・栄くんのように恵まれた身体能力がある訳ではない。吾妻くんや青島くんのような天才でもない。強くなるには人一倍苦労するさ」


今日は長めの独り言だ。

機嫌が良い時の傾向である。


田鶴「キミの強みは卓越した観察眼と、駆け引きを組み立て制する力だ。キミの良さは特にキミの知識量に比例するだろう。・・折れるには早すぎるんだよ」


その日、田鶴は独り言を言ってはイッシッシ笑うことを繰り返していた。


田鶴「誰よりも苦労して、誰よりも強くなりなさい」


その日、イキイキとした顔で乱取りに取り組む赫村は誰よりも輝いていた。



ーー*


真夏日が続く7月上旬、2週間の合宿は折り返しを迎えた。


後半は午前に大学生との稽古、午後は部内で柔道の稽古というメニューになる。


赫村もこの日から白帯コンビの指導者役が解かれ、通常通り参加することになった。



田鶴「学生のみんな、聞いてくれ!」


大学での稽古が始まる時に田鶴が大学生全員に声を掛けた。

隣にいる赫村の背中に右手を添えている。


田鶴「この選手は寝技の特訓中だ!全力で仕留めに行ってくれ。特に関節技の対応を練習しているので多用してくれるとありがたい!」


学生「うっす!」


田鶴「・・頑張るんだよ」


赫村「はい!」


赫村の発案だった。

恐怖から逃げることをやめたのだ。


赫村は合宿前半で知識量と応用力が自分の武器だと理解した。


どんな相手のどんな技でも、対処法を構築し体得すれば良いだけだとポジティブに思えるようになった。


身体にも力が入る。


星「よろしくお願いします!」


黒襟「よし行くぞっ!」


赫村の自分の殻を破ろうとする姿勢に仲間達は触発された。

全国大会を控えた2人も、夏の主役を譲ってたまるかという気迫で負けじと稽古に取り組んだ。



田鶴は腕組みをして壁に寄りかかり、選手達の横顔を見ていた。


田鶴「人間は脆い。よく"百折不撓"なんて言葉を掲げてるよ。・・でも、腕も心も折らせないからな。折らせてたまるか」


独り言の多い顧問はその充実した時間を噛み締めるように、いつになく穏やかな笑みを浮かべていた。

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