第27話 インハイ県予選 団体戦 〜夢の中でも〜
ーー*
吾妻「・・すみませんでした」
鬼怒川「お前も人間と判って安心したよ」
鬼怒川は少し強めに吾妻の二の腕を叩いて下がらせた。
鬼怒川「海野、頼むぞ」
海野は両手を頭上で組み、腕を伸ばしながら左右に倒してストレッチしながら鬼怒川を見た。
海野「任せろ。お前も控えててくれ」
鬼怒川「もちろんだ。みんなで全国に行こう」
海野は礼をして試合場に入った。
向かい側では山岡に背中を叩かせた百田がタイミングを合わせて礼をして開始線についた。
審判「始め!」
県大会の団体戦決勝、大将戦が始まった。
勝負の行方は個人90kg級3位の百田と90kg級優勝者の海野との一戦に託された。
田鶴「個人戦では準決勝で百田くんが海野くんに敗れたんだよな?」
山岡「はい・・寝技に引き込まれて・・下からひっくり返されて・・横四方固でした」
試合を終えたばかりの山岡が息を整えながら答えた。
本試合では立技では百田が優勢に進めた。
低い姿勢から海野の腰に組み付き、大腰を軸に攻勢に出る。
割と体型の似ている海野も低く構えて対応する。
本多「アレは・・判っててもやりづらい相手ですね」
大山「あぁ。真っ当な組み方じゃなく、攻めのバリエーションは限られてるだろうがな。とにかく投げづらそうだ」
寝技に入ると海野が攻勢に出る。
うつ伏せに倒れた百田の帯に背後から手首を差し込み、横から潜り込んで返しにかかる。
山岡「アレです!個人戦ではあの返し方で百田くんは仕留められました」
田鶴「いま流行りのヤツだな・・海野くんはリストも強そうだ」
百田は畳に這いつくばったまま身体の角度を変えて防ぐ。
審判「待て!」
本多「くぅー、個人戦と同じ手は食わないか」
沼「簡単に防げる技ではないはずだがな・・よく研究してやがる」
片手が帯に固定される分、上半身と下半身を同時に制することができない弱点を百田は見出し防御に応用していた。
百田は海野の再三の攻勢を見事に凌いでいた。
寝技は時間を消費する。
大将戦の様子を見て黒襟と鬼怒川は再度身体をほぐし始めた。
海野は横三角や手首取などの攻めのバリエーションを変えながら攻めるが、百田は一瞬の隙も許さなかった。
審判「それまで!」
寝技の攻防中に試合時間が終了すると、海野と百田はそのまま仰向けにひっくり返った。
県立武道館のやけに高く広い天井を仰いだのち、数秒で呼吸を整え、2人は立ち上がって開始線に戻った。
共に大粒の汗を流しながら、疲弊した表情で道着を正した。
田鶴「決して派手な試合ではなかったかも知れないが、相当な集中力を消費する闘いだったはずだ」
決勝戦の大一番。
静かな熱戦は両者譲らず引き分けに終わった。
決勝戦:vs鳳雛学園高校
先鋒:星 ー○桜山 ※跳腰(一本)
次鋒:黒襟○ー 大山 ※小外刈(技有)
中堅:栄 ー○鬼怒川 ※大内刈(技有)
副将:山岡○ー 吾妻 ※内股透(一本)
大将:百田 + 海野 ※引分
ーー*
決勝戦は5人を終えた時点で全くのイーブンとなった。
大会ルールに則り、各校代表選手1名による代表戦で決着をつける。
田鶴「代表、黒襟!」
鮫島「代表、鬼怒川!」
両校の監督が代表選手を係員に告げ、黒襟と鬼怒川が畳に上がった。
星「吾妻でも大山でもなく、やはり鬼怒川でしたね」
田鶴「二人ともこの決勝戦で負けているので選びづらいのもあるだろうが、実力的にも順当に鬼怒川くんだね」
百田「おい、黒襟」
試合を終えたばかりの百田はスクイズボトルの飲料を飲みながら畳上の黒襟に声を掛けた。
大粒の汗と顔にこぼしたスポーツ飲料の境界はよくわからなくなっていた。
百田「お前は2週間前の個人戦で鬼怒川に勝っている。だが、同じ手が通じる相手と思うなよ」
百田はスクイズボトルからもう一口飲もうとしたが、半分ほど鼻の下にかけてこぼしていた。
口をつけずに飲むのがよほど下手なようだ。
百田「勝ち続けてるやつには解らねぇだろうが、負けた奴は夢の中でも負けた相手と闘い続けているもんだからな」
百田は道着の袖で鼻下を拭いながら黒襟にスクイズボトルを渡した。
黒襟「・・わかった。初対戦のつもりで全力で倒しに行く」
黒襟はスクイズボトルから器用に一口飲むと、袖で口を拭いながらスクイズボトルを百田にトスして返した。
鮫島「鬼怒川、任せたぞ」
鬼怒川「はい!」
普段は学生の主体性を重んじて口を挟まない名将 鮫島も、代表戦の前に鬼怒川の背中に手をやって一声かけた。
鬼怒川は仲間たちの方に目をやった。
鮫島が声を掛ける時は茶々を入れない部員たちも、この時は全力で鬼怒川に檄を飛ばしていた。
桜山「キャプテン、勝ってみんなでインターハイっすよ!」
大山「鬼怒川、あと一試合だ!」
吾妻「黒襟は強敵ですが、鬼怒川さんらしく!」
海野「お前に託すよ」
鬼怒川は客席を見上げた。
稽古に付き合ってくれた中等部の宗田たちも前のめりになって声援を送っている。
鬼怒川は立ったまま足元の畳を見て、そのまま目を閉じた。
これまでの柔道人生を軽く思い出し、現状と自分の立ち位置を頭の中で整理して心を落ち着けた。
目を開けた鬼怒川は顔を二度強く叩いた。
続いて右の拳で二度、左で二度、厚く張った胸板を叩き、堂々とした礼をして試合場に入った。
ーー*
審判「始め!」
黒襟「ぉるぁああ!!」
鬼怒川「よしこいや!!」
100㎏級の両雄による代表戦が始まった。
組手の技術で上回る鬼怒川が先に仕掛ける。
引手と釣手を良い位置で握ると、得意の大内刈、大外刈、内股と繋いで黒襟を攻め立てる。
村田「いいぞ鬼怒川ー!」
その後も組み勝つ機会の多い鬼怒川が優位に立った。
黒襟はなんとか両襟を持って鬼怒川の頭を下げさせているが、運動量と技数は圧倒的に鬼怒川が勝った。
試合開始後1分、鬼怒川の内股で黒襟の身体が大きく宙に浮いた。
桜山「よおおぉいっしょー!」
大山「惜しいっ」
審判「待て!」
黒襟と鬼怒川は道着を正しながら開始線に戻る。
鬼怒川「ハァ・・ハァ・・ハァ・・ 」
黒襟「フゥ・・フゥ・・」
試合開始1分にしては、共に息が早めに上がっている。
白石「そんなに技を出せていない黒襟くんまで息が上がっている・・?」
田鶴「黒襟くんは大山くんを相手に必死にポイントを取りに行った。同様に、こっちも栄くんが力の限り鬼怒川くんに圧を掛け続けた。二人とも本戦でもラクしてこれた訳じゃないってことだ」
田鶴は自分の顎を人差し指と親指で挟んで鬼怒川を観察した。
審判「始め!」
その後も鬼怒川が大外刈、小外刈、払腰と大技で攻め立てる。
試合開始から2分過ぎ、精力的に攻め続けていた鬼怒川の組手のスピードと体捌きが明らかに鈍ってきた。
その隙を黒襟は逃さなかった。
組際に黒襟が仕掛けた力強い大外刈に鬼怒川は思わずバランスを崩した。
黒襟「おるぁあ!」
審判「有効!」
鬼怒川「くっ!」
鬼怒川は間髪入れずうつ伏せになり、寝技の攻撃をしのぎ切った。
審判「待て!」
吾妻「・・強い!」
鳳雛学園としては受け入れ難い状況だった。
100㎏級の個人戦全国3位にも輝いている絶対的なエースが、県内の試合で同じ相手に押され続けている。
大山「鬼怒川!まだ1分あるぞ!」
鬼怒川「ゼェ・ハァ・ゼェ・・ 」
鬼怒川の体力の消耗が激しかった。
百田「光太郎の体力が尽きるまで相手をしてたんだ。その後にあのゴリラの怪力を受け止めながら攻め立ててるんだぞ。平気な訳ねぇだろ」
栄「黒襟さんファイトー!」
黒襟は引き続き鬼怒川の両襟を掴み、怪力を活かして引き寄せた。
両襟で頭を下げさせることで体力を奪いつつ、得意の大外刈や内股を封じる戦術だ。
宗田「鬼怒川先輩ー!ファイトーっ!!」
一瞬、黒襟は鬼怒川の力が抜けたような感覚を覚えた。
次の瞬間、自分の身体が宙に浮いていた。
そのまま大きく弧を描いて畳に叩きつけられた。
バーーーーンっっ!!
審判「一本!それまでー!」
鬼怒川が膝付きの低い背負投で黒襟の懐に潜り込み、投げきったのだ。
小兵選手が主として使う技に意表を突かれた黒襟は全く反応できず、思わずブリッジをして畳に着地した。
それが尚更「一本」のコールを呼ぶ結末となった。
会場に響き渡った畳の振動に、大きな歓声が共鳴した。
歓声の中心で、いつも冷静な鬼怒川が喜びを爆発させた。
鳳雛学園が死闘の末、全国大会出場権を獲得した。
決勝戦:vs鳳雛学園高校
先鋒:星 ー○桜山 ※跳腰(一本)
次鋒:黒襟○ー 大山 ※小外刈(技有)
中堅:栄 ー○鬼怒川 ※大内刈(技有)
副将:山岡○ー 吾妻 ※内股透(一本)
大将:百田 + 海野 ※引分
代表:黒襟 ー○鬼怒川 ※背負投(一本)
ーー*
田鶴「よく闘ったね。さぁ、試合後の礼だ。並んでおいで」
田鶴は気落ちする5人の背中を押すように声を掛けた。
白石「・・まさか、重量級の王道のような柔道スタイルの鬼怒川さんが低い背負投を使ってくるとは思いませんでしたね」
田鶴「正直、珍しい話ではないんだけどね。重量級は背中が広い分、避けづらくて効果的な技ではあるんだよ。ただ、鬼怒川くんは彼の人格も相まってあまりに正統派な印象があり、直近の試合でも担ぎ技は全く使ってなかったから、黒襟くんの頭に警戒は無かったろうね」
頼通「結果的に、黒襟さんが両襟で懐に引き寄せる組手が仇になった訳か・・」
村田「やった・・良かった・・」
涙を流す3年 村田の背中に2年 氷川が手を当てた。
氷川「あの背負投は村田さんが?」
村田「いや、アレは吾妻と中等部の宗田だよ。黒襟を想定した両襟対策として低い背負投を検討していたようで、組手と担ぎ技のプロ達にアドバイスをもらいながら鏡の前で何度も練習してたよ」
氷川はその話を聞いて、しかめっ面で頬を膨らませた。
氷川「担ぎ技を習いたいなら、俺に言ってくれればいいのに!」
村田「バカ、お前が赤点の追試で稽古に来れなかった日だよ!」
村田と氷川の後ろで堂本と本多が大笑いした為、氷川に腹を叩かれていた。
表彰式が終わる頃、時計は14:20を指していた。
星「・・みんな、今日は本当にお疲れ様だった」
疲労と落胆のムードの中、星が輪の中心で主将としての話を始めた。
星「今日はここで解散とする。ご存じの通り、この世代での団体戦はこれで終わりだが俺はまだ個人戦が8月に残っているので選手としての引退にはならない。今後の方針については明日の朝会で共有する」
簡単な挨拶で締めた鷹狼塾は、鳳雛学園より先に県立武道館を後にした。
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