あの日の礼を忘れない
@AKIPEN
第1話 出会い
ーー*
黒襟「お互い勝ち上がったな」
赫村「当たり前みたいな顔で言うなよ。超人のお前と違って一回戦から必死だよ」
中学柔道の県大会に臨む2人の親友。66kg級の赫村と、90kg級の黒襟。
熱気に溢れる広い会場の傍で、初戦を終えて互いに笑顔で声を掛け合った。
赫村「2回戦以降は試合間隔が詰まる。次は互いの優勝報告としよう」
黒襟が頷くと、二人はその場を後にした。
赫村は順調に勝ち上がり、準決勝で青島と対戦。
昨秋の新人戦では旗判定の末に敗北したライバルだ。
今回も大熱戦となった。
まずは青島が早々に内股で赫村を捉えて「技有」ポイントを先取。
その後もパワーで上回る青島が積極的な攻勢に出る。
青島「決めるっ!」
試合中盤、青島が再度渾身の内股を仕掛ける。
しかし、今度は赫村が狙い澄ました裏投で「技有」ポイントを取り返した。
プロレスのバックドロップのような返し技が苦し紛れの中で上手く決まった。
赫村「あっぶねーっ」
試合終盤、青島が内股に入る動きを見せる。
赫村が反応して再び裏投を仕掛けたところ、青島は大内刈に変化。
赫村は踏ん張っている足を刈られて勢いよく仰向けにひっくり返った。
バーーーーン!!
2つ目の「技有」による合技「一本」で青島が勝利を収めた。
青島は新人戦から更にパワーをつけていた。
対する赫村は先読みしか抗う術がなく、そこを見抜かれて仕留められた。
赫村「完敗でぐうの音もでないや」
試合場を降りてから空っぽの笑顔で呟き、会場の壁際で天井を見上げた。
赫村「・・行かなきゃ」
顔の汗を柔道着の袖で拭き、黒襟の応援に向かった。
黒襟は90kg級の決勝に勝ち上がった。
勝てば全国大会出場権を獲得する。
赫村「決勝の相手は・・百田か。ずいぶんずんぐりした体型だな」
その百田と言う選手は低身長で怒肩の猫背。
どこか中学生らしからぬ老獪な圧が内面から滲み出ている。
口をへの字に結んで黒襟を下から睨みつけていた。
赫村「・・不気味なヤツ」
黒襟と百田は礼をして試合場に入った。
審判「始め!」
赫村「黒襟ファイトー!」
試合開始後10秒、会場が大歓声に包まれた。
バーーーン!!
審判「一本!それまで!」
黒襟の内股一閃。
百田は高く弧を描いて畳に叩きつけられ、仰向けに横たわった。
文句のつけようのない「一本」だった。
試合場の真ん中で堂々と立つ黒襟は、どこぞの国の英雄のようにも見えた。
百田は黒襟のあまりの強さに目を見開き、口まで半開きのまま呆然としていた。
立ち上がって礼をすると、フラフラと試合場を後にした。
廊下に出ると頭の整理がついた様子で、握った拳と肘を壁に強く叩きつけた。
ドンっ!!
百田「・・くそったれ!・・あいつは・・!必ず・・!」
腕に額を寄せて声を絞り出し、今出てきた会場の入口を振り返り睨んでいた。
ーー*
表彰式の後、試合場脇の廊下で談笑する赫村と黒襟の元に百田が歩み寄ってきた。
百田「黒襟、この借りは必ず返すからな」
黒襟は返す言葉が見つからず、黙っていた。
百田「ところで、高校はどこに行くんだ?」
黒襟「まだ決めてねーよ。今は全国大会に集中したい」
百田「・・ふん」
百田はつまらなそうに目を逸らすと、そのまま去っていった。
赫村「なんだったんだ?」
黒襟「さーな」
赫村と黒襟は観客席に戻ろうと廊下の赤い絨毯の上を歩いていると、今度は青島と出くわした。
赫村「・・優勝おめでとう」
赫村は作り笑顔で可能な限り自然な賞賛を送った。
青島「赫村、来年からは伏龍高校で一緒にトップを目指さないか?」
唐突な勧誘に赫村は驚いた。
青島の進路は県内の強豪校である伏龍高校に決まっているとの噂が去年からあった。
彼自身の父親がそこの柔道部出身と言う繋がりがあり、噂通り進学するようだ。
赫村「お前も進路の話か。俺はまだなにも考えてないんだ。悪いな」
青島「そうか。お前と仲間なら楽しそうだと思ってな」
赫村は精一杯の回答として「考えてみるよ」とだけ答えておいた。
帰り道、赫村と黒襟は進路について語り合った。
赫村「10年後、20年後の自分を想像したとき、どんな進路を選ぶのがベストなんだろうな。全然わからんよ」
赫村は道沿いの民家の庭に咲いてる紫陽花を横目にしながら話し続けた。
赫村「柔道は好きだが、激しい格闘技だから一生できる種目では無いのは確かだ。高校の貴重な3年間を費やすとなると、少し考えちゃうなぁ」
黒襟「今は柔道に集中して良いだろ」
赫村「・・そうだよな」
2人はすぐに回答を出せそうに無いので、関東/全国大会の後で考えることにした。
結論の後回しはラクだ。2人は言葉にはしなかったが、互いに解っていた。
ーー*
中学生としての最後の夏が終わった。赫村は関東大会2回戦敗退。
黒襟は関東大会3位、全国大会では8位入賞した。
顧問「黒襟、また勧誘の電話が来たぞ」
県内外の多数の柔道強豪校からのスカウトに黒襟は胸が踊った。
今後は各校の稽古を体験し、その先の進路実績も確認しながら進学先を決め、高校の3年間は柔道に没頭していくことに心を固めつつあった。
赫村「お前はやっぱすげぇよ」
連日、黒襟のスカウトに関する報告を、赫村は嬉しそうな顔で対応した。
実際、親友である黒襟がとてつもない才能を持つ男であることはよく理解しているので、柔道の超エリートコースの道を歩むことは赫村も嬉しく心底応援している。
一方で、赫村は何か大切なモノを失うことになるような寂しさがどこかにあった。
そのことに赫村は自分で気づきつつも、言葉にはしなかった。
赫村「超人には超人の、凡人には凡人の立ち回りがあるだろ」
赫村は心の中で何度も自分に言い聞かせていた。
黒襟「この高校だ」
10月中旬、黒襟は神奈川県の高校に進学することを心に決めた。
歴代のオリンピック優勝者を何人も排出している超強豪校だ。
黒襟は、自分も過去の偉人と同じ道を歩む未来を頭に描いていた。
黒襟が高校側へ推薦入学の返答をする前日。
赫村は夕方まで黒襟の家でくつろぎながら進路の話をしていた。
赫村「黒襟はあの神奈川の高校に決めたんだな。実はさ、俺も伏龍高校への入学を前向きに考えているん(ピンポーン)・・・」
会話を遮るように黒襟家のインターホンがなった。
黒襟の母親「錬椰ー、お友達を通すわよ」
黒襟「ん?」
呼んでいない友達が部屋に通された。
なんと、部屋に入ってきたのはあの百田だった。
黒襟「お前・・なぜウチの場所を知っている?」
黒襟の問いを百田は無視し、本題を切り出した。
百田「俺は鷹狼塾高校に進学する」
やはり進路の話だった。
そして意外な高校名に赫村は食いついた。
赫村「鷹狼塾高校?県内屈指の進学校の?」
鷹狼塾高校に自信をもって「進学する」と言いきれる百田の意外な学力に、赫村と黒襟は驚きを隠せなかった。
赫村「鷹狼塾に柔道部はあるのか?」
百田「ある。部員は少ないがな。俺は鷹狼塾高校の柔道部を県内最強のチームになるように導く。もちろん、俺もそのスター選手の一員として大活躍の予定だ」
百田は両手広げ、少し不気味な笑顔で嬉々として語り出した。
百田「ワクワクしないか?学業でトップの連中が、柔道でもトップになるんだぞ!高校生としての文武両道を極めるんだ!」
黒襟「・・それは立派な話だな。だが、それなら柔道の強豪高校に入って鍛錬し、勉強は隙間時間で頑張って東京大学にでも行くほうがスムーズじゃないか?」
黒襟は冷静かつ合理的に、効率性の観点で反論した。
百田「それじゃ出来の良い”駒”だ。面白くない」
百田は黒襟の反論を切り捨てた。
百田「俺は将来、百田財閥のトップになる。大勢の従業員を導き幸せにしながら、社会に貢献できる組織運営をしなければならないんだ。環境が整えば環境に合わせて動く”駒”としてラクしている時間はない。俺は、ほぼ何もない環境からパワーある魅力的なチームを育てる力を養い、その経験を糧に一流のリーダーになるんだ」
百田は握り締めた右の拳の甲を黒襟に向けながら力説した。
どうやら彼は御曹司のようだ。人は見かけによらないものだ。
黒襟「なるほど、いい心がけだな。神奈川から応援していてやるよ」
百田「神奈川には行くな。お前は俺と一緒に鷹狼塾高校に来るんだよ」
黒襟「・・は!?」
黒襟は百田の唐突な勧誘に驚いた。
横で聞いている赫村も百田の強引さには驚いたが、座った姿勢のまま上体は少し前のめりになっていた。
思いがけずワクワクしてしまう展開だった。
百田「お前は何のために神奈川の高校に行くんだ?」
百田から禅問答のような問いがとんできた。
黒襟「柔道で日本一の選手になるためだ」
百田「日本一の選手なんてほっといても毎年でるんだよ。試合さえ開催されればな。お前がその日本一の選手になることで、世の中の何が変わるんだ?」
赫村は百田に感心した。良い質問だ。
黒襟「見てる人に夢を与えられる選手になるんだよ」
百田「柔道のエリートコースを歩んだ選手が日本一になってどんな夢を見るんだよ。前年も、翌年も、同じような経歴の選手が優勝するんだぞ」
黒襟「・・!」
百田の正論に黒襟は嫌になり始めていた。
深く考えてもいなかったことに対して立て続けに質問をされれば、誰だって焦りとストレスが生じる。
黒襟「それでも、少なくとも、俺を応援してくれている周りの人には恩返しになる」
百田「10年以上柔道に取り組んで、その間に多大なサポートを受け、短い期間活躍して、その後はどうするんだ?”俺は数十年前に活躍して恩返ししたぞ”と老後も言い続ける気か?」
黒襟「それでも・・俺は日本一に挑戦したいんだよ!何が悪い!!」
百田「そんなありきたりな夢より、俺がもっと良い夢を見させてやると言っているんだよ!!!」
百田の熱意の籠った力のある言葉に、黒襟は気押された。
反論の言葉が出てこなかった。
高校、大学で選手として活躍し、社会人になっても大企業に就職して実業団の選手として活躍する柔道エリートらしい未来を描くのは中学生にとっては一般的なことだ。
しかし、それは短絡的で浅はかな夢だと言われたことに反論できなかったのだ。
黒襟は頭に来て「余計なお世話だ」と言い残して部屋を出て行った。
百田「・・チッ。おい、お前はどう思う?」
百田は沈黙を貫いていた赫村に質問を振った。
デリカシーの無いやつだ、戸惑っているに決まっているだろう、と心の中で応えた。
赫村「お前はでけぇ夢もってんだな」
赫村はその場しのぎに空っぽの返答をした。
百田「人生は時間の過ごし方の勝負だからな。俺は後悔したくないし、仲間にも絶対にさせたくない」
百田は決して色男では無い。
だが確かな魅力のある男なのかも知れないと赫村は感じとった。
赫村「まぁ、俺もまた黒襟と話してみるさ」
百田は赫村の目を見ると、黙って部屋を出て行った。
赫村も百田を追うように黒襟家を後にした。
ーー*
夕暮れ、黒襟は近くの公園にいた。
点灯前の電灯の下、大きな身体が不釣り合いなブランコに乗っている。
ブランコからは金属の擦れる音が僅かに響いていた。
黒襟の頭には、百田の言葉が残り続けていた。
考えたこともない視点からものを言われ、何が正解かわからなくなっていた。
というより、正解を探している自分と、正解を作り出そうとしている百田のスケールの違いを痛感していたのだ。
黒襟「あのヤロゥ」
黒襟は悔しい気持ちをなんとか受け入れ、百田のことを認めつつあった。
赫村がやってきた。
幼馴染だけあって、どこにいるかはすぐにわかったようだ。
黒襟は赫村の意見が欲しかったようで、珍しく自分から語り出した。
黒襟「百田の話を聞いて、自分自身の将来像と向き合ってみた。俺は生涯誇れる自分でありたい」
赫村は静かに頷いた。
黒襟「誇るのは歩んできた道の話ではない。強さの話でもない。とにかく"柔道が強いだけのよくいるやつ"とは思われたく無いんだ。ただ1人の、誇れる黒襟錬椰でありたい」
黒襟は自分の考えを1つずつ丁寧に言葉にしていった。
黒襟「そう考えると、他の選手とは違う経験を重ねていく必要があるのかもしれない」
黒襟は少し顔を上げ、薄暗くなりつつある空を見上げて続けた。
黒襟「出来上がったルートから選ぶだけが正解じゃないのかもな。最終的に俺がトップに立つことは変わらないが、独自の轍を作るのも面白いかもしれない」
黒襟が話し終えたタイミングでブランコの上の電灯が灯り、あたりが僅かに明るくなった。
赫村は軽く頷いて、透き通った笑顔を見せた。
赫村「いいなそれ、共感したよ。いまお前が描いた道には俺もいるのか?」
黒襟「あぁ、全国の舞台で一緒に戦っている絵がはっきり描けた。むしろ、お前が居ないと不安が大きい」
赫村は少し照れたような、ホッとしたような表情を見せた。
赫村「一緒に行くさ。俺も百田の話を聞いてワクワクしていたところだよ」
黒襟「・・ありがとう」
赫村は自分の心情の整理もできた。
伏龍高校は確かに強豪で魅力的だ。だが、今一番身近にいる黒襟というスターが遠くの存在になることに寂しさがあった。
日本一の選手になるために神奈川に行くのであれば仕方がないと自分に言い聞かせていたが、近くで、しかも肩を並べて3年間を過ごせると思うと心が躍った。
赫村「その描いた絵には、あいつもいるんだよな?」
2人は笑ってしまった。
赫村「あいつ、わざわざ学業成績まで調査したのかな?」
二人の中学は学年に150人いて、直近の期末テストの成績は赫村が3位、黒襟が7位と2人とも好成績だった。
勉強時間を確保できていなくてもその成績が取れる人材であることは百田も調査済みだったようだ。
黒襟と赫村は、百田と同じ鷹狼塾高校に進むことを決めた。
赫村は百田にその旨を電話で伝えた。
百田「鷹狼塾には柔道の推薦入学はねぇからな。受験で落ちるなとあの筋肉バカにも伝えとけ」
赫村「あぁ・・色々ありがとな」
百田「・・こっちもだ。説得ありがとよ、金魚の糞」
赫村「・・誰が金魚の糞だ」
いつも飄々としている赫村が珍しくシンプルな突っ込みに回された。
同日、赫村は青島に伏龍高校には進学しないことを伝えた。
青島からは「わかった。試合場で会おう」と、彼らしい力強く真っ直ぐなメッセージが返ってきた。
運命を剛腕で掻き乱した男、百田 兆吉。
赫村 鉢・黒襟 錬椰と共に、ひと味違う高校柔道部の物語が間もなく動き出す。
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