第15話王命の封書
辺境の空は、今日も穏やかに晴れていた。
フィオナ・ヴァルトグランツは執務室の隅で、試験管に入った淡く光る核を観察していた。
すでに何度も実験を重ねてきたが、彼女の瞳はまだその輝きに飽きることを知らない。
淡い銀髪が差し込む光を受け、アメジストの瞳がきらりと揺れる。
「……この反応、昨日より安定してますね」
報告書をめくりながら独りごちる声に、扉の向こうから軽くノックの音がした。
「旦那様、王都より急ぎの封書が届いております」
副官レオンの声だ。
エドガーは手を止め、椅子からゆっくりと立ち上がる。
「……王都から、か」
差し出された封書には王家の紋章。
重々しい蝋の封が押されている。
それを見た瞬間、フィオナの胸に小さな不安が灯った。
エドガーは封を切り、無言で文面を読み進める。
やがてその金の瞳が鋭く光った。
「……“核の研究成果を確認したい。至急、王都にて報告を行え”――だと」
「えっ……王都に?」
フィオナが驚いた声を上げる。
「ああ。しかも、同行を求めているのは私だけではない。……お前もだ、フィオナ」
「私も……ですか?」
彼女の指先が、わずかに震えた。
研究成果を王都に報告することは名誉なことだ。
しかし同時に、彼女の研究が“王都のもの”になることを意味する。
エドガーは封書を静かに卓上に置き、深く息をついた。
「……やはり来たか。予想はしていたが、思ったより早い」
「エドガー様……」
心配そうに見上げるフィオナの視線を受け止め、彼は優しく頷いた。
「心配するな。王都が何を言おうと、誰にもお前を渡さない」
その言葉に、フィオナの頬が赤く染まる。
だが彼の瞳の奥には、確かな怒りの光があった。
「それにしても……あの王が“研究成果を確認したい”などと、殊勝なことを言うとはな」
苦笑交じりに言うエドガーを見て、フィオナはそっと微笑む。
――この人は、本当に恐ろしい人なんかじゃない。
噂の中の「冷酷な辺境伯」ではなく、誰よりも仲間思いで、優しい人。
「エドガー様、私……行くべきだと思います」
「……なんだと?」
「私の研究は、確かに辺境で育ちました。でも……もともと私は王都で暮らしていたんですよ」
フィオナは小さく笑った。
「生まれた家も、学んだ場所も、みんなあの街の中にあります。だから……王都に行くのは、少し懐かしいです」
その笑みを見て、エドガーの胸が不意に熱くなった。
彼女の中にある“過去”を思えばこそ、今の穏やかな日々がどれほど大切かを、改めて思い知らされる。
「……そうか。ならば、俺と共に行こう」
低く優しい声でそう言い、彼は封書を握りしめた。
レオンが控えめに口を開く。
「出立の準備を進めましょうか、旦那様?」
「ああ。だが――」
エドガーはちらりとフィオナを見やった。
「王都に何を言われようとも、俺の妻はここに帰ってくる。……それだけは忘れるな」
「……はい、エドガー様」
その瞬間、フィオナの胸の奥で、何かがじんわりと温かく灯った。
彼の言葉が、どんな護符よりも心強いものに思えた。
やがて二人の間に沈黙が訪れる。
けれどそれは決して重苦しいものではなく、確かな絆を感じさせる静けさだった。
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