第11話灯りをともす核


辺境伯邸の夜は静かだった。

 討伐隊が戻ってきた日であっても、領内は整然としている。

 けれど、その一角――研究室だけは、まだ灯りが消えぬままだった。


 机の上には、大小さまざまな魔獣の核。

 どれも淡い光を失い、ただの石のように沈黙している。

 その中で、ひとつだけがかすかに脈打つように光っていた。


「……もう少し……もう少しだけなのです」

 フィオナは小声で呟いた。

 淡い銀髪が光を反射し、アメジストの瞳が真剣に揺れる。

 魔法陣に指を滑らせ、魔力の流れを細かく制御する。

 灯りの下で見る彼女の横顔は、誰よりも生き生きとしていた。


 その時、ノックの音が響く。

「奥様……また夜更かしでございますね」

 レオンの落ち着いた声だった。

 ドアが開かれると、黒髪の男――エドガーが姿を現した。

 漆黒の髪に金の瞳。戦場の空気をまだ纏ったまま、冷静に部屋を見渡す。


「……帰還したばかりだというのに、まず来る場所がここか」

 レオンの肩越しに視線を向けるエドガー。

 フィオナははっとして顔を上げた。


「っ! お、お帰りなさいませ、エドガー様……!」

「ただいま。……もう夜も更けている。何をしている?」

「え、えっと……あの……核の再生を……あと一歩のところで……」


 机の上の光る核を見て、エドガーは足を止めた。

 その光は以前、完全に力を失ったものだったはずだ。

 彼の金の瞳が、ほんの僅かに見開かれる。


「……まさか、それを……」

「はい。失われた魔力の経路を再構築して、微弱ながら再び魔力を流せるようにしたんです。

 成功すれば、再利用できるはずで……!」

 言葉の端々に熱がこもる。

 フィオナの頬には夜更かしの影が浮かび、それでも瞳は輝いていた。


「理論的には、以前お見せした“位相補正陣”を改良しまして――」

 フィオナが魔法陣を指さす。

 淡く描かれた線が、脈打つように光を放った。


「……なるほど。核の残留魔力を繋ぎ直して……擬似的に循環を再生させている、ということですか」

 レオンが腕を組み、感心したように呟いた。

「ええ。そのとおりです。レオン様、以前見てくださった核の欠片……あの時の結果をもとに、理論を安定させたんです」


 フィオナの説明に、エドガーは静かに彼女へ歩み寄る。

 彼の影が机の上を覆うと、核の光が金色に照らされた。


「……これが本当に安定しているなら、王都の貧しい街にも灯りを届けられる」

「はい。核の再利用ができれば、誰もが魔導具を使えるようになります。

 光を、暖を、少しでも……」


 その声には、心からの願いがこもっていた。

 エドガーは黙ってしばらく核を見つめ、そして静かに息を吐いた。


「……フィオナ」

「は、はいっ」

「私は――危険な研究はするなと言ったはずだ」


 その低く静かな声に、フィオナの肩が小さく震える。

 彼の金の瞳は叱責ではなく、心配の色を宿していた。


「……す、すみません……でも、ちゃんと防御結界も張っていましたし、魔力暴走の可能性も――」

「理屈ではなく、問題は“お前が眠っていない”ことだ」

 エドガーの手が、そっと机に置かれたフィオナの手を覆った。

 戦場の冷たさを残した掌が、彼女の指を包み込む。


「……心配を、かけないでくれ」

 フィオナは小さく瞬きをし、そして顔を赤らめた。

「……申し訳、ありません。ですが……この成果をどうしても見てほしくて」

「見た。――見事だ」

 その一言に、フィオナの胸が温かくなる。


 エドガーは核の光を見つめ、わずかに唇を緩めた。

「お前の研究が、この領を変える日が来るかもしれんな」

「……そんな、まだ実験段階で……」

「だが、希望だ」


 その言葉と共に、エドガーの手が彼女の頭を撫でた。

 優しく、短く――けれど確かに、労わりと温もりが込められていた。


「今夜はもう休め。成果は明日、正式に報告書にして出せ」

「……はい」

 恥ずかしそうに頷いたフィオナの頬は、核の光よりも赤く染まっていた。


 その背を見ながら、レオンが小さく笑う。

「……やはり、奥様は夜を明かしても情熱的でいらっしゃいますね」

 エドガーは目を細め、軽くため息をつく。

「まったく、手がかかる」

 だがその声には、どこか甘い響きがあった。


 研究室に残る光は、穏やかに瞬きながら――

 二人の間に、小さな温もりの灯りをともしていた。

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