第9話琥珀の灯と、揺れる心
夜の辺境伯邸は、深い闇と静寂に包まれていた。
けれどその一角――鍛造場だけは、まだ熱を宿していた。
炉の中で赤々と燃える炎が、石壁を金色に照らし出し、鉄の匂いと焦げた空気が混じり合う。
その前で、フィオナは目を輝かせていた。
淡い銀の髪が火の光を受けて輝き、アメジストの瞳が魔獣の核を見つめている。
「これが……魔獣の核、なのですね」
「そうだ」
隣に立つエドガーが短く応じる。
漆黒の髪に金の瞳――辺境伯ヴァルト・グランツ。
魔獣を討伐する男の背には、戦場の重みが滲んでいたが、今は不思議と穏やかだった。
「核は魔獣の魔力の結晶だ。扱いを誤れば、暴発して命を落とす」
「そ、そんな危険なものを……!」
「危険だからこそ、価値がある」
エドガーは淡々と答え、炉の前で核を金属枠に嵌め込んだ。
掌に魔力を流すと、淡い金色の光が石の中へと吸い込まれていく。
青白い光が脈打ち、やがて琥珀のような色に変わった。
「……綺麗」
フィオナが思わず呟いた声に、エドガーがちらりと目を向ける。
「これはただの魔石だ」
「いいえ。あなたが扱うと、まるで命を持ったように見えます」
彼は無言で核を見つめ続けたが、その口元がわずかに緩んだ。
炉の火の明滅に合わせて、彼の横顔が静かに輝いて見えた。
「核はすべてが結界に使われるわけではない」
エドガーが淡々と続ける。
「質の良いものは辺境の防壁に組み込み、残りは商人に売る。高値で取引されるからな」
「それで……辺境は潤っているのですね」
「ああ。討伐隊の武具や兵糧も、その資金で賄っている」
フィオナは感嘆したように息を漏らした。
「ただ倒すだけではなく、こうして土地を守り、皆を支えているのですね……」
「俺は当然のことをしているだけだ」
「そういうところが……素敵だと思います」
フィオナの素直な言葉に、エドガーの眉がわずかに動く。
彼は咳払いをして、視線を逸らした。
「……この核も、商人に渡す前に魔力を安定させる必要がある」
「見せていただいてもいいですか?」
「……いいだろう。ただし、手は出すな」
彼の言葉に、フィオナは真剣にうなずいた。
エドガーは核を鉄の台に置き、ゆっくりと両手をかざした。
金の光が指先から流れ込み、核の内側で淡い魔力がゆらめく。
それは呼吸のように脈動し、やがて静かに落ち着いた。
「安定した……。すごい……」
フィオナが見惚れるように呟いたとき、エドガーがふと彼女の方に顔を向けた。
「興味が尽きんようだな」
「はい。こうして直接見られるなんて、夢みたいです」
「おまえの“夢”は、普通の令嬢とは違う」
「ふふ、昔から変わり者だと言われていました」
フィオナが微笑むと、エドガーも小さく口角を上げた。
「……確かに、変わり者だ」
その声は柔らかく、どこか嬉しそうでもあった。
炉の光が揺れ、二人の影が寄り添うように壁に映る。
やがて、核の光が落ち着いたのを見て、エドガーが手を離した。
「これで売れる」
「売る、ということは……?」
「信頼できる商人に渡す。王都へ運ばれ、細工師や学者たちが研究に使う。辺境伯領は討伐と防壁で多くの出費があるが、この取引で保たれている」
フィオナは思わず胸に手を当てた。
「じゃあ……あなたは、国を守りながら、この土地の人々の暮らしも支えているのですね」
「……言い方が大げさだ」
「でも、事実です」
アメジストの瞳がまっすぐにエドガーを見上げる。
その純粋な光に、彼は少しだけ視線を外した。
「……おまえ、そうやって簡単に人を褒めるな」
「褒めているつもりはありません。ただ思ったことを言っただけです」
「余計にたちが悪い」
苦笑をこぼしながら、エドガーは核を覆う布を掛けた。
「もう夜も遅い。戻るぞ」
「もう少しだけ見ていたいのですが……」
「駄目だ。目の下に隈を作られては、屋敷の者たちに叱られるのは俺だ」
「そ、そんなこと――」
「昨日も“もう少し”で夜明けだっただろう?」
「……うっ」
言葉を詰まらせたフィオナの頭を、エドガーが軽く指で突く。
「研究熱心なのは結構だが、健康を犠牲にするのは愚か者のすることだ」
「はい……気をつけます」
小さな返事とともに、フィオナは彼の後をついて鍛造場を出た。
外は静かで、冷たい風が頬を撫でる。
けれど、その冷気よりもずっと温かなものが、胸の奥に灯っていた。
――彼は恐れられているけれど、本当は人を守る人なんだ。
魔獣の核を操るその手は、血で汚れているのではなく、
人の命を繋ぐために熱を宿している。
フィオナはそっとその背中を見上げ、
心の中で、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……やっぱり、あなたが好きです」
エドガーは聞こえなかったふりをして、わずかに唇の端を上げた。
夜風が二人の間を通り抜け、鍛造場の奥で、琥珀の核がまだ優しく輝いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます