第5話辺境の館に灯る灯
討伐を終え、夕暮れの風が森を吹き抜ける。
馬の蹄が土を打つ音が、静かに辺境の館へと戻っていく。
「……無事に終わりましたね」
フィオナがほっと息をつきながら微笑む。
その横で、エドガーは無言のまま手綱を操り、金の瞳で彼女をちらりと見た。
「油断するな。帰るまでが討伐だ」
言葉は厳しいが、声はどこか柔らかい。
フィオナは頬を緩めながら、彼の黒い外套が風に揺れるのを見つめた。
――彼が戦っている姿は、恐ろしいなんて言葉とは正反対。
強くて、静かで、でもどこか寂しそうな背中だった。
館に着くと、副官レオンが出迎える。
「閣下、お疲れ様です。報告書は明朝にまとめます」
「任せる。隊の負傷者は?」
「軽傷が数名ですが、命に別状はありません」
エドガーが軽く頷くと、背後からフィオナの護衛・リオネルが声をかけた。
「奥様もお怪我はなく。さすが閣下、見事な采配でした」
「……奥様、か」
その言葉にエドガーの金の瞳が一瞬だけ和らぐ。
館の玄関をくぐると、暖炉の火が二人を迎えた。
長旅と戦いの疲れが、温もりに溶けていく。
フィオナはそっとエドガーを見上げ、微笑んだ。
「お茶を淹れますね。あなたも、少し休んでください」
「……俺がやる」
「いいえ。私も、何かしたいんです」
そう言って台所に向かう彼女の後ろ姿を見つめ、エドガーは無意識に息を吐く。
――まったく、どうしてこんなにも放っておけないのか。
やがて、香ばしい香りの立つお茶と焼き菓子が用意された。
窓の外では雪がちらつき、火の粉が柔らかく揺れる。
テーブルを挟んで座る二人。
フィオナがカップを差し出すと、エドガーは受け取り、静かに一口飲む。
「……甘いな」
「え?」
「お茶も、菓子も……そして、おまえの笑顔も」
「……っ!」
フィオナの頬が一瞬で染まる。
「そんな……からかわないでください」
「事実を言っただけだ」
不器用に言葉を重ねながらも、エドガーの目には確かな優しさが宿っていた。
暖炉の光が、彼の漆黒の髪に金の反射を宿す。
その美しさに、フィオナは胸の奥がじんと熱くなる。
――この人の瞳に映る自分でありたい。
沈黙が少し流れ、やがてエドガーが口を開いた。
「……明日から、討伐は一時休みだ。隊を整え直す」
「そうなんですね。じゃあ、少しのんびりできそうですね」
「……そうだな。おまえには館を案内してやる」
「本当ですか?」
嬉しそうに身を乗り出すフィオナに、エドガーの口元が少し緩む。
翌朝、館の回廊を歩きながら、エドガーは屋敷の部屋を一つひとつ案内した。
大広間、書斎、訓練場、そして魔獣の核を保管する部屋。
透明な結晶のような光を放つ核石が壁に並び、まるで夜空の星のように輝いていた。
「こんなにたくさん……全部、あなたが?」
「俺と部下たちでな。命を懸けた証だ」
「……すごい。でも、少し悲しくもありますね」
「悲しい?」
「だって、命があってこその証でしょう? あなたがここにいなければ、何の意味もないわ」
その言葉に、エドガーは一瞬言葉を失う。
誰もそんな風に言ったことはなかった。
「……おまえは、変わっているな」
「ええ。昔から、そう言われて育ちました」
微笑むフィオナに、エドガーの胸の奥が静かに波立つ。
案内の終わり、寝室の前で足を止める。
昨夜と同じ、広い寝台が目に入る。
フィオナは少し頬を染めながら、問いかけるように見上げた。
「……また一緒に、ここで休むのですね」
「嫌か?」
「いいえ。むしろ、安心します」
その答えに、エドガーの金の瞳がわずかに和らいだ。
夜。
ベッドに並んで横たわると、外は雪が静かに降り積もっていた。
フィオナは眠る前、そっとエドガーの袖を掴んだ。
「今日も……お疲れさまでした」
「……おまえもな」
彼の声が低く響き、二人の間にあたたかな空気が満ちる。
「……いつか、討伐がなくなる日が来たら、二人で森を歩いてみたいです」
「魔獣のいない森か」
「ええ。あなたが戦わなくてもいい世界を、見てみたい」
エドガーは小さく笑い、彼女の頭に手を置いた。
「……そのときも、おまえは隣にいろ」
「……はい」
その夜、暖炉の火が小さく弾けた。
互いの温もりがそっと交わり、言葉よりも静かな約束が生まれた。
――恐ろしいと噂された辺境伯と、変わり者と呼ばれた伯爵令嬢。
雪の降る夜、二人の心は確かに、寄り添い始めていた。
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