第3話辺境の館と、静かな誓い
長い旅路の果て、馬車が止まった。
外はひんやりとした空気に満ち、遠くで狼の声がこだまする。
フィオナ・アーベルは深呼吸をして、扉の外の世界を見つめた。
馬車から降りたフィオナの後ろには、父が護衛につけた二人の騎士が続く。
カイル・ローレン――短く刈り上げた淡褐色の髪に灰色の瞳。
そしてリオネル・フェイン――金髪碧眼の穏やかな笑みを浮かべた青年。
どちらも有能で、長旅の間ずっとフィオナの身を守ってきた。
城門をくぐると、思ったよりも穏やかな街並みが広がっていた。
人々は笑い、子どもたちは雪を投げ合い、屋台では温かなスープの香りが漂う。
恐れられる“辺境”とは似つかわしくない、静かで豊かな風景。
「……エドガー様の領地って、本当に恐ろしい場所なのかしら」
小さく呟いたフィオナの声に、カイルが苦笑した。
「領民の顔が穏やかなら、それが答えでしょう」
屋敷の扉が開かれ、現れたのは――漆黒の髪に金の瞳を持つ男。
エドガー・ヴァルトグランツ。
重厚な雰囲気を纏いながらも、無駄のない動きと静かな威厳を感じさせる。
けれど、その黄金の瞳がフィオナを見つめた瞬間だけ、わずかに柔らかく光った。
「……久しいな、フィオナ」
「ええ。あの舞踏会の夜ぶりですわね、エドガー様」
彼女が微笑むと、エドガーは短く頷いた。
「長旅、ご苦労だった。寒さが厳しい。中へ」
屋敷の中は、暖炉の火が静かに揺れ、心地よい暖かさに満ちていた。
壁には討伐で得られた魔獣の核が飾られており、淡く光を放っている。
「これが、魔獣の核……」
フィオナが見上げると、エドガーは彼女の隣に立った。
「命を懸けて得た証だ。魔獣を倒せば、この核が残る。辺境では、これが命を繋ぐ資源になる」
「まるで、闇の中の光ですね」
その言葉に、彼の口元がわずかに動く。
「……おまえの言葉は、不思議と冷えた心に染みる」
やがて副官のレオン・ハルベルトが現れ、静かに一礼した。
銀髪に翡翠色の瞳を持つ青年で、理知的な空気を纏っている。
「閣下、婚礼の準備は整っております。簡素な式ですが……」
「それでいい」
エドガーの短い言葉に、レオンは頷く。
日が落ちるころ、焚き火の前で二人きりの結婚式が行われた。
花も音楽もない。
ただ暖炉の火の音と、二人の息だけが静かに響く。
「――生涯、共に歩むことを誓う」
エドガーが低く告げ、指輪の代わりに差し出したのは、黄金の核石。
フィオナはそれを両手で受け取り、そっと胸元に当てた。
「……この光が、あなたの生きる証なら。私は、それを抱いて生きていきます」
その言葉に、彼の金の瞳がわずかに揺れた。
式のあと、案内されたのは寝室だった。
部屋は広く、重厚なカーテンと暖炉の炎に包まれている。
そして、部屋の中央には――ひとつの大きな寝台。
「……寝室は、ここだけなのですか?」
フィオナが思わず問うと、エドガーは少しだけ目を逸らした。
「寒さが厳しい。暖炉の火を保つには一部屋に絞った方がいい。……それに、護りやすい」
「護りやすい、ですか?」
「辺境では、夜に魔獣が現れることもある。近くにいた方が安全だ」
理屈はもっともだ。けれど、彼の声にはわずかに照れた響きが混じっていた。
フィオナはくすりと笑い、布団の端に手を伸ばす。
「では……失礼して。暖炉のぬくもり、ありがたく使わせていただきますわ」
「……ああ」
寝台に並んで座ると、静かな時間が流れた。
窓の外では雪が舞い、焚き火の音が優しく耳をくすぐる。
ふと視線を向けると、エドガーの金の瞳が灯りに揺れて、まるで溶けるように柔らかかった。
恐ろしい人――そんな噂を信じていた者たちに、今のこの姿を見せてやりたい。
フィオナはそう思いながら、胸の奥でそっと微笑んだ。
“恐ろしい”のは、きっと彼の強さと、誰よりも真っ直ぐな心のせい。
やがて二人は同じ寝台に身を沈めた。
まだ恋ではない、けれど確かに感じる温もり。
焔が小さくはぜる音の中で、フィオナは静かに目を閉じた。
――ここからが、二人の本当の物語の始まり。
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