アメイジンググレイス — 運命 ー
Kay.Valentine
第1話 救命
見上げると、枯れ枝が幾重にも折り重なって、物憂い冬空を覆い隠していた。
繊毛のような枝先が、寒空のもとで小刻みに震えている。
(冬枯れだ。春はもう来ないだろう)
杉並南病院の内科部長、堀内俊彦は、診療の合間に、病院に隣接する林を散歩するのを常としていた。
ピッチが鳴った。
「今日は先生が内科救急当番のメインドクターですよね。今、救急隊から連絡があって、肺炎の患者を診てほしいそうなんです」
「肺炎? べつにいいけど」
午後だったので外来は混んでいなかった。
肺炎なら胸のレントゲンと血液検査をして、抗生物質でも点滴しておけばいいだろうと、俊彦は気軽に承諾した。
午後三時だった。
彼はゆっくりと外来棟に向かって歩き始めた。
何分もしないうちに、遠くの方でかすかにピーポー、ピーポーという音がした。
それは次第にはっきりとした音になり、やがてごく近くの騒音となって、突然、消えた。
――救急車が到着したのだ。
重い扉が左右にゆっくりと開き、ストレッチャーが北風とともに滑り込んできた。
患者を見て、俊彦は息を呑んだ。――意識消失、下顎呼吸。
「肺炎っていうから受けたのに、もう死にかけてるじゃないか!」
俊彦は救急隊に怒鳴った。
「運んでいる途中に、こうなったんです!」
「馬鹿なことを言うんじゃない、そんなはずがないだろ!」
とりあえず、喧嘩している場合じゃない。
俊彦は数人のナースに次々と指示を出した。
バイタルサインのチェック、血管確保、気道確保、心電図モニターの装着、CVPと挿管の準備、酸素三リットルから開始。
このような重症患者は医師一人ではこなせない。
俊彦はコードブルー放送を指示し、内科救急のサブドクターを要請した。
心電図に特段の異常は認められなかったため、脳が原因だろうと感じた俊彦は、神経学的所見を詳しく診察した。
瞳孔はピンポイントのように縮小し、反射は鈍い。
左半身は脱力しており、病的反射も認められた。
脳出血か、脳梗塞で脳が腫れ、脳幹を圧迫していると考えられた。
異常な縮瞳と意識消失が、何よりの証拠だった。
俊彦は、出血なのか梗塞なのかを診断するため、ストレッチャーをCT室に運ばせた。
CTを撮っている間に、廊下の長椅子で泣いている女性に気づいた。
「失礼ですが、奥様でしょうか」
「はい」
「この状態では、助かるかどうかは保証できません。発症してからのことを話していただけますか」
奥さんによると、今日は有休を取って家にいたのだが、正午ごろ、夫が突然倒れたという。
一一九番に電話し、救急車に乗せてから病院探しにずいぶん時間がかかったらしく、この病院に着いたのは三時ごろ。
つまり三時間ほど、たらい回しにされていたことになる。
CTの結果が出た。出血はなかった。脳梗塞に間違いない。
脳梗塞による脳の腫れは、生命の根幹である脳幹を圧迫し、死に至らせる。
その腫れを取るのがグリセオールという点滴だ。
腫れの進行速度と、グリセオールの効果の速さ――このバランスが勝負のカギになる。
しばらくすると、少し呼吸が落ち着いてきた。
相変わらず意識はなかったが、助かる可能性があるかもしれない。
そう判断した俊彦は、初めて電子カルテを開いた。
そして、名前を見て驚いた。
古田健一、三十六歳。
中学時代の親友と同姓同名、しかも同い年だ。
――ひょっとして、あいつ?
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