第11話 どうして“正しさ”は人とぶつかるの?

放課後の教室。

黒板にはまだ「進路討論会」の文字が残っていた。

のぶたんは机に突っ伏し、顔だけこちらを向けている。


「……疲れた。みんな“正しいこと”言ってるのに、全然まとまらないんだもん。」

ユリエもんは、教卓の上のチョークを一本取り上げた。

「“正しいこと”ほど、人を分けるんだよ。」

「え? 正しいなら、ひとつじゃないの?」

ユリエもんは笑った。

「じゃあ今日は、“正しさの迷宮”を歩いてみよう。」



1. “正しい”の正体


ユリエもんは黒板に大きく書いた。


正しさ=視点+価値+目的


「“正しい”は、数学の答えみたいに一つとは限らない。

 人の“正しさ”は、その人が何を守りたいかで変わる。」


のぶたんは顔を上げた。

「守りたいもの?」

「たとえば、Aさんにとっての“正しさ”が“秩序を守ること”。

 Bさんにとっての“正しさ”が“自由を守ること”。

 同じ事件でも、正義は反対方向を向く。」


「……なるほど。

 “意見が違う”って、守ってるものが違うだけなんだ。」



2. 正義のトレードオフ


ユリエもんは二つの円を描き、それぞれに「秩序」と「自由」と書いた。

そして、円が重なる部分に小さなハートを描いた。


「社会学では、これを“正義のトレードオフ”と言う。

 “すべての人に優しい”正義は存在しない。

 誰かを救えば、誰かが置き去りになる。」


のぶたんは少し沈んだ顔をする。

「じゃあ、正義って、悲しいね。」

「ううん。だからこそ、話し合いが必要なんだよ。

 一人の“正しさ”は狭いけど、みんなでぶつけ合えば、少しずつ広がる。」


「つまり、討論で疲れたのは……正しさが成長してる途中だったのか。」

ユリエもんが微笑む。

「そう。“ぶつかる”ことは、“考える”ことの証拠。」



3. 感情と理性のバランス


ユリエもんはチョークで脳の絵を描き、右側に“情動”、左側に“理性”と書いた。


「人は“正しさ”を理性で語るけど、感じているのは感情なんだ。

 “怒り”や“悲しみ”が正義を生む。

 でも、感情が強すぎると、正義が“復讐”に変わる。」


のぶたんは小さくつぶやく。

「……SNSとか、そんな感じだね。

 “正しい怒り”が、いつの間にか“叩きたい”に変わる。」


ユリエもんはうなずいた。

「だから、正しさを守るには、“冷たさ”じゃなく“冷静さ”が必要。

 怒りを消さずに、形を変える力。——それが成熟した正義。」



4. ルールと想い


ユリエもんは黒板に四角を描いて、〈ルール〉と書いた。

「“正しさ”の多くは、ルールの形で保存されてる。

 でも、ルールが“目的”になった瞬間、正しさは止まる。」


のぶたんは首をかしげる。

「どういうこと?」

「たとえば、信号を守るのは“安全のため”。

 でも、誰かが倒れていたら、“安全”の定義が変わる。

 そのとき、“赤でも走る”のが本当の正しさになるかもしれない。」


「……ルールを破る勇気も、正しさの一種?」

「うん。“正しさ”は“何を守るか”を考え直すこと。

 だから、答えじゃなく、動詞なんだ。」



5. 対話という救い


「でもさ、ユリエもん。

 正しさがぶつかるとき、どうしたらいいの?」


ユリエもんはチョークを回して答えた。

「“相手の正しさを借りる”んだよ。」

「借りる?」

「うん。“私はこう思う”じゃなく、“あなたはなぜそう思うの?”って聞く。

 それだけで、世界が二つに増える。」


「それ、ちょっと怖いけど、きっと優しいね。」

「そう。“正しさ”をぶつけるより、“視点”を交換する方がずっと強い。」



6. 黒板の三行

1. “正しさ”は守りたい価値によって変わる

2. ぶつかる正義は、成長途中の社会の証

3. 相手の正しさを借りると、世界が広がる


のぶたんは深く息を吸い、進路討論での議論を思い出した。

「……あの子の意見、ちょっとムカついたけど、

 もしかして“別の正しさ”を守ってただけかも。」


ユリエもんは頷いた。

「そう。“理解”は、和解の一歩前。

 そして、“和解”は、学びの一歩先。」


夕陽が黒板に射し、チョークの粉が金色に光った。



Epilogue


正しさは、刃にも、橋にもなる。

人を切るか、人と渡るかは、その使い方次第。


今日もまた——ユリエもんとのぶたんは、

互いの“正しさ”を借りながら、世界を少し丸くしていく。



次回(予告)

第12話「なぜ“過去”は忘れられないの?」

──記憶の科学と、後悔をやさしく包む哲学の回。

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