第7話 なぜ人は“他人の失敗”が気になるの?

昼休みの屋上。

風が少し冷たい。

のぶたんはパンの袋を開けながら、ため息をついた。


「……また炎上してる。」

スマホの画面には、誰かの“失敗”を笑うコメントが並んでいる。

「この人、ちょっと間違えただけなのに。」


ユリエもんはベンチに座り、空を見上げた。

「“誰かの失敗”って、どうしてこんなに注目されるんだろうね。」

「ね。私も見たくないのに、気になっちゃう。」

「それが今日の授業テーマだね。」



1. 失敗を“見る快感”


ユリエもんは紙ナプキンの裏に丸を描いた。

〈快〉と書かれた円の上に、小さな矢印が立つ。


「人の失敗を見るとき、脳では“報酬系”が少しだけ反応する。

 特に、自分と似た立場の人の失敗ほど。」


「え、ひどい。でも、なんかわかるかも。」

「そう。“シャーデンフロイデ”——他人の不幸を喜ぶ心理。

 進化心理学では“自分の地位を確認する”ための仕組みとされている。」


のぶたんは眉をしかめる。

「つまり、人の失敗を見ると、安心するってこと?」

「うん。“自分だけじゃない”って安心。

 でも、それが過ぎると“優越感”に変わってしまう。」



2. 共感と優越のあいだ


ユリエもんはナプキンに二本の線を引いた。

一本は“共感”、もう一本は“優越”。

そのあいだに、小さな揺れる振り子を描く。


「人は、他人の失敗を見たとき、この振り子の間で揺れる。

 “わかるよ”と思うか、“ざまぁ”と思うか。

 その境界を決めるのは、“自分が満たされているかどうか”。」


「え……?」

「余裕があるとき、人は他人に優しい。

 でも、自分が傷ついてるときは、他人の転倒が少し気持ちいい。」


のぶたんは静かにパンをちぎる。

「じゃあ、“悪い人”じゃなくても、叩いちゃうのか。」

「そう。叩く人も、どこかで誰かに叩かれてる。」



3. SNSという鏡


ユリエもんはスマホの画面を覗き込んだ。

「SNSは、“比較の拡声器”。

 誰かの失敗も、誰かの成功も、同じ速度で広がる。」


のぶたんは小さく頷く。

「“誰かのミス”が、まるでニュースみたいに流れてくる。」

「そう。脳は“感情の刺激”を報酬として学習する。

 怒りも笑いも、強い感情ほど記憶に残る。

 だから、つい見に行ってしまう。

 ——“怒りのアルゴリズム”って呼ばれている現象だよ。」


のぶたんはスマホを閉じた。

「……じゃあ、見ない方がいいのかな?」

「見てもいい。ただ、“感じ方”を意識すればいい。

 “怒りを見て、自分は何を感じてるんだろう”って。」



4. 赦しの心理


風が吹く。

空を渡る雲が、ゆっくりと影を落とす。


ユリエもんが静かに言った。

「実は、“他人の失敗”に敏感な人ほど、“自分の失敗”を許せない傾向がある。

 自分の中の傷が、他人の過ちを鏡みたいに反射するんだ。」


のぶたんは目を伏せた。

「……わかる気がする。

 私もテストで失敗すると、人のミスにイラッとするもん。」

「うん。でもね、誰かの失敗を許す練習は、

 自分を許す練習でもある。」


のぶたんは顔を上げた。

「じゃあ、許せる人って、強い人なんだね。」

ユリエもんは首を振る。

「強いというより、折れたことがある人。

 痛みを知ってるから、痛みに優しくなれる。」



5. 失敗の価値


「でもさ、失敗って、やっぱりイヤじゃん。」

「うん。でも、失敗は“失敗”として起きた瞬間だけが痛い。

 時間が経つと、それは“情報”になる。」


ユリエもんは黒板に線を引く。

〈出来事〉→〈感情〉→〈意味〉


「人は、“意味づけ”をするときに成長する。

 だから、他人の失敗を笑うより、

 “その人がどう立ち上がるか”を観察する方がずっと面白い。」


のぶたんは笑った。

「ユリエもんって、ほんとに失敗しなさそう。」

「たくさんしてるよ。でも、

 ——“正しく間違える方法”を覚えたんだ。」



6. 黒板の三行

1. 他人の失敗を見るとき、人は“安心”と“優越”の間で揺れる

2. 許せる人は、自分の痛みを知っている

3. 失敗は“意味”を得たとき、知恵に変わる


のぶたんは黒板の文字を見つめ、ふっと笑った。

「ねぇユリエもん。」

「なに?」

「私、次に誰かがミスしても、“笑う”より“声かける”方を選びたい。」


ユリエもんは頷く。

「うん。その一言が、きっと誰かを立ち上がらせる。」



Epilogue


人の失敗を笑う心にも、

自分を守ろうとする痛みがある。


けれど、赦しはその痛みを、

未来へつなぐ力に変える。


そして今日も、ユリエもんとのぶたんは——

誰かの小さな間違いに、静かに手を差し伸べている。



次回(予告)

第8話「なぜ“孤独”は悪いものと思われるの?」

──社会的孤立と、ひとりでいる力をめぐるやさしい授業。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る