あの日の約束

夜咲ゆな

第1話 消えた春

春の風が、古びた校舎の窓を優しく叩いた。

桜の花びらがふわりと舞い込み、ノートの上に落ちる。

ゆあは、その花びらを指先でそっと払った

黒板の前では先生が授業を続けている。けれど、ゆあの目は、

窓の外に広がる青空と校庭の桜に吸い寄せられていた。

その桜の下に、ひとりの少年が立っている気がした。

──。


どんなときも隣にいた幼なじみ。

保育園のころから、ケンカしてもまたすぐ笑い合えた。

夏祭りでは一緒に金魚をすくい、冬の帰り道は息を白くして並んで歩いた。

けれど高校に入ってからのれんは、少しずつ変わっていった。

何かを抱えているような、遠くを見ているような、そんな横顔が増えた。

放課後、昇降口の前でゆあはれんを見つけた。


「おーい、れん!」


声をかけると、彼は少し驚いたように振り向き、微笑んだ。


「……ゆあ。」


「最近、部活も顔出してないでしょ。サボり?」

「んー、まぁ……そんなとこ。」


れんは曖昧に笑う。その笑顔の奥に、どこか影があった。

ふたりで帰る道は、川沿いの細い小道。

夕暮れの風が頬を撫で、川面には橙色の光が揺れていた。


「なぁ、ゆあ」

「ん?」

「もしさ、突然誰かがいなくなったら……どう思う?」


唐突な言葉に、ゆあは足を止めた。


「え……? なにそれ、ホラー?」


無理に笑って誤魔化そうとしたけれど、れんは真面目な顔のままだった。


「いや、ごめん。変なこと言ったな。」

「……れん、なんかあるでしょ?」


ゆあが見つめると、彼は視線をそらした。


「ただ、ちょっと考えてるんだ。この街にずっといていいのかなって。俺が、ここにいる意味とか。」


ゆあは言葉を失った。

春の風が二人の間を通り抜けていく。


「……そんなの、考えなくていいよ。

れんはれんじゃん。ここにいることに理由なんていらないでしょ?」 


れんは何も言わず、少しだけ笑った。

けれどその笑顔は、どこか“さよなら”みたいだった。


翌週の朝。

いつものように学校に行くと、れんの席が空いていた。

先生が「家庭の事情でしばらくお休みします」とだけ告げた。


その翌日も、そのまた翌日も、席は空いたままだった。

放課後、ゆあはれんの家を訪ねた。

何度呼んでも、返事はなかった。

郵便受けにはもうチラシが溜まっていて、窓のカーテンも閉ざされていた。

向かいの家のおばさんが小さく言った。


「夜桜さん一家、昨日引っ越したのよ。急だったから、誰も挨拶できなくてねぇ。」


頭の中が真っ白になった。

どうして、何も言わずに──。

家に帰ると、机の上に一枚の封筒が置かれていた。

差出人の名前はなかったけれど、すぐに分かった。れんの字だった。

震える手で封を切る。

中には、小さな紙切れが一枚。

そこに書かれていたのは、たった一言。


「ごめん。」


その文字を見た瞬間、涙が頬を伝った。

理由なんて、どんな言葉でもよかった。

ただ、一言「さよなら」でも、「またね」でも言ってほしかった。

春の風が部屋に吹き込み、机の上の紙を揺らした。

その向こうで、窓の外の桜が静かに散っていく。

まるで、彼が消えた春を見送るように。

──あの日から、ゆあの中で時間が止まったままだった。

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