第2話 森の館、眠る少年を囲む夜

 ——眠る少年の横顔が、ナナの世界を静かに侵食していく。

 守りたいのか、奪いたいのか――その境界をまだ知らない。



 ——

 森に夜が訪れる。疲れて眠ってしまったトキを抱えて、ナナはベッドに運んだ。

 

 腕にかかる重みは、まだ子供の特徴を多く残す少年だけに、ナナでも何とか抱いて運べるものであった。

 

 ベッドに少年の身体を横たえる。そして、そっと、起こさないように、柔らかにシーツを身体にかけ、ナナはじっと、少年の寝顔を眺めていた。


 少年が寝息をたてる度に、ナナの肩の力が抜け、無事に連れてこられたという安堵の気持ちが心に広がった。

 

 そして、この子を追い回した連中を想像した瞬間、怒りの感情に一瞬囚われる。

 すると、ナナの身体の周りに、何か名状しがたい力のようなものが現れる。その力はゆっくり部屋中に拡がっていき、窓の硝子にあたってカタっ、と小さく音を立てた。

 

「怒りの感情で力を使うのは、一番の未熟者のすることだよ、ナナ」

 

 そう言って、ウリルが部屋に入ってきた。


 窓の外で鳴く虫の声は、この部屋までは届かない。夜の静けさが二人を包んでいた。

 

「ごめんなさい、お師匠様」


 そう素直に謝るナナに、ウリルは優しく声をかけた。

 

「いいさ、今は失敗しても。大事なときに失敗しない為に、修行するんだからね。お茶をいれたから、一緒に飲もうと思ってね」

 

 ウリルは両手に持ったカップを掲げてみせた。

 

「ありがとうございます」

 

 ナナはベッドの傍の小さなテーブルに備え付けの椅子に腰掛けた。

 

「美味しいです、お師匠様」

 

 そう言いながらも、ナナの視線はつい、トキの顔の方を追ってしまう。

 

「その子のこと、気に入ったのかい?」

 

 とそう問いかけるウリルに、ナナは不思議そうに返事をした。

 

「気に入る……」——ナナは首を傾げる。

 

「ただ守ってあげたいと思ったんです」

 

 そう言ってトキをみつめた。

 

「保護したい気持ちと、執着は、紙一重だね、ナナや」

 

 そう言いながら、ウリルは目を閉じて何かを考えているように、ナナには見えた。

 

 ナナは師匠の言葉を反芻して、考えてみる。見つめる先でトキは規則正しい寝息を、静かに部屋に響かせている。

 ナナは、じっと、ただその音を聞いていた。


 

「そろそろ、お前にも話しておいてよい時期かもしれないねぇ……」

 

 と感慨深そうに語るウリルに、ナナは尋ねた。

 

「何のことでしょうか?」


 ウリルがじっとナナを見つめる。


 ナナは師匠から目を逸らせなくなった。

 

「はじまりの魔女、聞いた事はあるかい?」

 

「はい、古代の伝説ですよね、読んだ事があります」

 

 そう言ってナナはその内容を諳んじた。

 

 「はじまりの魔女は、世界がまだ幼かった頃に生まれた。

 光と闇の狭間に立ち、すべての魔力の源をその身に宿した者。

 彼女が眠るとき世界に夜が満ち、

 彼女が目覚めるとき世界に朝が訪れる。

 魔力の奔流は彼女の息吹であり、

 大地の実りは彼女の涙が育てた。

 永劫の時を生き、

 人の世の営みに関わらぬ『最初の魔女』。

 その力を求めて世界は争い、

 最後には彼女を封じ、静かな眠りを与えた――

 ……と、本には書かれていました。」

 

「そうだねぇ、公に語られている内容は、そうだ。……けれど、語られない部分もある」

 

 そう言って、ウリルは伝説の真実を話はじめた。

  

「昔、古代魔法文明が世界を支配していた頃、人造兵ホムンクルスと呼ばれる、造られた生命であり、武装である存在があった」

 

 暖炉の薪がぱちぱちと爆ぜて、炎が揺らめいた。その影の揺らめきがナナの不安感を煽った。

 

「生きている武器……って何なんでしょう?」

 

 ナナはそう聞いてみた。ナナは、無意識に胸元を押さえていた。

 

「そうさねぇ、詳しくは私も知らないけれど、古代人の魔力を力に変えるものだったという話だよ。その力で、古代人の文明は栄華を誇っていた」

 

 そこまで話すとウリルはすっと視線をトキに向け、そしてまたナナの方を見て話し始めた。

 

「そんなある時、生き物である人造兵ホムンクルスとの間に子をなしたら、どんな生き物が生まれるのか、そんな妄執に囚われた古代人の研究者の女が居たのさ」


 ナナは、その言葉を聞いて目を驚きに見開いた。 


「その女は自分の身体を実験台にして、子をなした。その子こそ、はじまりの魔女、その娘は、自ら膨大な魔力を持ち、自分だけであらゆる人造兵ホムンクルスを上回る力を示した」

 

 ウリルは、そこまで話すと、お茶を飲んで一息いれる。

 部屋には、トキの寝息だけがしずかに聞こえていた。

 

「その力に興味をもった他の研究者が、当時は奴隷と言われていた人々、今の外の人間だね、彼等を相手に子供を産ませた。その子は、金髪、紅い目、白い肌だったそうだよ」

 

「それが、私たち『魔女』ですか?」

 

「そうだ。そう伝えられているよ。古代人は、はじまりの魔女に危険性を感じたんだろうねえ……私たち魔女はね、生まれつき『聖約リミッター』を抱えさせられているんだよ」

 

 ウリルは指先で空を撫でるような仕草をした。


「自分だけでは強い魔力を扱えない。古代人と協力して、はじめて大きな力になる。そう『造られた』のさ」


 

 長い話を語り終えたウリルは喉を潤すのにカップを傾けたが、すでに中身は残っていなかった。

 

「私、お代わりを淹れてきますね」

 

 と、そう言ってカップを持つと、ナナは台所へ向かった。

 

「この子の魔力、強過ぎる。先祖返りにしても、伝説の古代人のようだよ……」

 

 部屋に残ったウリルは、トキを見て呟いた。 

 その声は、台所でお茶を淹れるナナには届かず、ウリルの思う不安を、まだ共有してはいなかった。

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