42日目 謹慎明け/最強レナさん、教室で嫁宣言
◆
教室のドアを開けた瞬間、ざわり、と。
波打っていた朝の教室の空気が、凍りついたように静まり返った。
「……おい見ろよ、妃だ」
「朝から? 初じゃね? 番組どうしてんだ?」
「なんでウチのクラスに。てか隣、……末永?」
「おい、あれ……手、繋いでねぇか……?」
好奇心、軽蔑、憧れ、嫉妬。有象無象の視線が、一斉にレナさんへ突き刺さる。
「ガッツリ恋人繋ぎじゃん……マジかよ……」
ぼくと出会う前の彼女なら、そんな心無いことを言われて、どうしていたのだろうか。
――いや。ぼくならどうしていたか。
きっと逃げていた。でももう逃げない。
繋いだ掌は、じっとりと濡れている。ぼくのせいだと思っていた、手汗による湿り気。でもきっと、その半分は、彼女のものでもあるんだ。震えているのは、ぼくだけじゃない。
世界中を敵に回しても、この手を離さないと決めたのは、ぼくだから。
逃げる代わりに、ぼくらの体温が溶け合う濡れた手を、強く握り返した。
「ん。行くぞー、オタク」
レナさんは、迷わずぼくの席へ直行する。
クラス中の思考が停止した気配の最中。
ぼくが自分の席に着くと、レナさんは手を離すどころか、当然のようにぼくの机の端に、ちょこんと腰掛けた。
「あのさー、オタク」
甘ったるい声。
教室中の視線が集まる中で、彼女は上目遣いにぼくを見下ろす。
スカートから伸びる、白く引き締まった美しい太腿を、ぼくの二の腕に、むにゅりと押し付けた。
「教科書、見せて♡ アタシ、忘れちゃった」
屈みこんで、とろけるような笑顔。
距離が、近い。近すぎる。
周囲の空気すら桃色に染めるような香り。
教室という場所だからこそ、背徳感が強烈に立ち昇る。
教科書なんて――そもそも彼女は特進クラスで、教科書の種類だって違うはずなのに。
「……れ、れ、れ、レナさん? ……それは、やりすぎ……」
レナさんの、その笑顔は甘いのに、視線だけは冷たいままだ。
ぼくじゃなく、ちらと周囲に向ける視線。外野を黙らせる目。まるで、この席はもう、アタシのものとでも宣言するみたいに。
「んー? わかんない。レイナ聞こえなーい。てか、呼び捨てにしろっ♡」
彼女は、ぼくの二の腕に押し当てた太腿に、さらに体重をかけてくる。
柔らかさと弾力。その熱が、服越しに伝わってきて、ぼくの脳を揺らす。
「いつもみたいに、レイナって呼べ♡」
そんな呼び方、したことない。
でも、教室の空気の変貌で、狙いがわかった。
彼女は、あたかも二人きりの時はいつもそう呼んでいるという、嘘の既成事実を、クラス全員の前で作り上げたのだ。
「ほらオタクー、早くぅ♡」
全て吹っ切れた、無敵のレナさん。
誰もが理解できていない。
人を寄せ付けない氷の女王が、クラスカースト最底辺たるぼくに、猫なで声で甘えている、この状況を。
耳元への息の吹きかけ方が絶妙で、ゾクッとする角度を知っている。
太腿を擦り寄せるリズムが、ぼくの反応を見ながらコントロールされている。
ぼくが謹慎を告げられてから、今日までの32日間。
同期間、自主休校していたレナさんの変貌。
これは、女王の帰還ではない。
最強の嫁による、強烈なマーキング。
教室が、痛いほどシン……と静まり返った後。
「……あ、あ……あ……?」
教室の後方から、壊れたラジオのような、うめき声が聞こえた。
「待てよ。待て、待てって。……オレじゃなくて、あいつ……?」
白目を剥きかけの表情で、自分の頭を抱え、現実を拒絶するように震えている。
「バグだろ……こんなの、ありえねぇ……。クソかよ、ふざけんなよ……」
――直哉が、猛毒を浴びたかのように、苦悶の表情を浮かべて、ぼくらを睨む。
「おい待てよ、レナァッ!!!」
金切り声と共に、彼は机を蹴り飛ばした。
ガシャン、と派手な音が鳴るが、足がもつれたのか、直哉自身も無様にたたらを踏む。
「ぐっ、……おかっ、お、おかしいだろぉっ……!! 間違いだろ? ドッキリなんだろ、これ!?」
涎を垂らさんばかりの形相で、わめき散らす。
「オレだろ!? 選ばれるならオレだろっ!? 末永がなんかやったんだろ!! 脅したのか!? 弱み握ったのか!? 金か!? 親か!! なんでそんな、陰気なゴミと……っ!!」
その姿には、かつてのスクールカースト上位者の威厳など欠片もなく、ただの駄々をこねる子供のようだった。
「なんで……なんで末永なんだよォ!!!!」
空気を読めない――いや、現実を受け入れたくない男の、咆哮。
「はぁ……」
対照的に。
レナさんは、底冷えするような、深いため息を一つ、吐いた。
「……うるさいなぁ。静かにしてくれない?」
まるで、耳元で羽虫が飛んでいるかのように、鬱陶しそうに眉をひそめる。
「噂とか、順位とか。そういうので人を見てる時点で、滑稽」
彼女はもはや、直哉を一瞥もせず。
ぼくの頭の上に、コテンと頬を乗せて、冷たく言い放った。
「今日は、夫の隣に座る日なの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます