謹慎中 ポテチ餌付け1
◆
ページをめくる音が、二つ重なる。
ベッドの上にはラノベの山。ぼくは枕を背もたれにして、開いたままの文庫を両手で支えている。
隣ではレナさんが、同じシリーズの初巻を片手でめくりながら、もう片手でポテチの袋を抱えていた。
表情は、学校で見せるそれと同じ、無表情。
けれど姿はまるで違う。校則違反スレスレの腰まで流れる黒髪は、今はシュシュで無造作にひとまとめにされ、ほつれた後れ毛が首筋にかかっている。
「……ん、おいし……」
独り言とも、吐息ともつかない、気の抜けた甘い声。
横目で盗み見ると、レナさんがリスみたいに小さく頬を膨らませて、小刻みに咀嚼している。
パリ、パリ、パリ。……サクサクサク。
仕草ひとつひとつが、胸が締め付けられるように可愛くて。
学校では「触るな」と氷の視線を向ける女王様が、ぼくの部屋ではこんなにも無防備に、部屋着でポテチを食べている。
「オタクぅー」
甘えたように語尾を引く、蕩けた声。
部屋の空気に溶け込むようなその響きだけで、ぼくの心臓は簡単に跳ね上がる。
「……はい、レナさん」
「これさー。主人公のセリフ、寒くない?」
「あー……まあ、初期の巻だからキャラが定まっていないんですよ」
「ふーん。まあ、ヒロインが可愛いから許すけど」
本当に嬉しい。
レナさんに、この作品の魅力をわかってもらえている。
素晴らしいキャラクターたちや物語。
ページをめくる快感。
ぼそぼそと、最小限の声量で交わす会話。外では話しにくい趣味の共有。
隣に彼女がいて、付き合ってくれるという高揚感が、脳内でぐちゃぐちゃに混ざり合う。
学校の女王様と、カースト最下位のぼくが、肩が触れ合う距離で、同じ物語を読んでいる。
「……ん」
カサリ、と袋の音がした。
レナさんの華奢な肩が動く。視界の端で、彼女の白い手が伸びてくるのが見えた。
「ほら、あーん」
まるで、手のかかる子供をあやすような、ツンとしつつも優しい響き。
レナさんの視線は、開いたラノベの活字に落としたまま。
ポテチを摘んだ指先を、ぼくの口元へ無造作に突き出してきた。
「……え?」
「手、塞がってんじゃん」
彼女はやっぱり、こっちを見ない。
長い睫毛を伏せて、文字を目で追いながら、指先だけで急かしてくる。
芸術品みたいに細くて、艶やかに白い。
爪には、薄い桜色。学校用の派手なやつじゃない。清楚で可愛い、レナさんの素の色だ。
コンソメの濃い匂いが、彼女の甘い匂いに混ざって、鼻をくすぐった。
「早く食べろー」
心臓が跳ねる音を聞きながら、恐る恐る口を開けた。
パリッ、と。
塩気と、コンソメの甘みが口いっぱいに広がる。
「……ん。食べた?」
「はい、お、おいしいです」
「この挿絵の娘、いいよね。衣装かわいい」
「あ、わかります。そのフリルが――」
会話が途切れることなく、また白い手が伸びてくる。「ほら」と短く促され、そのたびに口を開く。ページをめくる、食べる、感想を言う。繰り返しのリズムが、たまらなく心地いい。
まるで長年連れ添った夫婦みたいに、呼吸が合っていく。視線すら合わせず、当然のように次の欠片を運んでくる。
「……オタク、次」
「あ、はい」
三度目か、四度目か。完全に油断していた。
ぼくも、きっとレナさんも。
あまりにも自然な流れで、指先が近づいてきて。
ふにゅ、と、彼女の指の腹が、ぼくの下唇に触れた。
「――っ」
死んだ。
いや、生きた。
電気が走ったみたいに、背筋が震えた。ひんやりとした指先なのに、触れた場所から熱が伝播してくる。
ポテチの乾燥した感触とは違う。しっとりと湿り気を帯びた、レナさんの指の肌。
ほんの一瞬の接触なのに。焼き印を押されたみたいに、唇が熱い。
「オタクさぁー」
レナさんが、ページをめくりながら、気だるげに呟く。
「食べるの、遅」
「ふぁ」
慌てて噛み砕いて、飲み込む。
「次。口開けろー」
「え、……また?」
「アタシ一人で食べたら太るし。連帯責任」
理不尽な理由をつけて、指が伸びてくる。今度は、さっきよりも深く。
口を大きく開けて、用心深くポテチを咥えようとすると。
彼女の指先が、舌に触れてしまった。
(あ……!)
しまった、と思った時には、もう遅い。
レナさんの指が、びくりと震えて、引っ込んだ。
「ふぉ、……んぐ、ごめん、レナさん……っ!」
何てことを。身体が強張った。
けれど。
代わりに聞こえたのは、ちゅっ、という、小さな水音。
「――え?」
そして、「……ぷは」という、艶めかしい吐息。
驚いて隣を見ると。
レナさんは、ラノベを読み耽るような眼差しのまま、もう一度――。
ぼくの目の前で。
粉と唾液がついた指先を、自分の唇に沈めて、ぺろりと舐め取った。
「……!」
脳が、いっぺんに白くなる。
今の、何。
見間違いじゃない。
口から離されたレナさんの人差し指は、さっきよりも深く濡れて、艶かしく光っている。
「……」
レナさんは、ページをめくろうとして、動きが止まる。
指が濡れていることに気づいたらしい。
無防備な無表情のまま、自分の指先を見つめて。それから、ゆっくりと、ぼくの方を見た。
目が合う。
一秒、二秒。
静寂が、痛い。
「……こほん」
ぽつりと、小さな咳払い。
「……見た?」
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