4日目-2 ご褒美ランチ(教室)2

「……………………はい?」


 今、なんて? ぼくの耳が、幻聴を拾ったか?


「……だから、あーん」


 レナさんはそう言うと、拗ねたような目をこっちに向けて、さらに口を開けた。


(あ、あ、あ、あ、あーん!? むりむりむりむりっ)


 ここ、教室! 公開処刑のど真ん中!

 クラスカースト頂点の陽キャ男子たちが、鬼のような形相でこっちを睨んでいるのが見えた。中指を立てられている。机を殴る音もした。

 視界の端がチカチカする。これをやったら、ぼくは明日、学校の裏でどうなるか分からない。

 ……でも。

 目の前のレナさんは、最高に楽しそうだ。

 無表情を装おうとしているくせに。口を開けたまま「まだ?」とでも言いたげに、そわそわと膝を揺らしている。

 期待に満ちた瞳が、チラッチラッと、箸の先の唐揚げを見る。

 いや、これは、唐揚げではない。

 その先にいる、ぼくを見ているの?


  ぼくが、カーストとか、公開処刑とか、きっとレナさんに言わせれば「つまんない」の一言で片付くことに、どれだけ怯えて縛られてきたんだろう。

 どう立ち向かうのか、試されている。

 あの時彼女が言った『退屈させないヤツ』に、なるんだ。


「……っ」


 震える手で。

 日増しに悪化する、クラスメイトの殺意と、嫉妬と、好奇を一身に浴びながら。

 一番大きな唐揚げを、彼女の口元へ運んだ。


 パクッ。


 レナさんは、ぼくの箸ということに構うことなく、唐揚げをくわえ取った。

 そして無表情のまま、丁寧に咀嚼して、飲み込んだ。


「ん。味、濃い。お前のオフクロ、どんなん」

「ふ、普通のお母さんだよ」

「ふーん。わかってんじゃん? うまいよ」


 食べた。

 唐揚げを、レナさんが、食べた。

 ぼくの箸で。

 ぼくの箸で……!!


「じゃあ、交換」


 箸先を見つめてぼーっとしていると。

 レナさんが自分のお弁当箱から、ハートの卵焼きの片割れを箸で掴んだ。

 目の前に、ずい、と突き出される。


「ほら」

「へ?」

「唐揚げもらったから。あーん」


 脳が、沸騰する。

 だって、その箸。


「き、き、き、き、妃さんの……っっ」


 彼女の動きが、ピタリ、と止まった。

 差し出された卵焼きも、完璧な無表情も、そのままに。


「……あ」


 呼び間違い。その、刹那。

 レナさんがぷくーっと、両方の頬をリスみたいに膨らませた。

 唇がこれでもかと、ひらがなの「へ」の字に曲げられる。

 そしてぷいっと顔をそむけた。

 突き出されたままの卵焼きが、彼女の怒りを表すように、ぷるぷると震えている。やばい。地雷を踏み抜いた。


「れ、レナさん、ごめん……」


 でもその怒りは、次の瞬間にはもう、いつもの無表情に隠された。


「いらないわけ? アタシが作ったやつ」


 そっぽを向いたまま、もう一度、卵焼きをずい、と突き出す。


(……せっかく、ハート型にしたのに)


 そして、ぼくだけに聞こえるような、小さな声。

 お団子ハーフアップで強調された、完璧な横顔。

 真っ赤に染まった耳と、首筋。


(もう、だめだ)


 本音は、隠せない。

 クラス全員の視線を、一身で受け止めて、その卵焼きに、口を寄せた。

 パク、と。彼女の箸から、直接。


 三日前のバニラとも、今日のキャラメルとも、違う。

 ひたすら甘い出汁の香りが口いっぱいに広がった。


「……あまい」


 ぼそりと呟くと、こっちに向いたレナさんが、限界だったとでも言うように。

 瞳を狭めて「ぷくくっ」と噴き出した。

 箸を置いてから、くつくつと腹を抱えて笑い出す。


「そりゃ、そう。普段入れないくらい、砂糖入れたから」

「えっ!」


 どうしてそんなことを? それって、いたずらじゃん。

 まさか、ぼくに、食べさせることを前提に?


「オタク純粋すぎ。……ウケる……!」


 教室中の視線は、まだ痛い。

 でも、レナさんが笑っている。ぼくを見て、楽しそうに。


 ぼくが、彼女のからかいに、勇気を出して応えれば。

 目の前の笑顔は、何度も見ることができるのだろうか。

 レナさんが初めてこの教室に来た日の帰り際。

 世界の全部を諦めたみたいに「つまんない」と言った、あんな後ろ姿をさせなくて済むのだろうか。


 あんなにも苦痛だったクラスの視線が、何故だかもう、どうでもよくなっていた。

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