悪夢の夜

枷藤耶大

悪夢の夜

連休最後の夜は、明日を見越していつもより早めにベッドに入った。

明日からはまた新たな一週間が始まる。そうなれば自らの勤めを果たさなければならない。

憂鬱な思いを感じつつ、瞼を閉じた。

寝返りを打ちながら、眠りにつきやすい体勢を探した。

俺は普段から寝つきが悪いので、眠るまでは辛抱がいる。無心でひたすら目を瞑る。考え事などしては眠りが遠のいてしまう。

だがこんな時に限って、明日を見据えて早く眠りにつこうとしている時に限って、要らないことばかり頭に浮かんでくる。

今日一日の回想が無意識のうちに流れてくる。思い返すほどの事はしていないのに、脳が勝手なことをし始める。

そしてベッドに入る直前まで見ていたものが、延々と脳裏で繰り返される。

或いは映画などのなんて事ない一場面が意味も無く思い返される。

或いは幼い頃に耳にした、好きでもなんでもない音楽が無限にループする。

段々と掛け布団の下の体が火照ってきて、暑さに耐えきれず両腕を出してみる。

だけどそれだと寒い気もして、また腕をしまう。

また暑くなってきて腕を出し、寒くてしまい、出し、しまい……。

眠れないまま時間が過ぎて、目を開けてはいけない開けてはいけないと思うのだけれど、どうしても気になって時間を確認してしまう。

見れば、眠れないまま三十分が経っていたようだ。

眠りが訪れる予感は一向に来ない。

そして、目を開いてしまったことを後悔する。ただでさえ眠れなかったのに、一度瞼を開けたばかりに目玉が活発になる。今となっては瞼を閉じても、その下で目玉がぐるぐると途方もない闇を網膜に映し続ける。

次第に明日のことがちらつく。

このまま起き続けていたら、明日が辛くなる事は分かっている。

だが多分、今夜は眠れない気がする。これまでの人生から来る予測、というと大袈裟かもしれないが、そんな様なものがこの夜が長くなることを告げている。

ならばいっそのこと起きて仕舞えばいいのではないか。開き直ってベッドから飛び起きて、映画なりゲームなり本なりで時間を潰して、朝を迎えれば良いのではないか。

だけど、そんな勇気はない。朝までは楽しくとも、その日の活動が辛くなってしまうような行動はしたくない。

それに、眠れずとも目を瞑っているだけでも疲れは取れるという。眠れぬままでも良いのだ。

そんな消極的な自己肯定をして、目を瞑り続ける。

変わらず脳裏には要らぬ回想が立ち浮かぶ。それが眠りを妨げて、意識を冴え渡らせる。

また時間が気になって、少しだけと言い聞かせて時計を見れば、すでに一時間が経過しようとしている。

それだけの時間を瞼の下の暗闇のなかで過ごしてしまった。眠ることもできず、余計な考え事に費やした無為な一時間だ。

また後悔。瞼を開けてしまった。目と脳は覚醒してしまう。

段々と眠れない自分が無性に情けなくなる。

自分の肉体を御しきれないことや、他愛無い欲望に負けてしまう薄弱な自意識が、これ以上ないほど恥ずかしくなってきた。

世の人々は今はもう夢の中。俺だけが取り残されて現世に留まっている。俺だけが置いていかれている。視界を覆う闇に押しつぶされそうになってくる。

情けなさは次第に苛立ちへと変容していく。

瞼の裏を写す眼球が、覚醒し続ける脳みそが憎たらしくなってくる。

言うことを聞かない両目を掻き出してしまいたい。二つの球体を抉り出し、それに繋がる視神経や血管をぶちぶちと千切ることができたら、どれほど快感か。

要らない覚醒を続ける脳みそも取っ払ってしまいたい。頭蓋骨の内側が痒い様な感覚に襲われて、今すぐにでも脳みそを握りつぶしてやりたく思われる。

それらは自身への激しい怒りを通り越して、殺意に至る。

明日に向けて備えていると言うのに、十全に休息を取ることができない体など捨ててしまえ。

だけどそうもいかない。死んでしまうことは躊躇われた。


ふと気づけば、目の前にもう一人の自分がいた。虚な目を開いて、まるで鏡写しの様に横たわっているもう一人の俺。人形の様に生気がない。

嬉しく思った。

自分が死なずとも、この目の前の俺を殺せばいいじゃないか。それでこの鬱憤は解消される。

まずは眼球を潰してかき混ぜてやった。突っ込んだ指先が人肌ほどの暖かさに覆われる。ぐちょぐちょと粘着質な音を立てて、半液体化していく目玉にストレスが霧消していく。途端に、鼻腔に絡みつく血生臭い香りが立ち込めた。むせかえるほどの鉄臭い血液のにおい。たまらなくなってその目玉を口に運んで啜ってみた。美味くはない。だけど、自身の体を食べるという錯誤が快感だった。

次に頭をかち割った。素手で思い切り叩いてみると、案外簡単に頭蓋骨が割れてくれた。

じわじわと滲み出す脳漿。頭蓋骨の割れ目から覗く、鮮やかな肉の色をした脳みそ。

目玉と同じくかき混ぜてやる。片手をいっぱいに突っ込んでやると、頭蓋骨の中は灼熱の様に熱かった。熱さに耐えながらかき混ぜると、ぬちぬちといやらしい音が響く。血の匂いはさらに濃くなる。

指についたピンクの己を舐めとる。こちらは美味かった。強烈な鉄の味を超えると、素朴な甘味のようなものが感じられた。

それからしばらく、自分を破壊する快感に浸り続けた。もう片方の目を潰しては口に運び、頭蓋骨に手を突っ込んでは口に運ぶ。

気づくと感じていた己への殺意は消えていた。異様にすっきりとした自意識だけが残った。

ふと目の前の死骸の全身を視界に収めた。最初は完全な自分だったものが、今は疑うことなく亡骸になっていた。

空洞と化した双眸からはとろとろと流れ出る目玉だった物が。

割れた頭からはかき混ぜて液体と化した部分と、未だ原型をとどめている紐のような脳みそがこぼれ落ちていた。

その有り様を見ていると嫌に虚しくなって、激しく悲しくなった。

目の前の自分はもう目を覚まさないのだと思うと、もう一人の俺自身すらも死んでしまったように思えた。

まだやりたい事があったのに。

道半ばで死ぬなんて最低だ。

殺したのは自分なのに、なんという身勝手だろう。

いつしか俺の目から流れ落ちるものがあった。それが涙なのか、液体の目玉なのかは分からなかった。

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悪夢の夜 枷藤耶大 @Yahiro_Ksehuzi

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