推しの死、認めません。

植月和機

第1話 推し、死すべからず

 「あ——————っ!また死んだ!!」


 深夜2時。 残業で死んだ魚の目をした私が、PCの前で絶叫した。 画面いっぱいに映し出されているのは、美貌の青年が血を吐いて倒れるムービー。


 「わかってる!もう何十回も見たから、ここで死ぬってわかってる!」

 「けど!何度見ても最悪!!」


 私の「最推し」、アレクシオン・フォン・ユリアヌス。


 戦略シミュレーションゲーム『大覇軍』。 その東(オロカディア王国)を率いる若き王。


 このゲームには、純粋な戦略だけを競う「大覇軍モード」と、キャラクターのドラマを追う「ストーリーモード」がある。 そして、私の推しアレクシオン様は、この「ストーリーモード」の序盤、信頼していた部下に裏切られ、祝宴であっけなく毒殺されてしまう。

 じゃあ、ストーリーモードなんてやらなきゃいいじゃないか、って?

 できるわけないでしょうが!!

 だって、ストーリーモードじゃないと、推しが喋ってくれない! この、序盤の遠征シーンで見せる凛々しいムービーも、内政シーンで聞けるあの麗しいボイスも、全部ストーリーモードにしかないんだから!


 「推しの供給(ボイスとビジュアル)を摂取したい…でも、摂取すると推しが死ぬ…」


 この理不尽なジレンマ! 私は今日も推しの麗しいお顔を見るためにストーリーモードを起動し、そして、わかっていた結末(毒殺)に新鮮に憤慨していた。

 

 「もう耐られない!」


 私は傷ついた心を癒すため、もう一つのモードを起動する。


 「いいわ…こっちのモードなら推しは死なない!」

 「私が『大覇軍モード』で推しを覇者にする!」


 ドラマパートを排し、純粋な戦略だけで大陸の覇権を競うモード。 地形、資源、兵科の相性、イベントフラグ…。 私はこっちのモードでアレクシオン様を勝たせるため、日々勉強しているのだ。


 「けど…ふぁぁ…。さすがに、眠い…」


 明日も仕事だ。 アラームをセットし、ベッドに倒れ込む。


 (夢の中だけでも、アレクシオン様に会いたいな…)



 暗い。 寒い。 誰かのうめき声が聞こえる。


 (…あれ、私、寝てるはずだよね?)


 意識だけが、冷たい水底に沈んでいくような感覚。 その時、どこか遠くで、切実な若い女性の声が響いた。


 「…ぁ…」


 「…げて…」


 (誰…?)


 「どうか、陛下を…」


 声が、急速に近づいてくる。 それは、悲しみと、絶望と、そして最後の希望を振り絞るような、悲痛な叫びだった。


 「どうか、陛下をお救いください」



 「——!!」


 激痛。 全身を槍で貫かれたような、灼けつく痛みで意識が浮上する。


 「ぐっ…ぁ…!?」


 喉から漏れたのは、自分のものではない掠れた声。 目を開けると、視界は血と泥で霞んでいた。


 (痛い、痛い、何これ!?)


 ヒュンッ、と空気を切り裂く音。 すぐ側の大地に、黒い矢が突き立った。


 (矢!?)


 周囲は怒号と鉄のぶつかり合う音で満ちている。 森、馬、血の匂い。


 「斥候部隊は全滅だ!本隊に知らせろ!」 「ダメだ!タザール連合の騎馬隊が早すぎる!」


 (タザール連合…?)


 聞いたことのある単語。 痛む頭で必死に思考を巡らせた瞬間、脳内に他人の記憶と、そして…私がやり込んだ「ゲームの知識」がフラッシュバックした。


 (嘘でしょ…ここ、『大覇軍』のオロカディア北部マップ、『嘆きの丘』!?)


 そして、私(アリア)は、今日ここで死ぬNPC。 タザール連合との初戦で、敵の伏兵に気づけず、本隊に情報を伝えられないまま戦死する、斥候。

 

 (冗談じゃない!)


 私は今、推し(アレクシオン)の陣営の兵士になってる。 しかも、この戦い、斥候が情報を持ち帰れなかったせいで、アレクシオン様の本隊も被害を受けるはず!


 (アリア…あなたが言っていた「陛下」って、やっぱり!)


 私は最後の力を振り絞り、懐から狼煙筒を掴む。 敵の伏兵はどこか。


 『大覇軍モード』で脳内に焼き付けたマップが、現実の風景と重なる。 伏兵の最適配置は——


 (あそこだ!)


 崖の上! 茂みの向こうに、タザールの騎馬弓兵の影が微かに見える!


 私は震える手で、本隊に「敵伏兵、崖上にあり」を意味する特殊な色の狼煙を打ち上げた。


 パンッ! と乾いた音を立て、赤い煙が空に上がる。


 (やった…これで、推しの損害は…)


 その時、地響きと共に、茂みから騎馬の一団が現れた。 先頭に立つ一人の騎士が、狼煙の上がった崖の上と、血まみれで倒れる私を交互に見て、目を見開く。


 「…よくぞ報せてくれた」


 その声。 その銀糸のような髪。 その、ゲーム画面でしか見たことのなかった、アメジストの瞳。


 間違いない。


 「…アレクシオン、様…」


 私の「最推し」が、私を見下ろしていた。


 「貴様、名は?」


 (推しが、私に、名前を…!)


 ああ、推しが…生きてる…! 意識が霞む。名前を、伝えなければ。


 「ア…」

 「陛下! 崖上の伏兵が動きます!」


 側近らしき騎士の声が響く。


 「チッ…レオン!部隊を分けるぞ!伏兵を追う!」

 「御意!」


 アレクシオン様が、私に背を向けて駆け出す。

 その凛々しい背中を見届けたのを最後に、私の意識は今度こそ暗闇に落ちた。

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