うちの執事は有能より可愛いが勝つ!!
米穀店
始めましてから、もう既に可愛い
桜が満開を迎える4月、世の中では入学、入社といった新しい出会いにもう1つの花を咲かせている。
そんな中、桜並木を通り抜ける洗練された黒塗りの車に乗っているこの男も今まさに、新しい出会いを迎えようとしていた。
「坊ちゃま…いや、慶彦様、この度は会長就任おめでとうございます」
助手席に乗った50代位であろう、執事服に身を包んだ物腰の柔らかそうな男性が柔和に微笑んだ。
一方で後部座席にて長い足を伸ばし、サイドミラーの取っ掛かりに肘をついて外を眺める青年・鴻上慶彦は納得いかないといった表情を浮かべている。
「それはもう決まった事やからしゃあないとして…」
慶彦が肘を戻して腕を組み、どかっとシートにもたれかかると、わざとらしいため息を吐いた。
「まさか金城まで親父が持って行くとは思わんかったわ!」
「申し訳ございません、慶彦様…」
金城と呼ばれた執事服の男は苦笑いを浮かべながら、額の汗をハンカチで拭いた。
「巌様は会長職をご勇退後、国内中の温泉宿を制覇したいとの事で、そのお供として有り難い事に私が任命されまして…」
「自分の道楽と会社の将来、どっちが大事なんやあの親父は!」
金城の言い訳とも取れる弁明を遮って、慶彦は今頃会長の重圧から解かれ、意気揚々と旅行サイトで温泉宿を調べているだろう自身の父親へ届かない恨み節を投げつけた。
百年以上続く老舗でありながら、斬新な経営戦略や事業の拡大等で今も尚進化を続ける菓子メーカー・鴻上物産。
現在は福祉事業等への参入も行っている事から、鴻上物産改め鴻上グループとして、国内の産業においてはトップクラスの企業を誇っている。
そんな巨大グループを圧倒的な人望と貫禄で牽引してきた会長・鴻上巌が現役を退き、この度、厳の子息で、鴻上物産営業部長そして福祉事業の子会社社長を務めていた慶彦が、その跡目を継ぐ事となったのだ。
当の本人は、この起用をはた迷惑に感じているらしい。営業部では結果を出すため自らの足で東奔西走し、福祉事業では近隣の福祉施設を視察(という名の支援)で向かうというハードスケジュールで、例え休みが月1回程度となってしまっても、自らの身体1つで結果を出す事こそが、仕事の醍醐味と考えていたのだ。
そんなアナログ人間が突然企業のトップとなり、自分ではなく人を動かす立場になるのは、慶彦にとって正直窮屈で仕方なかった。
だが息子とはいえ、鴻上グループのイチ社員である以上、会社からの辞令は絶対だ。何の不安も無いと言えば嘘になる。だからこそ、長年鴻上家に仕え、穏やかながらもその冷静沈着な優秀さで、陰から鴻上家の繁栄を支えてきた敏腕執事・金城を必要としていたのに、その金城すらも巌は連れ去っていくというのだ。
先程まで行われていた鴻上グループ会長就任のニュースが車内のテレビで流れる中、車は巌に変わってこれから慶彦が主となる鴻上家屋敷へと向かっていく。そこには、金城の後任となる執事が慶彦の帰りを待っているとの事らしい。途切れる事なく口元に笑みをたたえる金城がハンカチを畳み直しながら切り出す。
「ご安心ください慶彦様、後任となる執事は、私の様な老いぼれとは比べ物にならない程の逸材にございます」
金城が小さく咳払いをした。
「ジャパン・バトラーアカデミーという機関はご存知ですか?」
思いがけない質問に、慶彦が窓から金城の座る助手席に視線を移す。
「知ってるよ、執事を養成してる学校やろ?」
詳細は知らないものの、一応は上流階級の部類に入る慶彦にもその名は耳に入っているらしい。「その通りでございます」と肯定しつつ、金城は続けた。
「執事という職業に馴染みの無い日本においてごくわずかと言われている執事の養成機関の中で、トップクラスの資質ある者達が集う場と言われております」
いわば“執事界の東大”だろう。慶彦は眉間に皺を寄せて、金城の話に耳を傾ける。
「後任の方はそこで在籍期間中、常にトップの成績を維持しており、学内の関係者から、“百年に1人の逸材”と言わしめた経歴を持つ人物でございます」
金城は慶彦にとってこの話が心からの朗報だと思っているのだろう。「ですのでご安心下さいね」と微笑んだが、更に慶彦の肩をガクッと落とすだけだった。
「何でよりにもよって、そんなヤツがウチにくんねん…」
慶彦にしてみれば、そこまで完璧な人間など息苦しい存在以外の何者でもない。これから始まるであろう完璧な執事との窒息しそうな生活を想像した慶彦は、会長就任式でぴっちりと整えていた艶のある黒髪をわしゃわしゃと掻きむしった。
そうこうしている内に住宅地へ入った事で徐行していた車が1件の豪奢な屋敷の前へと止まった。鴻上家付の運転手がエンジンを止めたと同時に金城が無駄1つない動きでドアを開け、後部座席のドアを開ける。
「慶彦様、到着致しました」
頭を下げる金城を横目に、運転手へ「お疲れ」と一声かけると慶彦は車を降り、屋敷の正門の前に立った。
ここへ戻って来るのはかれこれ10年以上ぶりだ。
元々少年期を過ごした家…言わば実家であるこの場所は、大学入学と共に出ていたのだ。
まさかここの当主として戻ってくる事になるとは…複雑な感情を抱えながら、慶彦は正門をくぐった、その時だった。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
淀み1 つない、凛としたその声を聞いた瞬間、慶彦は目の前にいる青年に目を奪われ、身体を硬直させた。
そよ風にたなびく焦茶色の髪、陶器の様に滑らかな肌と、慶彦をまっすぐ見つめるアーモンドアイ。
長身痩躯で整ったスタイルを執事服に包んだその青年は、目の前の男がまさか自分に心を奪われているとも知らず、言葉を続ける。
「この度は会長就任誠におめでとうございます、本日より慶彦様にお仕えさせて頂きます、黒崎宗介と申します」
大事な自己紹介にも相変わらず慶彦は固まったままだ。金城も慶彦の異変に気付いたらしく、心配そうに彼の方へ首を伸ばす。
「何卒宜しくお願い致します」
宗介が一礼するも何の反応も無く、しばらくして顔を上げるも相変わらず慶彦は眉一つ動かさない。
「ご主人様?」
堪らず宗介が声を掛けると、微動だにしなかった慶彦の唇が小さく動いた。
「…好き」
「…?」
そよ風程度の声で紡がれたその言葉は残念な事に当の本人である宗介に届く事は無かった。
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