--第3節:追憶の階層(記録喰いの影)



 記録の塔の深層は、静寂そのものだった。

 外壁を覆う蔦のざわめきも届かず、石壁に埋め込まれた光晶の灯りが、冷たく揺らめく。

 階層を下るたびに、空気の密度が変わる。

 “記録”という名の情報が、重力のように沈殿している――そんな感覚。


 リクは銃を片手に、慎重に足を進めた。

 同行しているのは、記録視者アーカイヴァーの少女・リア。

 彼女の瞳には、過去の断片が光の文字列として浮かび上がっている。


「この下層には、“記録喰い”が棲むの。塔に蓄積された記憶を、形ごと食べる存在……」

「記録を食う、ね」

 リクは低く呟く。

「つまり、データの破損を装った意思体――スキルの自己防衛反応みたいなもんか」

 リアは小さく首を振る。

「違うの。“喰い”は、あなたたち“誓約者”の存在に反応して生まれる。誓約コードを持つ者の記録を、喰うのよ」


 リクの眉が動いた。

 誓約コード――己のスキルを縛るための制約システム。

 強大な力の代償に、使用者の記憶・感情・生命力の一部を代価とする、いわば“契約装置”。


「……俺のコードを狙ってくるってことか」

「たぶん、そう」

 彼女の声は、かすかに震えていた。


 塔の階層がさらに沈む。

 壁の光晶がひとつ、またひとつと消えていく。

 視界が薄暗くなり、重なる影の中で、何かが“ざらり”と這う音がした。


 リクは即座に銃を構え、スキル・ラインを展開する。

 脳裏に透過ウィンドウが浮かび、青い樹状図が広がった。

 スキルツリーの一部が、ノイズを帯びている。

 ――欠損。

 そこには、本来存在するはずの“誓約コード第5層”が、欠け落ちていた。


「……やっぱり、壊れてる」

 リクの視線が、波打つノイズの奥で止まる。

 リアが息を呑んだ瞬間――塔の床が震えた。


 “記録喰い”が現れたのだ。


 光の粒子を吸い込みながら、影のような人型が這い出す。

 その輪郭は、歪んだ鏡のように揺らぎ、目だけが赤く燃えていた。

 表面には、無数の記号――誓約文が刻まれている。


「……俺のコード、だと?」

 リクの背筋に寒気が走る。

 喰いは、リク自身の誓約を模倣していた。

 「制約:命を削る代わりに弾丸を無限生成」――

 その禁式文が、黒い炎として奴の腕に刻まれている。


 リクは即座にトリガーを引いた。

 銃口から放たれた光弾が影を貫き、壁を焦がす。

 だが影は再生する。撃てば撃つほど、“誓約”の構文を解析し、同じ威力の反撃を繰り出してきた。


「これが……記録喰いの再現力……!」

 リアがスキルを起動し、視界に過去の記録を投影する。

 古代の誓約者たちも、同じ存在に敗北していた。

 “自分自身の誓い”に喰われたのだ。


 リクは一瞬、静かに目を閉じる。

 そして銃を降ろした。


「……誓約コード、再定義――制約解除」

 全身に走る疼痛。

 視界が赤に染まる中、リクのスキルツリーが再構成されていく。

 欠けていた第5層に、新たな枝が芽吹いた。


 ――【誓約:同化】。


 リクは影に向かって歩み出す。

 次の瞬間、彼の身体と“記録喰い”の影が重なり、互いのコードが混ざり合った。

 ノイズが弾け、塔全体が震える。


 ――記録再生開始。


 音声が響いた。

 古代の誓約者たちが、スキル創造の瞬間を見つめていた。

 “神紋”のもとに、スキルという概念が誕生したその時――彼らは誓ったのだ。

 「力は制約と共に在る。代償なき創造は、破滅を招く」と。


 リクはその映像を見ながら、理解した。

 欠損していたのは、スキルそのものではない。

 ――“誓い”の意味を失っていたのだと。


 光が収束し、影が静かに消える。

 残ったのは、金属の欠片のような“記録片”。

 リクはそれを拾い、掌に乗せた。


「……次は、“創造”の記録だな」

 呟きと共に、彼は塔の階段を上がる。

 背後でリアが小さく息を吐いた。


 ――追憶の階層は、静かに沈黙した。


 その奥底に、まだ誰も知らぬ“原初の誓約”が眠っていることを、

 この時のリクは、まだ知らなかった。


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