第5話夜走り梅と十人の誤解

 夜半。

 宿の外は虫の声だけが響き、月が白く瓦を照らしていた。


「のど、かわいた」

 寝ぼけ眼のまま、梅は水を飲みに外へ出た。

 そして、見てしまった。

 黎翔が、いかつい黒装束の男たち十人に囲まれている。

 全員が剣を腰に下げ、沈黙のまま立ち並ぶ様は、まるで処刑の直前のようだった。


「えっ……殿下!? 賊!? 賊ですよね!?」

 思考より先に体が動いた。

 梅は黎翔を脇に抱えると、そのまま全力疾走。


「殿下あああああああっ!!」

「な、ぐぇっ!? やめっ!」

「逃げましょう! 命があればなんとかなります!」

「いや、お前の腕で絞め殺される!」


 その勢いのまま、梅は黎翔をセカンドバッグのように抱え、槍のように振り回し、いかつい男たちをまとめて一撃で倒した。


 塀を飛び越え、裏山を駆け抜け、森を突っ切り、谷を越える。

「……(視界が…横向きのまま…)」

「殿下、もう少しです! がんばってください!」

「…肋骨が折れる!」


 ようやく山の向こうにたどり着き、梅は黎翔を地面に下ろした。

 黎翔の髪は乱れ、顔には枝の跡。まるで山賊に捕まった人質のようだ。


「殿下! もう大丈夫です! 助かりましたよ!」

 しばし沈黙ののち、黎翔は低く言った。


「…その、何かあると脇に抱えて逃げるのはやめろ」

 そして眉をひそめる。


「…それと、あいつらが“私の手下”という可能性は考えなかったのか」

「…へ?」


「“黒燕こくえん”。金と権力に溺れた高官どもの裏金を抜き取る、私の私兵だ」

「…私兵!? 盗賊じゃなくて!?」

「私の兵だ」

 梅はぽかんと口を開けた。

「じゃ、じゃあ……敵じゃなかったんですか!?」

「すみません」

「いや、謝るのは向こうだ。女一人にやられるとは。普段から怠けておる」

 黎翔はため息をついて腕を組んだ。


「“黒燕”は母上の監視を逃れるために作った私兵集団だ。表向きは盗賊団だが、実際は諜報と軍備の訓練をしている。皇位争いに巻き込まれたとき、生き抜くための備えだ。だが、あの傲慢な兄が皇位に着いたら……国がどうなるか分からん。腐りきった王都ごと立て直すしかないかもしれない」


「殿下……まさか、王様になるつもりなんですか?」

「ならざるを得ないかもな」


 その横顔は、月光に照らされて冷たく輝いていた。

 まるで獲物を静かに狙う獣の目。


「そんなこと考えてるなんて、知りませんでした」

「お前に話すと、次の日には宿の女将にしゃべりそうだからな」

「そんなことしません! 聞かれても絶対に言いません!」

 梅はむっとして頬を膨らませたが、すぐに笑った。 

「でも、“黒燕”のみなさん、いい人たちなんですね!」

「高官たちにとっては悪党だ」

「じゃあ、悪党なのに殿下に仕えるって、殿下が立派だから信頼されてる証拠ですね!」

「もう少しましなほめ方を考えろ」


 黎翔は立ち上がり、山の向こうを見つめる。

「黒燕を再び集める。兄上が、そろそろ“動く”」

「え?」

「最小の力で王位を取る」

「それって……反逆ってことですか?」

「反逆の反逆だ」

 梅は少し考えてから、にっこり笑った。


「じゃあ、私もついていきます! 力仕事なら任せてください!」

「……今度は脇に抱えられたくない」

「大丈夫です! おんぶします!」

「やめろと言っておるだろう!!」

 月夜の山に黎翔の悲鳴がこだました。

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