第3話 探求者


「ユウゴくん、それが終わったら今日はもう上がっていいよ」

「はい! お疲れっした!」


 宿屋の裏にある納屋に穀物の粉が詰まった麻袋を収めてケニーさんに一礼する。


「力仕事ばかり押し付けちゃって悪いね」

「お安い御用ってやつです。体を動かすのは好きですし今後も遠慮せずにこき使ってやってください」

「ああ、頼りにさせてもらうよ」


 異世界に流れ着いて早三日が経った。

 俺の申し出をケニーさんが快く受け入れてくれたお陰で宿賃の代わりに彼ら家族が営み宿屋の手伝いをさせてもらっている。

 仕事は掃除洗濯に薪割りや荷運び、状況によっては備品の修繕とありがたいことに俺向きの肉体労働が山ほどあるので腕が鳴る。

 それから旅人向けの雑貨の販売なども行っているらしいので簡単な保存食作りなんかも仕事の一つとして教えてもらった。


「そうそう息子が君と一緒に浴場へ行きたがっていてね。悪いが付き合ってやってくれるかい?」

「もちろん! じゃあ、失礼します!」


 二人分の入浴料金を預かって、俺は足取り軽く準備をしてテリーと一緒に街の大衆浴場へと繰り出していく。

 そういえばこの国のお金は紙幣と硬貨からなるルゴンという通貨だそうな。幸いなことに一ルゴンが一円換算と考えて問題なさそうで変に混乱しなくて助かっている。

 異世界での暮らしも慣れてきたけど、それにはアクサロンの街の居住環境の高さに助けられている面もある。


 元いた世界の中世ヨーロッパ時代がどうだったのかは詳しくないが科学の代わりに魔法が発展していった世界の技術レベルは予想よりも高いものだと思う。このアクサロンの街も上下水道といった基本インフラや生活に必要な商店や施設は殆ど完備されている。

 電気による恩恵や利器がないが魔法を用いて作成された所謂魔道具というアイテムがそれを補って人々の生活を便利にしているようだ。


 日が暮れて薄暗くなってきた街のあちこちで灯り始めた魔力石式のランタンなんかがその一つだろう。魔力を充填した特別な石を光源として周囲を照らすランタンの光は明度こそ負けるがあたたかで蛍光灯の輝きにはない柔らかさがある。しかも、魔力が切れた石は再充填すれば何度も使える代物だという。ただし、充填は有料で再使用の回数も限りがあるとか……。


「魔法の世界も商いにはシビアなもんだ」


 夕日に照らされて仕事帰りの人々で活気づく酒場や飯屋が立ち並ぶ大通りを大衆浴場を目指して歩いている最中、そんなことを小さく呟くとテリーと仲良く並んで前を行くカルーニャが怪訝な顔でこちらを振り向いた。


「何か言ったか?」

「いや、なんも」


 出発してすぐに俺とテリーはクエストとやらを片付けて愛用の黒い大弓を手に宿屋に帰って来たカルーニャと出くわした。

そこで俺たちが大衆浴場へ行くと伝えたら「ズルいぞ!」と猛スピードで支度を整えて付いてきたのだ。

 置いていくつもりなんてないのに二階の窓から飛び出して合流してきたのには流石に驚きで声が出た。テリーが言うにはカルーニャはかなりの実力者らしいがそれにしたって異世界の人間の身体能力凄すぎだろう。



「おおぉー……。生きててよかったぁー……」


 大きな湯舟いっぱいに張られた熱い湯に肩まで浸かるとつい気の抜けた声が出る。

 初めて連れてこられた時はどんなものかと身構えたけど、基本的な構造は日本の銭湯と変わらない。

 昔、カズに誘われて見たアニメの影響で海外の銭湯といえば大理石の立派な石像が飾ってあったり、お湯が噴水のように湧くもっと仰々しいものを想像していたけど、宿屋から一番近いこの大衆浴場は庶民的な雰囲気なので身も心もリラックスできる。

 異世界に迷い込んだと分かった時は死に物狂いのサバイバルも覚悟はしていたが恵まれた出会いのおかげで先行き不透明でも前向きに構えることが出来ている。感謝だな。


「ほらテリーじっとしていろ。髪がちっとも乾いていないではないか」

「これぐらい大丈夫だよ! それより早く帰ってみんなで夕食にしよう!」

「平気なものか。夜風で冷えて風邪でも引いたらどうする? 良いから私に任せておけ」

「うわっはは! くすぐったいよカルーニャさーん!」


 のんびりと体を癒して風呂から上がると先に上がっていたテリーが同じように女湯から出ていたカルーニャに捕まって生乾きの髪の毛を拭かれていた。

 傍から見ると本当に仲の良い姉弟みたいだ。

 特にカルーニャの方はあからさまにテリーと一緒にいる時は普段の矢を番えた弓のような凛と張り詰めた雰囲気が柔らかくなっていて本人も心底幸せそうに表情が明るい。


「…………もしかして俺が来る前は一緒に風呂入ってたとか無いよな?」


 テリーも十歳になるかどうかだし、ふと浮かんだ疑惑だが問い質す勇気は持ち合わせていない。なんにせよ、いまの二人に水を差すのも野暮だろうし俺は俺でのんびりと湯冷ましでもさせてもらおう。

 玄関と男女それぞれの脱衣所を結ぶ大きな広間は受付がある他に共用の休憩室にもなっていて他の利用客が雑談やトランプのようなカードゲームに興じている。


「ここで働けないものか……」


 思わず願望が口に出た。

 ケニーさんの宿屋を手伝うのも大事だがやっぱりちゃんと金銭で宿賃を払うためにも職にありつくのが必須だとこの数日で痛感していたところだ。

 この世界の風呂屋がどうやってお湯を沸かしているのかは知らないが何から何まで魔法に頼りきりと言うことはないだろう。


「お待たせユウゴ兄ちゃん」

「熱心に受付の方を見てどうした? 何か失せものでもあったのか?」


 物は試しと受付席に座っている爺さんに求人は出していないのかと聞いてみようかと考えていると髪を拭き終わったテリーとカルーニャが呼びに来た。


「おう。実はこの大衆浴場で雇ってもらえないかなってよぉ。体力と力にはいくらか自信もあるし……俺も早めに宿代はちゃんとお金で払わなきゃなって」

「はあ……え、あの、なんて?」


 テリーの反応があきらかに変な奴を見ているリアクションで俺はすぐに異世界カルチャーショックを起こしているのだと察する。

 ふと二人の顔を見るとカルーニャが空腹の野良猫みたいな仏頂面でこちらを見ている。


「汝、まさか探求者クエスターの制度も知らないのか?」

「初めて聞いたぞ」


 俺の返事にカルーニャはガックリと肩を落として、湯浴みをして疲れを癒したのが嘘みたいな溜め息をついていた。



「探究者と言うのはギルドが出している依頼を請け負って魔物の討伐や薬草の採集などを行う者たちの総称だ」

「なるほど」


 宿屋に帰る道すがら、カルーニャが探究者なるものについての講義を開いてくれることになった。

しばらく変わった生き物を見るような目をされたけど、無知なのは本当なので気にしないでおく。


「その街や地方で違いはあると思うがギルドが仲介する依頼の種類も様々だ。遠方への荷運びから武器や魔道具の性能実験の手伝いと……まあ何でも屋のようなものだな」

「戦うのが苦手な人は職人さんや商人さん向きのジョブやスキルを習得してお店をやったりも出来るんだよ!」

「そうだな。流石よく分かっているな。偉いぞテリー」


 テリーが助手役になってカルーニャ先生の説明に補足をしてくれた。

 概ねは俺の世界にあったRPG系のゲームなんかに出てくる冒険者ギルドと同じと考えても良さそうだ。

 わしゃわしゃとカルーニャに撫でられているテリーを見いるとここでふと、ある疑問が浮かんでくる。


「うん? 待てよ……そうなると宿屋をやってるケニーさんたちも探究者ってことになるのか」

「そうだよー! 実は僕もちゃんと探究者なんだよ! ほら!」

「これがライセンスリングと呼ばれる探求者の証しだ。小さいが魔道具で色々と便利な機能がついている優れモノなんだぞ?」


 マジか!?

 得意気に右手に嵌めた指輪を見せてくれるテリーを凝視する。

 柔らかな指には銅一色で細かい刻印がたくさん刻まれたプレートリングが光っていた。

 そういえばケニーさんやシャーリーさんも同じものをしていた気がする。

 てっきりこの一家のお守りみたいなものだと思っていた。


「この国では十歳から探究者になる資格が与えられるんだ。もっともテリーがしているのは工商専門のものだから戦闘が必要な危険なクエストは請け負うことが出来ないがな」


テリーがしているものと似た銀一色の指輪を俺に見せてカルーニャが言う。

つまりは自動車の免許証のようなものか。色で区分けしているから判別も簡単だし、クエストとやらも危険を考慮して受けられる人間に条件を設けているのもシンプルだけどよく出来たシステムだ。


「こりゃあ早めに俺も探究者にならないとマズいな」

「というか、なれ。ライセンスリングは身分証を兼ねている。何時までも取得せずにこの街をうろついていたら役人に目を付けられるかもしれないぞ?」


 それは本当に不味いな。

 同時に良い報せでもある。

 探究者とやらになってしまえば稼げる手段が格段に増えるんだ。

 いまの自分がこの世界でどんなことなら出来るのかはやってみた次第だけど、選択肢が増えるのはとても良い。


「ここまで説明してあとは勝手に一人でどうぞと捨て置くのは薄情だからな。明後日で良いならアクサロンのギルドに連れて行ってやるぞ? どうする?」

「お願いしますカルーニャ先生!」

「……汝のような教え子は嫌だ。せめて十歳は若返ってから出直して欲しい」


 冗談ではなく、本気の口調と氷の眼差しで丁寧にお断りされてしまった。

 テリーへの態度から薄々子供が好きなのかとは思っていたがどうやらカルーニャの子供好きは俺が想像しているよりも遥かに奥深いマエストロ的な域ものなのではと思う。

 何はともあれ、明後日が楽しみだ。

 そういえば俺にとっては初めての就職活動になるわけか……異世界にも履歴書があったりするのか? 俺の後ろで楽しそうに談笑するカルーニャとテリーに聞いてみる勇気は出なかった。



「ほら、着いたぞ」

「これがギルドハウス! デカいな……!」


 約束の日。

 俺はカルーニャの案内で街の中心区画にあるアクサロンのギルドにやって来ていた。

 繁華街であるこのエリアは様々な商店の他に行政などを司る役所や領主関係の重要な施設がいくつもあるらしく、自然と建築物も威厳と格式高い雰囲気のものが増えているが目の前にそびえるギルドハウスも大きさで言ったら遜色ないだろう。


「食い物の匂いがするな……食事もできるのか?」

「ああ。クエストの斡旋や支援を行っている窓口の他に大きな酒場もやっているんだ。そこで探求者たちが情報交換をしたり、パーティを組むための相談なんかもやる」

「一種のサロンだな」


 俺たちが両開きの大きな扉の前で話している間にも探求者たちの出入りが盛んに続いている。中には大きな獣の肉のようなものを運び込んでいる鎧騎士なんかも見かけた。

 魔物というのは食べられると見えてこのギルドで買い取りなり、調理してくれるんだろうか? 日本にもあった釣った魚を持ち込めば料理してくれる定食屋みたいで面白いな。


「そんなところだ。中に入って奥に進むとクエストの受付カウンターがある。そこの受付嬢に声をかければあとは勝手に進めてくれるさ」

「ありがとうカルーニャ。本当に助かったよ」

「私は酒場でくつろいでいるから、終わったら探しに来い。せいぜい武運を祈っておくよ」

「ちょっと待った!」


 片手をヒラヒラ振って建物の中に入ってしまおうとする彼女を慌てて呼び止めた。

 確認しておきたいことがあったんだ。


「どうした?」

「なんでここまで俺に世話を焼いてくれたんだ? 感謝しているけど、俺は君にここまで親切にしてもらえるようなことを何もした覚えはないからな……ちょっと気になって」


 人間と言う生き物は大体が利で動く。

 自分に得する何かがなければこれまでの彼女のように他人の面倒を見てはくれない。仮に恩義で動くとしても、自分は彼女には迷惑をかけてばかりで……だから、彼女の行動の理由が知りたかった。


「そうだな……考えてみれば私は汝に痴態を見せつけられたぐらいで酒の一杯も奢ってもらってもいないわけだが」

「白昼の往来で言わないでいただけないでしょうかカルーニャ様ぁ!」

「冗談だ。理由があるなら簡単さ……テリーが汝に懐いているようだったからな」

「そんなんで?」

「好きなんだ。あの子が楽しそうにしているのを見ているのがな」


 迷うことも、照れることもなく、目の前の蒼衣の少女は穏やかに満足げな笑みを見せていた。

 いまこの笑顔はどこか古風な口調と佇まいもあって、自分よりも大人びた印象さえ感じるカルーニャの本当の素顔な気がするのは俺の思い込みなのだろうか。


「他人のことを気にするよりもそろそろ自分のことに集中するといい。ライセンスリングを貰えなかったらケニー殿が許しても穀潰しとして私が宿から追い出してやるからな」

「おう! 頑張るよ。大丈夫だ……カルーニャの親切を無駄にはしないさ」


 彼女なりの激励を受けて、気合を入れると俺は一人ギルドハウスの門を叩いた。

 建物の中は賑やかな街の外と一変して騒がしく、いかにも腕に覚えのある冒険野郎共のたまり場といった熱気が漂っている。


「いらっしゃいませーギルドハウスへようこそ! クエストのご用件でしたら奥にあるカウンターへ、お食事でしたら開いているお席へご自由にどうぞ!」


 ウェイトレスみたいな恰好をした緑髪のお姉さんが愛想よく出迎える。

 よく見ると犬のようなふわふわした耳が頭に生えている。獣人? 亜人というやつか?

 あまり奇異の目で見ちゃ良くないが改めてフィクションの世界に飛び込んだ実感が持てて心が躍るものがある。あー……カズも一緒に連れてきてやりたかったよ。


 と、舞い上がっている場合じゃないと気持ちを引き締めて案内通りに奥へと進もう。

 周囲を一瞥すると街中でも見かける鎧や大剣を装備した荒くれ者たちがわんさかいる。新参者の俺に気付いたのかいくつもの視線を感じるがいきなり難癖をつけてくる輩はいないようで安心した。


「お。あれ魔法使いか……やっぱり杖なんだな」


 受付カウンターには少し列が出来ていたので待っている間にさり気なく観察をしているとガチガチに武装している命知らずたちに交じって女性の剣士や魔女っぽい恰好の人たちも見つけた。カルーニャがそうであるようにこの世界は誰でも強くなれるチャンスがあるらしい。


 それにしても魔法を使うのに木で出来た長いものが必須なら木刀とかの方が白兵戦も対応できて便利じゃないのかと考えるのは俺だけだろうか?


「次の方、どうぞ」


 こんな風に待っていると俺の番がやって来た。


「お願いします」

「はい。今日はどうされましたか?」

「実はつい最近遠くの田舎からやってきたのですが働くために探求者になりたいのですが勝手が分からなくて……お手数ですが色々と教えていただけないでしょうか?」


 黒髪に眼鏡をかけた知的そうな受付嬢さんが柔らかな口調で応対してくれた。

 よし、そのおかけが途中で噛むこともなくスラスラと言えたぞ。

 あとは流れに身を任せるだけだ。

 背筋がビシッと伸びて、何度も会釈しながら声のトーンが高くなったのは日本人の性だ。あの厳つい鉄さんだって、電話口ではいつもそうだった。


「そうですか。希望されるのは工商専門ではなく一般探求者で間違いありませんね」

「はい。銀色のライセンスリングがもらえるのでお願いします」

「かしこまりました。それでは中庭の方で実技試験を行いますので少々お待ちください。係の者が案内に参ります」

「分かりました。よろしくお願しま……ん?」


 いま試験って言った?


「あの、ちなみに試験と言うのはどんな?」

「それは当然、魔物や盗賊などと戦っても生き残れるだけの戦闘能力があるのかを試験官役の探求者との模擬戦でテストさせていただきます。あ、もしも不合格でも負傷した場合はこちらで治癒魔法をかけますのでご安心ください」


 なるほど、それなら問題ないな。

 いや、いやいやいや!

 問題大ありだよ。なんにも安心できないって!


「はは……腕が鳴ります」


 こんな時につまんねえ意地を張るんじゃねえよ俺ェ!

 この世界の人間が自分と比べて誰も彼も桁外れの身体能力の持ち主かもしれないんだぞ!? そもそも昨夜に生身の人間が二階の窓から涼しい顔をして飛び降りていたのを見たばかりだろう! 

 え……なに、もしかして俺はこれから完熟トマトみたくグチャグチャにされるのか?


「あ…………」


 予想外の事態に狼狽して胸の鼓動が張り裂けそうになっている俺が遠くにいる彼女を見つけられたのは偶然だったのかもしれない。

 或いはあいつがこうなることを予想して、わざわざ受付カウンターを眺められる席を陣取っていたのだろう。

 カルーニャは酒場の一席に腰かけ、優雅に足など組んでいた。そして片手に酒でも注がれた大きな杯を、もう片手に持った美味そうな串焼き肉を頬張りながらニヤニヤとあの凛とした顔をほころばせて愉快そうに俺を見ていた。


「くっはっは! 言っただろう、武運を祈っておくと」

「カルーニャァァァァァァ!!」


 俺の悲痛な叫びなどお構いなしにやがて屈強な試験官が眩しい笑顔で迎えにきた。

 そして、そのまま流されるままに説明を受け、試験用に貸し出されている武具を選び、気を取り直した時には俺は中庭に設けられた闘技場に立っていた。

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