中村料理教室

わたねべ

中村料理教室

「おいしい料理を簡単に作れる、便利な商品に興味はありませんか?」


 料理教室に突如現れた、あまりにも不躾な来訪者に、全員がぽかんとした表情で放心していた。

 この状況で、初めに動いたのは、ここで皆に料理を教えている中村先生だった。


「失礼ですが、どちら様でしょうか?」

「申し遅れました。わたくし、調理器具の営業をしている野村と申します」


 不審者から営業マンへと姿を変えた男に安心し、皆が冷ややかな視線を送り始める。

 当然私も同じように、料理教室の空気を壊す侵入者を、眉間にしわを寄せて睨みつけていた。

 

「初めまして。わたくし、この料理教室で講師をしております。中村と申します。

 野村さん。こちらは生徒さんのみが、入れる教室です。まずはこの教室から出て行ってもらえませんか?」

 

「おや、それは私の認識と異なります。

 受付の方に確認しておりまして、この教室への入室を制限するような利用契約とはなっていない、とお伺いしてまいりましたよ」


 この料理教室は、講義終了後に炊き出しの手伝いをするという条件付きで、だれでも無料で参加可能なのだ。だからきっと、この男が言うことは本当なのだろう。

 しかし、ルールとして決まっていないからと言って、よその料理教室にずかずかと入ってくるだろうか。

 多少お金はとってもそこら辺の管理はして欲しい。


 などと考えていると、男は悪びれる様子もなく話を続けた。


「そんなわけでして、わたくしが持ってきた商品を紹介させていただきたいのですが・・・・・・」

「はあ。わかりました。しかし、料理をしている場ですので、そこで手を洗ってください。そして、埃を立てないように脇の方でお願いしますね」


 あきれたように言い放つ中村先生に言われたとおり、男は手を洗い、教室の隅に移動する。

 すると、手に持っていた大きなトランクを広げて、軽快な口調で話し始めた。


「焚火からコンロへ、かまどから炊飯器へ、寸胴鍋から圧力鍋へ。

 人類が調理工程を短縮するために、あくなき探求心をもって進化させてきた調理器具。

 今回はさらにその最先端。料理そのものを任せられる魅力的な機械をご紹介いたします」


 そう話しながら、慣れた手つきで組み上げた機械に皆が注目し始める。


「なんとこちらの機械、あらかじめレシピを登録して、材料を放り込むだけで自動で調理をしてくれるのです。

 細かい設定は不要です。自分の好きなレシピをこのパネルから入力すれば、食材は放り込んだものの中から自動で判別してくれる優れもの」


 インパクトのある商品に教室はざわつき、皆が男の方をしげしげと眺めはじめた。


 ひそひそ……ざわざわ……がやがや……


「静かにしてください!

 あなたたちは何をしに来ているのですか?それに、刃物や火を扱っているのですから、しっかり集中しましょう」


「なんと、この機械を使えば、刃物で指を切る心配も、火事を起こす心配はありません。

 それに、テレビでも見ていれば、レシピ通りのおいしい料理が出来上がりますよ!」


 男は中村先生の注意を逆手に取るように営業を続けた。

 中村先生が困った顔で男に近づくと、諭すように語りかける。


「野村さん。お仕事なのはわかりますが、話す内容を考えてくださいませんか。

 それに、機械で作った料理が、おいしいわけないでしょう。絶対に機械では出せない深みがありますから」


「うーん。そうでしょうか?

 コンビニ弁当やレトルト食品の多くは機械で作られていますよね?

 料亭なんかで高いお金を払って食べる、最高級品にはかないませんが、普段食べる分には十分おいしいと思いますよ」


 男は決して、煽り立てることはなく、むしろ真摯に話しているように見えた。

 しかしながら、料理を生業としている先生には、それがひどく侮辱されたように感じたのだろう。

 その怒りから、様々な意見が飛び交う教室の中で、一人静かにこぶしを握り締めている。


「皆さん。次は煮込みの工程ですので、落し蓋をして火の加減をしっかりと見ていてください。

 私は少し野村さんとお話をしていますから、何かわからないことがあれば声をかけてください」


 普段よりもゆっくりと落ち着いた口調で話す先生の声は少し震えている。

 その様子から、今は邪魔をしてはいけないと、眼をそらすようにして寸胴を静かに眺めた。


「機械で作った料理の話でしたね。確かに、まずくはないのかもしれません。

 しかし、味付けは雑で盛り付けも機械的、とてもじゃないですがまた食べたいと思えるものではないですよね?」


「決して否定するつもりはございませんが、いささか言葉が強いように感じますねえ。

 それに、中村先生が作った料理よりもコンビニのお弁当やカップ麺は多くの人に食べられているはずです。

 そうすると、より選ばれているのは機械で作られた料理ということになりますよね。

 とすると、機械で作られた料理にも、かなりの需要があると私は考えております」


 思いの外、しっかりとした主張をする野村の意見に皆耳を立てている。


「それはただ、生産量が多いというだけのお話でしょう。むしろそうした食品が多く出回ることで、本物の料理に触れる機会が減っているとも言えます。

 それに、機械で作った量で、私たち料理人が作った料理を淘汰しようだなんて、敬意にかけているとは思いませんか?」


 野村はそんな反論は想定済みだとでも言うように、一切ひるまず、淡々と説明を続けた。


「敬意の基準を明確にしましょうか。私は社会を豊かにするため、そして、おいしい料理を届けるため、真摯に活動をしている自負がございます。

 中村様のおっしゃる敬意とはいったいどのようなものをさしているのでしょうか」


「例えば、野村さんの持ってきた機械が、完璧な模倣をできるとしたら、これまで積み上げてきた料理人の誇りを土足で踏み荒らす行為だとは思いませんか?

 その機械が行っているのは、他人の技術を盗み、勝手に商売をするに等しい行為です。

 ましてや大量生産によって、これまで料理界を支えてきた者たちを隅に追いやるような、そんな行為のどこに誠意があるというのでしょうか」


 中村先生の意見に、ほかの生徒からも「確かにそうだ」と、野村に懐疑を向ける、同調の声が上がり始めた。

 

「中村様のおっしゃっていることをまとめると、人間が行えるラインを越えて、市場を荒らすな。

 そういうことでしょうか?」


「まあ。多少のニュアンスの違いはありますが、おおよそ、その通りです。

 私も料理界の発展を望む者の一人である以上、何かを禁止したくはありません。

 そのため、荒すな、というわけではなく、モラルを持ってほしいというお願いです」


 「なるほど。確かにそれが敬意だとすれば、この機械を使用した時点で中村様の同意は得られないでしょう。

 しかしながら、考えてみてください。これをほかの道具と同様に中村様が使いこなすのです。

 包丁と同じように、フライパンと同じように、この機械を中村様の腕で支配下に置くのです」


 正直なところ、どちらの意見も理解出来る。料理を好きで学んでいる私としては、今のところ中村先生の意見に傾いているが、野村の言うことも否定することはできない。


「それらの調理器具とは並列に語れないでしょう。

 小学生に包丁とフライパンを渡してレシピ通りの料理が作れますか?

 この機械では、インターネットでレシピを調べればそれができるということです。

 つまりは料理人の技術をほかの畑、エンジニアの技術で塗りつぶすことにほかなりません」


 ますます騒がしくなる教室では、徐々に意見が分かれ始めた。

「最終的な調整は自分でやるなら……」「私たちを馬鹿にしているのか」「再現できるのはある程度なら問題ないんじゃないか?」


 野村は静かに頷きながら、辺りの意見を聞いている。


「どうやら、皆さん思うところがあるようですね……。

 先ほど中村様は『絶対に機械では出せない深みがある』とおっしゃいましたよね。

 まさしくその通りだと存じております。」


「といいますと?」


「例えば、レシピ。確かにインターネットで調べることで美味しい作り方を簡単に再現することが可能です。

 しかしどうでしょう。中村様のおっしゃる美味しさに届くためにはここからさらに、お客様の好みや、食材の状態、そのほかにも様々な要素を加味する必要があるということですよね?

 そうなってくると、この機械に普通のレシピを登録するだけでは到底かなわず、料理人が微調整をする必要があるのです」


 中村先生は、そのまま続けてというように手のひらを野村に向けた。

 野村もそのジェスチャーの意味をくみ取ったようで、ペコリと軽く会釈をすると、そのまま話を続ける。


「そう致しますと結局のところ、本物を作るためには、ほかの道具と同様に、料理人の皆様に使いこなしていただく必要があるのです」


 さすがは営業マンというべきだろうか。

 野村のセールストークを聞いて、ますます生徒の意見が割れる。

 

「あなたの言葉には一見、確かな説得力があります。

 ですが、やはり料理人として、あなたのお持ちした機械を歓迎することはできません。

 調理の基礎も、食材へのアプローチもわからないまま、いたずらに料理が出来上がるというのは、良質な料理人のプライドを踏みにじる行為だからです」


「気持ちの問題ということでしょうか?」


「もちろんそれが大きいです。

 しかしながら、先ほども申しあげたとおり、市場を圧迫し、結果として本物の料理の未来をつぶすことになる。

 そうした危険性があると感じています」


 多くの実績を残し、後続を育てながら、炊き出しまで行う。料理に人生を捧げてきた中村先生の「気持ち」には、合理性などでは否定できない重みがある。そう感じた。


「でしたら、この機械で作れるのはハンバーガーだと思ってくれて構いません。

 多くの大衆が求める、そこそこの料理です。

 対して本物の料理人たちが作り出すのは、本物の舌を持つものに向けた高級料理。

 そうすると、これらは競合せずに、むしろ技術継承の枝は広がりを狭めて、本物の料理人の価値が向上するのではないでしょうか?」

 

「ずっとお答えいただけていませんが、市場を圧迫してしまう事についての問題は、どう考えていますか?」


「その点については、問題だと捉えておりません。

 一つ、私は機械と機会を提供しているだけであり、それをどうするかは利用者にゆだねられているということ。

 二つ、購入者のニーズと広告により、力のないものは自然に淘汰されていくということ。

 以上の理由から、一時的に市場を圧迫したとしても、すぐに収束すると考えております」


 確かに、この機械があくまでも包丁などと同じように、ただの道具だというのならば、モラルは使う者たちにゆだねられる問題だ。

 食材や料理を保存する、冷凍庫にだって容量の限界がある。市場が無限に荒らされることはなく、問題が起これば規制も入るだろう。

 そう考えると、野村個人を糾弾するわけにはいかない。


「でも結局のところ、私たち料理人が積み上げた技術を盗んだ模造品しか作れないということでしょう?

 あまりにも結果主義的で、プロセスを軽視しているといわざるを得ませんよ」


 野村の顔からは一瞬、営業マンの笑顔が消える。

 

「今皆さんが使っている包丁。昔は職人さんが一本ずつ作っていたものですよね?

 手作りのそれには温かみがあり、そのプロセスを重んじていたはずです。

 しかしどうでしょう。今お手元にあるその道具はメーカーを見るに、機械で作られた大量生産品です。

 自分たちの生業以外には敬意を払わないという点では、あなたはその壁を越えているようにお見受けいたします」


 野村からの決定的な一言を受けて、教室は喧騒に包まれる。

 ぶつけようのない怒りに震えるもの、答えを求めてぶつぶつと独り言を垂れ流すもの、自分たちの考えを確かめるように議論するもの。

 料理教室とは思えないほど、あちこちで唾が宙を待っていた。


「しずかに!」


 中村先生の場を諫める声に、私たちはピタッと、口を閉じる。


「私が彼と話しますから、皆さん冷静になってください」


 再び野村に向き直る中村先生の額には、はっきりと青筋が浮かんでいた。


「野村さん。あなたの言い分はあまりにも身勝手で筋が通っていません!

 正論を言っているようですが、モラルにかけていますし、出来上がる料理も大衆向けの不完全なもの。

 正直言ってあり得ません!何か反論はありますか?あるならあなたの考えを聞かせてください」


 冷静に話し合う中村先生の顔は普段より赤く、いつもより早口でまくし立てていた。


 「反論といわれましても……。

 まずは落ち着いてください」


 野村の一言を受けて、さらにヒートアップする。


「私は冷静です!それにあなは言っていることとやっていることがちぐはぐで、発言を信用できません。

 皆さんもそう思うでしょう?」


 先ほどまでは割れていた教室の意見が、先生の一声で、一つの意見に統一されていく。

 いやな空気だ。


 料理や絵画、音楽に小説。

 明確な正解がなく、専門家と呼ばれる重鎮たちに価値観のゆだねられた、そうした業界独特の嫌な空気。


 良いものはひどく主観的で、資産家を満足させるための閉じられた空間でのみ、その価値を発揮させる。

 何をするかは関係なく、その価値は誰が評価したかという、その一点に帰属する。


 その空気が、この教室の中で固まるほどに、中村先生の口調は強くなる。


 「野村さん。聞こえるでしょう。これが民意です。

 あなたの考えに賛成している者はいない。自分の主張がいかにおかしいか、理解するきっかけになりましたか?」


 何人かは、黙って下を向いているが、多くのものは同調し、野村を攻撃し始める。


 ああ。これはいけない。

 個人を晒上げるようにして、周りを煽った時点で、この勝負は中村先生の負けなのだ。


 野村も、これ以上は無駄だとわかったのか、苦笑いを浮かべて言葉を発さない。


「野村さん。あなたは自分さえお金を稼げれば良いと言う、実に浅ましい考えをしているのではないですか?

 それについては構いませんが、あまり私を敵に回さない方が得策かと思いますよ」


 きっかけを作ったのは間違いなく、野村という男だ。

 しかし、今私の目には、中村先生がひどく恐ろしく写っている。

 

 自身が使っている大量生産された道具に対する答えを出さずに、閉ざされた世界の民主主義で、意見を殺す。実に醜いやり口だ。


「さっきから全く話さなくなりましたね。

 もう私の勝ちという事で良いでしょうか?

 それであれば、早々にお引き取り願います」


 いつの間にか話し合いは幕を閉じ、勝負の世界に切り替わっていたようだ。

 

 中村先生は、溢れ出る衝動の水を嫉妬の炎で狂ったように煮立たせている。

 機械生産のインスタントラーメンを嫌う料理人が、即席で作った正義感を満足げに振る舞っている様は実に不快だった。


 冷静な話し合いが行われる横で、焦げ付いた鍋を見て、私は野村の味方でありたいと思った。

 彼の持ってきた機械を使えば、こうして食材を無駄にすることもないのだろう。


 嫉妬の渦巻く中をかき分けて、私は野村に近づく。

 私は野村の傍らを通り過ぎ、中村先生の視線を遮るようにして機械の前に立った。


「野村さん、はじめまして。私はあなたの主張にも正しい部分があると思います。

 今は皆さんヒートアップしているだけだと思うので、気にしないでください。

 個人を否定するようなことを言ってしまい、ほんとうにすみません」


 私の言葉に、野村も、中村先生も、ほかの生徒も目を見開いて驚いている。

 白熱した口論の中に、一端の生徒が割って入ったのだから当たり前だろう。

 

 すると、ぽかんと開けた口の形を、野村がゆっくり動かしはじめた。


「じゃ、じゃあなんで、この機械を壊したんですか・・・・・・?」


 

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