小さな街で ― 収録:「好きのグラデーション」

まい

好きのグラデーション

工房の中。

かえでは机に広げた部品を組み立てていたが、ふと手を止めた。

長い時間、集中して作業していたので、気づけば息を詰めていた。


深く息を吸って吐くと、体の奥まで空気が届いてほっとする。

安心できたその瞬間、なんだかもっと心を落ち着けたくて、つい隣にいるこうじを見つめてしまった。


黙々と作業する横顔。肩のライン、指先の動き、ふとした息づかい――ただそこにいるだけで、胸の奥がふんわりする。


心の奥で、落ち着いていたはずの自分が、

ほんの少しだけそわそわしているのに気づく。


安心したいのに、もっと近くにいたい気持ちもわいてくる――

まるで小さな秘密を抱えているみたいに。


見つめるかえでの表情は、気づけばほんのり柔らかい。


少し離れたところでそれを眺めていたリクが、出来上がった図面を手に、静かに立ち上がった。


「これ、出来たよ」


声をかけられ、かえではぱっと顔を向ける。

突然だったので、少しドキッとした。


「ありがとうございます」

リクから図面を受け取りながら、内容に目を通す。


前のものから改善されている、きれいな微調整が入った箇所を眺めながら、

「これなら、良さそうですね…」

ふーむと、口に手を当てて、チェックするかえで。


リクの仕事は意外に繊細で感心してしまう。


それを黙って見ているリク。

「………………」


ずーっと何か言いたそうに黙っているリクに気がつき、かえでがリクの顔を見上げた。

「どうしました……?」


リクが、ぽそりと口を開いた。

「かえでさん、こうじのこと好きなの?」


「……っ!!!」

かえでは絶句し、固まる。

言葉が出ない。


「……好きじゃないの?」

悪戯っぽく笑うリク。


さっき、繊細な仕事に感心したわたしの気持ちを返してほしい。

かえでは、強くそう思った。


(すぐ隣にこうじさんがいるのに…それ聞く!?)

そんなこと聞かれるなんて思ってもなかったかえでは、心の中がいっきに忙しくなった。


(“好き“とは言えない……でも“好きじゃない”なんて言えないし、“嫌い”でもないし……どうしよう)


隣からわずかに伝わる、工具の音の止まる気配。

聞かれている――そう確信して、ますます焦る。


ずっと黙っているのもおかしい。

(どうしよ、突然過ぎてなんて返したらいいか、全然わからない………頭が回らない)


やっと絞り出した言葉がこれだった。


「……ふ、普通です…!」


かえでの言葉に、リクが一瞬きょとんとする。

予想外の反応に面食らってしまった。


「普通って……逆にひどいな」

小さくそう呟いて、視線を逸らした。

(……ちょっとだけ、からかいすぎたかもしれない)


思っていたより、かえでの慌てぶりは本気だった。


「ち、違うんです! 好きとか嫌いとか、そういう単純な話じゃなくてですね……!」

かえでは必死に弁明している。


「好き、嫌い……その真ん中に“普通”ってあるじゃないですか!」

言いながら、かえでは自分が何を言ってるのかわからなくなってくる。


「“好きじゃない”って言われるより、“普通”って逆に傷つくな」

と呟くリク。

かえでがとっさに放った言葉にまだざわめいている。


「ひどくない?」

リクが、冗談とも本気ともつかない声で、こうじに聞く。


「…まあまあひどいですね」

静かにそう答えるこうじ。


その声に反応するように、かえではチラッとこうじの方を向いた。


こうじは、慌てるかえでを見ながら、どこかおかしそうに、「巻き込まれてますね」とでも言いたげな表情で、苦笑いしていた。


「ちょ…と、リクさんのせいで、普通って言ったわたしがひどい人みたいになってるじゃないですか!」


かえでは、怒っているような、でもどこか拗ねているような顔で、むっと頬をふくらませた。

リクを見上げるその目は、文句を言いたいのをぐっとこらえているみたいだった。


「でも、こういうときに“普通”って答え、初めて聞いたかも」

リクが堪えきれずに笑いながら言う。


「あの……普通の中にも、その、段階が…あってですね。と、とにかく”嫌いじゃないほうの普通”なんです!」

かえではさらに慌てて言葉を重ねる。


リクは、思わず頷きながら、からかうよりちょっと驚いたような表情を浮かべた。

「好き寄りの普通ってことか……」


(ちょっと…この人、なんでこう…からかってくるんだろう)

早くどこかに行ってほしい――そんな気持ちがむくむくわいてくる。


「これ、どう答えても困るじゃないですか!」

「リクさんは、すぐわたしをからかって遊ぶんだから…!」


「ほら、仕事に戻って下さい!」

かえでは、図面を手に必死にリクを押しやる。


リクが笑いながら離れていく。

作業台にふっと視線を戻すと、隣のこうじも、わずかに笑っているのが視界の端に入った。


かえでは慌てて目を逸らし、工具を握り直す。

頬がまだ少し熱いのを感じながら、静かな時間が工房にゆっくりと戻ってきた。


◇◇◇


夜。こうじは、ひとり、作業に残っていた。

作業台の明かりだけが、工房を淡く照らしている。


手を動かしていても、ふとした拍子に思い出してしまう。

かえでが言った、あいまいな言葉が心をくすぐる。


どうして、こんなに嬉しいんだろう。

思い出すたびに、胸の奥がじんわり熱くなる。


……好き寄りの普通。

それだけでも、十分嬉しかった。


でも――できることなら、その先まで、来てほしいと思ってしまう。


自分でも、少し笑ってしまった。

欲張りだな、って。


けれど、今夜だけは、その気持ちを手放したくなかった。


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