大大阪ロマンチカ

琴野コロボックル

浜寺幽霊屋敷の夕顔の曰く①

 照和しょうわ初期。


 商業、紡績、鉄鋼業などあらゆる産業が栄え、『東洋のマンチェスター』と云われる世界有数の商工業都市。


 モダニズム文化が華ひらき、霧に滲んだ通天閣つうてんかくのネオンが瞬く。


 ここは、大大阪だいおおさか


 日本橋。


 にほんばし、じゃなくて、ニッポンバシ。


 そこには電気屋街でもなく、オタクの街でもなく、古書店街があった。

 


 路面電車の走る音。

 車道から巻き上がる砂埃、でも雨が降ると酷くぬかるむ。

 林立する工場の煙突からもうもうと吐き出される煙は真っ黒で煤が空を覆う。


 私は来る日も来る日も、古本にハタキをかけて埃や煤や紙魚しみをはたき落とす。


 就職氷河期世代の四十代独身女だった私は、なぜか、そんな華やかな時代の煤けた古書店の娘、三木本みきもと弥栄子やえこに転生した。


 ちなみに超絶美少女の女学生だ。


 その一点だけは悪くない。


 それは、一ヶ月ほど前のこと。


 私は、令和の大阪メトロ心斎橋しんさいばし駅の階段で、足を踏み外して転んだ。


 そして、気がついたら照和八年、五月の開業直後━━大阪メトロの前身である『大阪市営地下鉄』心斎橋駅にいた。


 ああ、この名称の違いはそんなに気にしなくていい。


 時代が百年ばかり違うだけで、転んだ場所と気がついた場所は、ほぼ同じだった。


 シャンデリアやタイルなどの内装がちょっと、いや、かなり違うだけで、座標はほぼ同一。


 だから、最初は、時をかけて、タイムスリップをしたのかと思った。


 けれど、地上の心斎橋大丸のショーウィンドウに映っていたのは元の自称美魔女とは似ても似つかぬ、黒髪の超絶怒涛の和風美少女だった。


 なので、これはタイムスリップではなく、流行りの異世界転生というやつなのかもしれない。


 新聞の日付の元号も昭和じゃなくて、『照和』だし。


 いくらか世界線が違うのだろう。


 昭和生まれ・平成育ち・令和を生きたオタクの私は、そう認識している。


 そして、元の古書店の娘の記憶はない。


 けれど、周囲の断片的な情報から状況を割り出す『仕事は誰も教えてくれないので、自分で探して、見て、覚える』という氷河期世代標準仕様チート能力が私には備わってまして。  

 

 ええ、悲しきサバイバーゆえなので私の世代では珍しいものではありません。


 だから、一ヶ月経った今では、なんとか話を合わせられております。


 まあ、階段から落ちたから、記憶喪失のふりをして、頭打ったから何も覚えてないわあ、って誤魔化してるだけなんだけど。


「まいどー」


 そして、仕入れと称して大阪市の南にあるさかいという街から来る男は、その度に怪しい商売の話を持ってくる詐欺師だ。


 ちなみに、この男も顔がいい。

 シュッとしてる。

 カンカン帽に粋な感じの着流しがよく似合う。

 それだけは悪くない。


 顔がいい男こと榎木えのきあらたさんは、大阪南部のリゾート地でバカンス客や別荘持ちの金持ち相手にいわくありげな骨董品や古書を売りつけているらしい。


 もちろん、それらに曰くなどない。


 うちで仕入れた古本も、曰くなんてありはしないと思う。


 知らんけど。


 それから、曰くありげな品を好む客は二種類。


 そういうお伽噺が好きな人間か。


 何か曰くを抱えているか。


 前者は、そのまま物語と品を売ればいい。

 そういう嘘か本当かわからない話に浪漫ロマンを求めているだけだから。


 後者に、曰くを解消する物語を売りつける。

 物語の味付けを変えたり、新しい物語を足したり。


 新さんの商いは、そういう怪しげなよろず屋稼業だ。


 それで、うちに来るときは、詐欺をするための本を仕入れに来るか、怪しげなよろず屋稼業の片棒を私に担がせに来るか。


 新さんが来るときは、どちらか、もしくは、その両方だ。


「ご機嫌いかがでっか? わしの未来の嫁さん」

「あんたが来たから最悪や」


 そして、この男は私の婚約者なのだ。


 死んだお父ちゃんと現在の店主のお兄ちゃんが商売下手の道楽好きのせいで、借金が嵩んでしまい、それを立て替えたこの男に超絶美少女の私が売られることになってしまった、らしい。


 顔はいいし、頭も悪くない。

 まともなところのお勤め人やったら文句ないのに、勿体ない。

 残念極まりない。


「なあ、この本まけられへんか?」

「まける余裕なんてあるかいな」

「儂に借金を耳揃えて返すか、儂の嫁さんになるか、やもんな」

「せやから、余計にまける余裕があらへんねん」

「どっちみち返されへんねんから、まけてえや、弥栄ちゃん」

「気色悪い呼び方すんなや」


 あ、あと、新さんは、ケチで守銭奴で性格もひねくれ曲がってて、いけずで、残念ここに極まれりだ。


「なあ、浜寺はまでらに幽霊屋敷があるねん。悪霊払いの助手のアルバイトせえへんか? 借金からこんだけ、引いたるで」


 新さんは、店の番台に置いてあったそろばんを弾いた。

 まあ、金額は悪くない。

 ちなみに新さんは神主でも僧侶でもない。

 エセ霊能者のフリをするだけなので悪霊払いは出来ない。


「でもええんか? 引いたら、この美少女が嫁にえへんようになるで」


 私が女学校卒業までのあと九ヵ月ほど、その間に借金が返し切れたら、この婚約はご破算、そういう約束なのだ。


「まだまだ、ぎょうさんあるから、こんぐらいなら金も返して貰って、美人の嫁さんが貰える算段や」

「あんた、私の顔しか見てへんよな?」

「そりゃあ、毎日見るなら別嬪さんのほうがええやん。あと、ちょーっと金が足らんくて絶望する弥栄ちゃんの顔が見たい」

「……最悪やな」


 ニヤニヤ顔が非常に腹立たしい。


 でも、提示された金額は悪くない。


 古書店の売上では無理だし、少しでも借金を減らしたい。


 完済には、かなり無理があるとしても。


 あと、私は、前世では、ダメ男との恋愛を渡り歩き、婚期を逃したので、今世はまともな男性と結婚したい。


 せっかく男は選びたい放題の超絶美少女に転生したのだから。


 シュッとしたイケメンとはいえど、明らかにダメ男である新さんと関わるのは悪手だ。


 なるべく関わりたくない━━これが本音だ。


「……ええやろ、行ったろ」


 だけど、金額は悪くない。

 

 それから、詐欺師とはいえ、二十代の男の子なので、四十代の妙齢の女性からすると、危なっかしくて、これ以上、人の道を外れ過ぎないように、お目付け役が必要だと思う。


 私は、総合的に判断し、渋々、了解した。

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