第11話
灰色の光の中に、リディアが立っていた。
風も、鐘の音も、まるで彼女を中心に止まってしまったようだった。
彼女はゆっくりと弟――ユリウスへと歩み寄る。
その足音は聞こえない。
だが、衣の裾が揺れるたび、塔の石床が微かに光を返した。
「ユリウス……あなたを守れなかった」
その声は、五十年前の夜の続きを語るようだった。
「いいえ、姉さんは僕を守ったよ」
ユリウスが、かすかに笑う。
「姉さんがいなければ、僕はとっくに“影の王”として殺されていた」
リディアの瞳がわずかに潤んだ。
けれど彼女は、首を横に振った。
「それでも、私は失敗した。
あなたを“救う”代わりに、“時間”に閉じ込めてしまったの。
この鐘楼は、呪いと祈りの両方で作られた檻。
あなたの命を保つ代わりに、王国は永遠に“継承の血”を求め続ける」
「……継承の血……」
セリオが低く呟く。
「つまり、鐘が鳴るたびに新たな“影の王”が必要になる――そういうことか」
リディアは静かに頷いた。
そして、二人を見つめながら言った。
「この呪いを終わらせるには、〈心臓〉の血を止めなければならない。
でもそれは、ユリウスの命を絶つということ」
塔の空気が重くなった。
ユリウスの灰色の瞳が、ゆっくりとセリオに向けられる。
「……そういうこと、か」
ノエルが息を呑む。
「ま、待ってください。そんな――彼を殺すなんて!」
しかしユリウスは微笑んだ。
その微笑みは、不思議なほど穏やかだった。
「僕はずっと、夢の中で見ていたんだ。
この国が、何度も同じ夜を繰り返すのを。
鐘が鳴るたびに、誰かが死に、誰かが“王”になる。
――もう終わりにしたい」
「でも、それでは……」
セリオの言葉を、ユリウスが制した。
「セリオ王太子。
あなたが王になるべき理由は、血ではない。
“選んだ意志”だ。
それを証明するために、僕は眠っていたのかもしれない」
リディアが小さく頷く。
「この国の“王権”は、血で縛られてきた。
でも、もし“意志”で継承されるなら……呪いは消える。
そのためには、〈心臓〉を壊す必要があるの」
「〈心臓〉?」
セリオが問い返すと、リディアは鐘の奥――石壁の裏側を指さした。
そこには、黒い脈動があった。
石の間から、赤黒い光がゆっくりと波打っている。
まるで“生きている”ように、鐘楼全体が脈を打っていた。
「これが〈鐘楼の心臓〉。
王家の血と呪いが混ざり合い、永遠に鐘を鳴らし続ける装置。
私たちの魂を閉じ込めるために造られたもの」
ノエルが震える声を出した。
「……壊せるんですか、そんなもの……?」
「壊せるわ。
“王家の血”と“影の血”が、共に命を差し出せば」
その言葉に、セリオとユリウスは沈黙した。
二人の間を、風が通り抜ける。
鐘が遠くで鳴った。
ユリウスが先に口を開く。
「なら、僕がやる。姉さんの願いを継ぐのは、僕だ」
セリオはその言葉を遮るように前へ出た。
「違う。俺がやる。
君はもう充分に“犠牲”になった。
王の血は、俺で終わらせる」
リディアは二人を見つめ、微笑んだ。
「どちらが命を捧げても、結果は同じ。
でも――“意志”を選んだ方が、生きる」
「生きる……?」
セリオとユリウスが同時に顔を上げた。
リディアの姿が少しずつ薄れていく。
「どちらか一人は、この国の“新しい始まり”として残る。
血ではなく、意志で選ばれた王として。
それが、私の最後の願い」
鐘の音が、また一つ鳴った。
夜の帳が、静かに降りていく。
運命の選択が、迫っていた。
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