第9話 鐘楼の心臓
夜の王都は、鐘の音に支配されていた。
大聖堂の頂にそびえる〈鐘楼の心臓〉は、古の石で造られ、王家の始まりと共に建てられた。
その鐘が鳴るとき、国の運命が揺らぐ――古来よりそう語り継がれている。
セリオとノエルは、風を切るように螺旋階段を上っていた。
足音が、石壁に低く反響する。
天井から垂れる鎖が、夜風に軋みを立てた。
「殿下、まさか……本当に“儀式”がまだ続いていると?」
「続いているどころか、終わっていない。
リディアが言っていた、“替え玉”の儀。
今も誰かが、血を引く者の代わりに死んでいるのかもしれない」
ノエルは沈黙した。
その横顔は硬く、瞳には恐れと怒りが交錯していた。
やがて階段の最上部、巨大な鐘が見えた。
鋼鉄の円盤のようなその鐘は、表面に古代文字が刻まれている。
その下――
祭壇のような台座があり、そこに黒い布で覆われた棺があった。
「……何だ、これは」
セリオの声が震える。
棺の周囲には、血のような線が描かれていた。
それは円を描き、中央に刻まれた紋章は、彼の王家の印と酷似していた。
「殿下、気をつけてください!」
ノエルが杖を構える。
棺の周囲に、淡い光が走った。
封印の魔法だ。だが、古すぎる。
まるで、百年前のものがそのまま生きているようだった。
セリオは一歩踏み出した。
胸の奥に、微かな痛み。
リディアの声が蘇る。
――“鐘楼の心臓へ行って”。
「ノエル、封印を解く」
「危険です!何が出るか――」
「彼女がここへ導いた。ならば、見るべきだ」
セリオは片膝をつき、両手を棺にかざした。
指先が古文に触れる。
冷たさが、皮膚の奥まで入り込む。
「〈王家の血脈に命ず。真実の名を開示せよ〉」
光が弾けた。
封印が崩れ、風が逆流する。
鐘の鎖が鳴り、影が蠢いた。
棺の蓋が、ゆっくりと開く。
中から現れたのは――白い衣を纏う少年の姿だった。
セリオは息を飲んだ。
少年は、まるで眠っているように静かだった。
しかしその顔は、どこか懐かしい。
輪郭、瞼の形、唇の線。
――それは、リディアによく似ていた。
「……まさか」
ノエルが震える声を出した。
「リディアが言っていた“弟”……ユリウス・アルセイン?」
セリオは答えられなかった。
棺の中の少年は、血の気のない頬にかすかな魔法の紋を刻まれていた。
それは“永遠の眠り”の印。
王家の呪術による封印――すなわち、“生贄”の証だった。
その瞬間、鐘が鳴り響いた。
――ゴォォォォン……
空気が震え、塔全体が揺れた。
少年の身体が、淡く光る。
その唇が、微かに動いた。
「……姉さん……?」
セリオとノエルが同時に目を見開く。
棺の中で、ユリウスの瞳が、ゆっくりと開かれていく。
その瞳は、リディアと同じ――灰色の光を宿していた。
目覚めた幽霊が一人。
そして、もう一人の“生きている亡霊”が。
王国の夜が、完全に音を立てて崩れ始めた。
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