第7話 封鎖された塔
夜風が冷たい。
王都の灯が遠ざかり、王立学舎の裏庭に二つの影が忍び込む。
「……まさか、王太子殿下自ら夜間潜入とは」
ノエルのぼやきが、闇に溶けた。
その声には呆れと緊張が入り混じっている。
「誰にも知られず確かめるには、こうするしかない」
セリオは短く答え、手にしたランタンの明かりを抑えた。
西塔。
五十年前、事件が起きたその場所は、いまや立入禁止区域。
廊下の扉はすべて封鎖され、使用人でさえ近づかない。
だが、ノエルの手には鍵があった。
彼が禁書庫の管理者から巧みに借り出した“複製魔鍵”だ。
「さすが魔導士だな」
「倫理の線は踏み越えていません。……ほんの少し、またいだだけです」
錠が静かに外れる音が響く。
扉の向こうは、長い階段だった。
空気はひどく乾いており、誰も踏み入っていない時間の長さが伝わる。
「……五十年ぶりか」
「はい。封鎖された理由も“安全上の問題”としか記録がありません」
二人はゆっくりと階段を上る。
壁の灯火はとうに消え、埃を被った絵画が並んでいた。
だがその中に、ひとつだけ異質なものがあった。
――〈リディア・ヴァン・アルセイン〉。
肖像画。
白いドレス、憂いを帯びた微笑。
それは夢の中で見た彼女の姿と、まったく同じだった。
「……生前の肖像画です。制作年は処刑の前年」
ノエルが囁く。
セリオは目を離せなかった。
絵の表面に、薄く刻まれた線がある。
古い呪印のような形。
「ノエル、これを見ろ。隠し印だ」
「魔力を感じます。……発動してみましょうか」
ノエルが杖を翳し、低く詠唱した。
淡い青の光が、絵の上に走る。
すると、肖像の背後の壁が静かに震えた。
――カチリ。
音を立てて、隠し扉が現れた。
石壁の奥には、狭い通路が続いている。
そこから流れてくる空気は、冷たくもどこか懐かしい香りを含んでいた。
「……まるで彼女が、ここへ導いたようだ」
「まさか亡霊が“案内”してくれるとは思いませんでした」
二人は足を踏み入れた。
通路の奥に、古い扉がひとつだけあった。
その扉には、金属製の紋章――“アルセイン家の紋”が刻まれている。
「彼女の部屋か?」
「記録にはありませんが……ここが“事件現場”でしょう」
セリオが息を呑む。
手を伸ばそうとした瞬間――。
ランタンの火が、ふっと消えた。
闇が襲う。
風が吹き抜け、遠くでかすかな鈴の音がした。
「……リディア?」
セリオの声が、闇に溶ける。
次の瞬間、扉が音もなく開いた。
中は小さな部屋だった。
机、鏡台、そして白い布をかけられた寝台。
五十年という歳月を経ても、ほとんど崩れていない。
壁の棚には、日記帳が一冊。
それだけが、異様なほど新しい。
「保存の魔法が施されていますね」
ノエルが慎重に手袋をはめ、日記を開いた。
最初のページには、流麗な文字でこう記されていた。
――〈誰かが、これを見つける時、私はもう存在していないでしょう〉
セリオは息を詰める。
ページをめくると、文字が次第に乱れていく。
日記の後半には、震える筆致でこう書かれていた。
――〈弟を守るために、罪を被ります〉
――〈私を殺したのは、“王妃”ではない〉
――〈真実は、鐘の鳴る夜に現れる〉
セリオの指先が震えた。
まさに、リディアが夢で告げた言葉そのものだった。
「……殿下、これはただの記録ではありません」
ノエルが低い声で言った。
「この日記、魔導反応を持っています。
“書いた本人の魂”が封じられている可能性がある」
「魂……?」
その瞬間、日記の頁が勝手に開いた。
冷たい風が吹き抜け、部屋中の埃が舞う。
そして、日記の中央に、白い光が立ち上った。
淡く揺れる人影。
それは、夢の中と同じ――リディアだった。
「……ようやく、見つけてくれたのね」
セリオもノエルも、息をすることを忘れていた。
幽霊令嬢は、静かに微笑み、目を閉じた。
「約束どおり、“真実”を話すわ。
でもその前に――覚悟を聞かせて。
あなたが本当に、王の血を疑えるのかどうか」
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