第6話

 夜が明けても、塔の上はまだ暗かった。

 分厚い雲が空を覆い、雨の気配が漂っている。


 セリオは、手元の書類を静かに閉じた。

 机の上には、古びた報告書が十数枚。

 いずれも“リディア・アルセイン処刑”に関する記録だ。


「どれも似たような文章だな」

 ノエルがぼそりと呟く。

「毒殺未遂、王位簒奪、侍女殺害……。

 まるで、誰かが“同じ筆跡”で書いたように整っている」


 セリオは指で文面をなぞる。

 均一な筆圧、均等な間隔。

 確かに、不自然なほど整っていた。


「五十年前の事件記録はすべて写本だ。

 原本は“保管上の理由”で廃棄された、とある」


「つまり、“本物”は残っていない」

「そうだ。だが――」


 セリオは一枚の紙を取り出した。

 それはノエルが王立学舎の禁書庫から持ち出してきた、

 “初版記録簿の断片”だった。


 ところどころ焦げており、半分ほどしか読めない。

 だが、そこに書かれていた名前に、二人は息をのんだ。


 ――〈証言者:ユリウス・ヴァン・アルセイン〉


「ユリウス? 同じ姓……まさか」

「リディアの弟だ」


 セリオは記録を握りしめる。

 弟の証言で姉が罪に問われた――。

 それが真実なら、あまりに皮肉だった。


「殿下、もう一つおかしい点がある」

 ノエルが、記録の端を指でなぞる。

「“毒殺未遂”の被害者が、王妃殿下になっています。

 ですが、この王妃は事件の直後、療養のために国外へ。

 数年後に“自然死”とされている」


「……証言できる者は、全員いなくなっているということか」

「はい。まるで“消された”ように」


 セリオは、ゆっくりと窓の外を見た。

 雨が降り始めていた。

 塔の屋根を叩く音が、心臓の鼓動と重なる。


「ノエル。

 五十年前の“西塔”の構造図を調べられるか?」


「古図面なら王都建築局に。ですが、一般閲覧は制限されています」


「王太子命令で通す。

 許可を出しておくから、最優先で調べろ」


「……かしこまりました」


 ノエルは淡々と頭を下げたが、その瞳には燃えるような好奇心が宿っていた。

 彼は霊や伝承を信じない男だった。

 だが、今だけは違う。

 この国の“記録”が意図的に改ざんされているとしたら――。


 その夜。

 セリオは再び夢の中で目を覚ました。


 同じ白の庭園。

 だが、今夜は風がない。

 時間が止まっているかのように、花びらが宙に浮かんでいる。


「……また来てくれたのね」


 リディアが、微笑んでいた。

 前回よりも淡く、まるで消えかけた影のように。


「西塔の事件を調べている。

 君の弟――ユリウスが証言していた。あれは本当か?」


「……ユリウス」

 リディアの唇が、痛むように動く。

「彼は優しい子だったの。

 何も知らずに、“そう言わされた”のよ」


「言わされた?」


「ええ。王妃の病の原因を、“誰か”が私に押しつけた。

 王家の血統に瑕をつけるわけにはいかなかったから」


 風が吹き抜けた。

 庭園の白花が、ひとひら、ひとひらと崩れ落ちていく。


「殿下。あなたは、この国の“記録”を信じる?

 それとも、目の前の“亡霊”を信じる?」


 問いかけの声は、夢の底で震えていた。


「俺は……真実を知りたい。

 たとえそれが、王家を壊すものでも」


 リディアはそっと目を伏せ、微笑んだ。

 その微笑には、祈りのような静けさがあった。


「なら、次に訪れなさい。

 “西塔の最上階”、夜明けの鐘が鳴る前に。

 そこに、私が遺した“最後の言葉”がある」


 光が強くなる。

 リディアの姿が、白い花びらのようにほどけていく。


「リディア!」

 セリオの叫びは、闇に吸い込まれた。


 翌朝。

 セリオは夢から目を覚ますと同時に、立ち上がった。

 机の上――。


 そこにはまた、白い花が一輪。

 今度は、花弁の中央に淡く文字が浮かんでいた。


 ――〈鐘が鳴る前に、真実は沈む〉


 その瞬間、扉がノックされた。

 ノエルが書類を手にして入ってくる。


「殿下、調べがつきました。

 “西塔”は五十年前の事件を機に封鎖され、

 内部の構造図は王室の極秘指定――」


 彼の言葉を遮るように、セリオは立ち上がった。


「ノエル、準備を。

 今夜、塔に入る」

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