第5話
夜が訪れた。
王立学舎の塔の最上階。
ノエルは精密な魔導器具を整えながら、淡々と説明を続けていた。
「殿下の枕の下に“夢録晶”を置きます。
夢の波長――つまり脳内魔素の振動を解析し、
異常な干渉があれば自動的に記録します」
彼の手元で、透明な水晶が淡く光を帯びる。
その光は呼吸のように揺れ、微かな音を立てていた。
「……本当にこれで、彼女に会えるのか?」
セリオの声にはわずかな緊張が混じる。
「保証はありません。
ですが、“何か”が接触してきたなら――証拠は残ります」
ノエルはそう言い、淡い笑みを浮かべた。
冷静な科学者の笑み。けれど、その目には好奇心の光があった。
セリオは静かに目を閉じた。
灯が消える。
世界が闇に沈み、音が消える。
風が、髪を撫でた。
目を開けると、そこは白い庭園だった。
花々は咲き誇りながらも、すべてが色を失っている。
白、白、白。
ただ一色の夢の世界。
「また会えたのね」
その声は、鈴の音のように響いた。
振り向けば、あの“幽霊令嬢”が立っていた。
白いドレスに、冷たい微笑。
髪は光を透かし、瞳は氷のように澄んでいる。
「リディア・アルセイン……」
「覚えていてくれたのね。嬉しいわ、殿下」
彼女は一歩近づいた。
けれど、足音はない。
その姿が揺れるたび、花びらが空気に溶けていく。
「これは夢なのか? それとも……」
「夢と現のあいだ。あなたが“信じよう”としたから、私はここにいるの」
「信じようとした……?」
リディアは少し笑い、視線を落とす。
その仕草には、どこか哀しみがあった。
「殿下、あなたは私を“悪女”だと思っている?」
唐突な問いだった。
セリオは言葉を失う。
彼女は処刑記録に名を残す“王家転覆を企てた令嬢”。
人々の記憶の中では、冷酷で、野心に溺れた女。
「……そう記録にはある」
「記録、ね」
リディアの瞳がわずかに揺れた。
「王家の記録に、私は“自ら毒を仕込んだ”と書かれている。
でも、私が本当に殺したのは――自分自身よ」
「自分……を?」
「ええ。誰かを守るために、真実を捻じ曲げた。
罪を被ることは、想像よりも簡単なの。
名誉よりも、“生きていてほしい人”がいるなら」
セリオは息をのむ。
その言葉には、嘘の影がなかった。
夢であるはずのこの世界が、現実よりも鮮やかに感じられる。
「……なぜ、私の前に?」
「あなたが、“真実を疑え”と言われて動いた最初の人だから。
この国は、記録で出来ている。
でも、記録は“書いた者の都合”で変わるもの。
それを壊せるのは、未来を持つあなたたちだけ」
リディアは静かに手を伸ばした。
その手は、セリオの頬に触れようとして――触れられなかった。
指先が光にほどけ、風に散る。
「……私はもう、“記録”の中にしかいないの。
だから、あなたの夢にすがることしかできない」
「そんなことは――」
「セリオ」
初めて、彼の名を呼んだ。
それは優しく、けれどどこか絶望的な響きだった。
「私が死んだ夜、王宮の西塔で何が起きたのかを調べて。
真実は、“生きている者の沈黙”の中にある」
風が吹く。
庭園が揺れ、白い花びらが嵐のように舞い上がった。
「待て、リディア!」
手を伸ばした瞬間、視界が弾ける。
――現実。
セリオは跳ね起きた。
汗が頬を伝い、胸が激しく上下している。
ノエルが傍らで記録板を確認していた。
「成功です。……殿下、驚かないでください」
彼の手には、波形のように揺れる記録。
そこには明確な干渉値――幽界エネルギーの波が残っていた。
「これは……本当に……」
「はい。
“誰か”が夢の中であなたに触れ、現実の魔素を揺らした。
つまり、リディア・アルセインは――」
「生きている?」
ノエルは静かに首を振る。
「“死んだまま、存在している”んです」
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