第4話 夢に現れる亡霊

 朝の光が、王都ファーレンを金色に染めていた。

 王立学舎の塔の上から眺める街並みは、整然として美しい。

 だが、セリオの目には、その美しさがどこか不自然に見えた。


 石畳の道は磨かれ、兵士は無言で行き交い、民は規律正しく列を成している。

 それはまるで、誰かが描いた理想の絵のように静まり返っていた。


「……これが、王都の“平和”か」


 セリオは呟いた。

 昨夜の夢のことが、頭から離れない。

 リディア・ヴァン・アルセイン。

 五十年前に処刑された“悪女”が、彼の夢に現れた。


 それが単なる夢なのか、それとも何かの“警告”なのか。

 彼自身にもわからない。

 だが、あの白い花だけは――どうしても説明できなかった。


 机の上に置かれたその花は、まだ新しい。

 まるで誰かが、ほんの少し前にそこへ置いたように。


「また寝不足ですか、殿下」


 部屋に入ってきた青年が、軽く眉を上げた。

 灰色の外套をまとい、手には分厚い魔導記録板。

 王立学舎の主席魔導士にして、セリオの側近――ノエル・アーデンだった。


 彼は卓上の花に目を留め、少しだけ目を細めた。

「珍しいですね。殿下が花など飾るとは」


「飾ったわけじゃない。目覚めたら、これがあったんだ」

「……誰かが忍び込んだのですか?」


「いや、そんな気配はない。

 それに、この花……“存在の痕跡”が少しおかしい」


 ノエルは興味深げに身を乗り出す。

 魔導士としての勘が働いたのだろう。

 彼は杖先に微かな青い光を灯し、花に触れた。


 淡い光が、静かに弾ける。

 しかし、そこには“生命の残滓”が存在しなかった。


「……これは、枯れてもいないし、生きてもいない」

 ノエルは低く呟いた。

「魔法で作ったものでもありません。

 時間の外側に存在している――そんな感覚です」


「時間の外側?」

「はい。たとえば、“夢”や“記憶”に属する存在。

 現実ではありえません。……つまり、これは“夢の残り”ですよ」


 セリオの心が跳ねた。

 “夢”――。

 昨夜、彼の前に現れた亡霊の言葉が蘇る。


 ――“夢を渡る方法を教えてちょうだい”。


 彼女の姿、声、そして最後に散った白い花弁。

 すべてが、この花に繋がっていた。


「……ノエル。

 君なら、夢と現実を繋ぐ魔法を、研究していたな?」


「ええ。理論上は可能ですが、実例は皆無です。

 夢に介入できるのは、高位の霊体か、意識の化身くらいのものです」


「もし、その“霊体”が、五十年前の人間だったら?」


 ノエルは一瞬、目を細めた。

 冗談ではない――そう言いかけて、彼は黙った。

 セリオの目に、冗談では済まないほどの真剣さが宿っていたからだ。


「……つまり、殿下はこうおっしゃる。

 “リディア・アルセインの霊が夢を渡った”と?」


「そうだ」


 沈黙。

 部屋の空気が一瞬で張りつめた。

 ノエルは思索するように視線を落とし、やがて静かに息をついた。


「夢の中で、彼女は何を語ったのです?」


「“真実を疑え”――それだけだ」


「……なるほど。実に哲学的な霊だ」

 ノエルの口調は淡々としていたが、どこか興味を抑えきれない響きがあった。

「殿下。もしそれが本当に霊的な現象なら、もう一度夢を見てみる価値があります。

 魔導記録装置を用いて、夢の波長を測定しましょう」


「測定?」


「ええ。“幽界干渉”と呼ばれる実験があります。

 夢の中で現れた存在が現実に影響を及ぼすとき、

 その瞬間、周囲の魔素が微かに変動するんです」


「……つまり、彼女が“本当に存在”しているかを、確かめられる?」


「理論上は、ですがね」


 セリオは深く頷いた。

 そして花を手に取る。

 その花びらが、指先の熱に触れると、わずかに光を放った。


 彼女が残した、唯一の痕跡。

 それが幻でも、彼には信じたかった。


 ――あの夜の声は、夢ではない。

 彼女は、確かに何かを伝えようとしていた。

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