孤独等級

侘山 寂(Wabiyama Sabi)

孤独等級

 AIが社会のあらゆる判断を担うようになってから、人間には「特化」が求められるようになった。

 誰もが得意分野に集中するため、協調性は不要とされた。

 その結果、生まれたのが「出世孤立制度」──高い地位を得るほど、人との交流が制限される仕組みだった。

 孤独に耐えられる人間こそ、最適化社会を導く存在とされたのだ。


 佐伯は、中堅メーカーの平社員だった。

 昼休み、同僚とコーヒーを片手に、くだらない動画を見て笑い合う。

 退勤後は娘とコンビニでアイスを買い、公園のベンチに腰かけた。

 ぬるい夜風が肌をなで、街路樹の根元から立ちのぼる湿った土の匂いが、夏の名残を運んできた。

 地味だが、確かに満たされた時間だった。


 娘は来年、小学校に上がる。

 もっと良い環境で学ばせたい──その想いが、佐伯の背中を押した。

 昇進試験の通知が届いたとき、彼は迷わず受験を決めた。

 合格すれば給与は倍。だが“二級孤独”が義務づけられる。

 家族とは週一度の無言面会のみ。


 申請書に署名する前、彼は一度だけ娘の寝顔を見に行った。

 小さな寝息を聞きながら、心の中でつぶやいた。

 「少しくらい寂しくても、きっと大丈夫だ」

 翌朝、静かにサインをした。


 秋、昇進後の生活は一変した。

 通勤は自動運転車になり、もはや電車に揺られる必要はない。

 食卓には毎晩、高級ステーキと赤ワインが並び、望めば専属のロボット執事がどんな料理でも即座に用意した。

 室内には常に穏やかな音楽が流れ、香り調整装置が季節の花──金木犀の匂いを散らしていた。

 けれど、その香りはどこか空虚で、鼻先に届くたびに人工の甘さが残った。

 窓の外では紅葉が舞い、街灯に照らされてゆっくりと地面に落ちていく。

 「快適ですね」とAI秘書が言うたび、胸の奥が少し冷たくなった。


 冬、彼は“昇格推薦”の通知を受ける。

 「一級孤独」──部長職。完全隔離。拒否権はない。


 出発の日、白い息が凍る玄関で、娘が泣いていた。

 声をかけることは禁止されている。

 彼はポケットから古いスマホを取り出し、かつて撮った家族の写真を見つめた。

 そこに残る笑顔は、どんなアルゴリズムでも分類できない感情だった。


 その夜、彼のデスクには自動生成の辞令が届いた。

 「孤独を受け入れた者こそ、社会を動かす資格がある。」


 モニターの明かりが、涙の跡を無表情に照らした。

 AIはその揺らぎを「ノイズ」として削除した。

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孤独等級 侘山 寂(Wabiyama Sabi) @wabiisabii

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