第6話 あやまち

2


 土曜日、俺と平和は昼御飯の後に出掛けた。夏に近付くこの季節はムシムシしていて嫌な感じだった。


 特に行きたい場所もなかった俺たちは、30分ほど歩いて公園のベンチに腰を下ろした。寂れた公園だ。ブランコもなければシーソーもない。かろうじて錆び付いた滑り台があるだけだ。


 地元にもそんな公園があった。そこは既に不良の溜まり場になっていた。今もきっと変わらずに中学生たちがあそこでたむろしているのだろう。


 「これからどうしたい?」


 俺は、隣に座る平和に声をかける。俺の方を見た平和は青く透き通った目を細めた。


 「わからねぇな。……和雄は?」


 「俺もわからねぇ」


 「……」


 平和が、視線を俺から空に移した。俺も弟もすっかり途方に暮れていた。身の安全は確保したのに、満たされない毎日。俺たちはこれからどうなるのだろうか。


 「そう言えば、お前カノジョとかいるの」


 「は?」


 俺は、不安を拭うために真面目な弟の唯一の浮いた話を持ち出した。自分よりも不安がる人間を見れば安心できる。俺は何よりも安心感がほしい。


 疑問系にはしたが、実際に平和が誰かと付き合っているのは知っていた。それが誰なのかはわからないが、学園の子ではないらしい。何なら既に手を出したのではないかとすら話がある。学園は嘘か本当かわからない噂話がよく流れる。


 平和は露骨に嫌そうな顔をした。そして首を横に振った。


 「つき合ってねぇし」


 「お前が手出したとかいうの聞いたけど」


 「誰に」


 「進村」


 「……アイツ、マジで職員なのかよ」


 進村というのは今年度から菫学園に勤務した大学を卒業したばかりの男で、平和の担当だった。この男は俺が平和のことを聞けば、兄弟だからなのか何でも話してくれた。俺からすると都合のいい奴だった。


 「で、マジなの?」


 「……」


 無言は肯定なのだろう。俺は、弟にも俺に似ている部分があることに何故か安心した。


 「平和がそーいうタイプなの意外だわ」


 「……確かめたかった」


 「は?」


 「俺が、ちゃんと男なんだって、確かめたかった」


 平和はそう言うと、右手でそっと自分の腹を触った。義父らから解放された今でも平和は腹痛や腹部の違和感を訴える。恐らく気持ちの問題だろう。


 不幸にも、義父をはじめとして全うじゃない男たちばかりに囲まれてきた平和の傷は深刻なもののようだ。自分の性別さえ自信が持てなくなり、終いには好きでもない女を抱いたわけだ。


 「手出したって言っても、ヤってないけどな」


 「何で?」


 「……できなかった」


 それがどういう状況なのかはわからないが、平和の小刻みに震える手を見れば彼は結局満足することができなかったのだろうことはわかった。


 滑稽な弟を見ると、自然と口角が上がった。自分なんかよりもよっぽど惨めだ。

 

 明星を殺したあのときの平和とは、すっかり別人だった。いや、あのときの平和が異常だっただけで、今の弱々しい彼こそが本当の姿なのだろう。


 そう思うと安心できる。だけど、あと一歩安心感がほしい。俺の方が平和より上の立場だという確固たる自信がほしかった。


 「平和、ちょっと付き合えよ」


 「何に」


 「便所行くぞ」


 「!」


 俺は立ち上がって強引に平和の腕を掴んだ。無理矢理立たせると、平和は目を大きく見開いた。


 「何でアンタまで! やめろって!」


 「いいじゃねーか。俺が確かめてやるから」


 「嫌だ! ふざけんな!! キメェんだよ!!」


 平和は大きな声で反論し、足は全力で踏ん張っている。


 「じゃあ、殺すか? 父さんみたいに」


 「」


 俺の言葉に平和は驚いた顔をした。


 「嫌なら殺せよ、簡単だろ」


 「……」


 正直、殺されてもいいと思った。漠然とだが、死にたいとすら思っていた。死ねたらそれほど安心することはないだろう。でも、自分で死ぬのは怖いから、どうせなら平和に殺されたかった。


 平和は何故か傷付いたように、泣きそうな顔をした。案外泣き虫なこの男は、それでも涙は流さないようにと顔を歪ませる。


 「何で……俺は……」


 「何でって、お前は人殺しだから言ってるんだろ。俺と同じ立場だと思ってるのかよ」


 「……」


 人殺しが俺と同等の立場なはずがない。コイツはまさしく俺たちを暴力で縛っていた男たちと変わらない。


 途端、平和は表情を無くした。泣きそうだったのが嘘だったかと思うほど一瞬で涙は無くなった。


 そして、イタズラが思い付いたときのように唐突に笑った。その顔は、明星を殺したときと同じように、幼い子どものような顔。


 ゾッと体が芯から冷える。


 平和は俺の腕を引いて、公衆便所に入った。そして、その洋式トイレに俺を乱暴に座らせた。


 「ちゃんと昨日風呂入ったんだろーな」


 「は? え?」

 

 「お前がヤるって言ったんだろーが」


 「ちょ。ま、」


 平和は躊躇うことなく俺のベルトを外し、ズボンのチャックも下ろした。そして、それも全く躊躇うことなく、俺の下着に手を突っ込んだ。


 「おま、えっと」


 「変に動くと噛むかもしれねーぞ」


 平和は、さっきまで拒んでいたのが嘘のように慣れた様子で行為に及び始めた。


 俺は、抵抗するのをやめてしまった。煽るつもりで言い出したことだが、言い出した手前、後には引けなかった。


 始めてしまえばもう、馬鹿になった気分だった。いや、実際馬鹿になってたのだろう。いつの間にか俺が主体で動いたが、平和は抵抗せずに受け入れていた。



 弟を犯す日が来るなんて考えてもいなかったが、行為中は正直多幸感で我を忘れていた。


 ただ、全てが終わって我に返ると何とも言えない罪悪感に支配された。


 「どうだった? 男兄弟で公衆便所でヤるとか死ぬより最悪だろ?」


 平和が壁に寄り掛かったまま自嘲気味に笑う。


 「何で俺のことは殺さないわけ?」


 「別に、和雄のこと何とも思ってねーし」


 平和はゆっくりと立ち上がった。生理的な涙が溢れた目は少し赤くなっている。


 俺も倣って立ち上がり、それからは無言で帰路に立った。


 平和は俺にも自分と同じ目に合わせようと考えたわけではなかった。それならば、平和が俺を犯すべきだが、決してそんなことはしなかった。


 死ぬより最悪だろ、と言っていたがその通りかもしれない。俺は下手な女子とヤるより気持ちよかった。完全に弟に興奮していた。だからこそ、きっと俺も俺が嫌っていた父たちと同じような人間なのだと気付いてしまった。

 

 「待って……もう少しゆっくり歩けよ……」


 「吐く? そこの草で吐けよ」


 「や、大丈夫、それは。でも、腹痛い」


 「孕んだ?」


 昔、冗談でそんなこと言ったなと思いつつ、俺は平和の腹を撫でた。平和は俺を見上げて眉を八の字にした。


 「……責任取れよ」


 「マジか、困るわ」


 多分、この弟は俺のことも恨んでいる。だから殺さずにこんな思いをさせるのだ。


 なんて残酷なのだろう。

 

 でも、恨まれる心当たりはある。面倒くさいことは全て平和に押し付けた。父の暴力から助けなかった。平和が傷付くのを見て安心していた。


 「俺だって父さんらと変わらない。一緒だ。今日、よくわかった」


 「別に、そーいうことではないんじゃねーの」

  

 俺の言葉に平和は落ち着いた声で返事をした。ペースを落としながらゆっくりと学園に向かう。


 「俺は、お前が痛がってるの見て興奮した。明星たちと変わらない」


 「アンタらに触られて興奮してる俺も変わらねぇよ」


 そんな風に自分のことを思っていたのか。


 俺は、何となく平和の手を取った。平和はやはり抵抗しなかった。


 俺たちは何年ぶりかに手を繋いで帰った。

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