飛鳥と先輩
古間木紺
この感情の名前を考えるくらいなら、先輩を負かすことしか考えたくなかった
ベッドのカーテンを閉じているのに、飛鳥はその先の向かいのベッドを見つめていた。
「――先輩、アメリカって、ほんとっすか」
「ほんと」
就寝時間を過ぎても、飛鳥は眠れなかった。思い当たる原因はただひとつ。寮の同部屋の先輩が、練習終わりに自身の留学を告げたからだった。いつものように先を越されて悔しい。二年経っても、結局先輩が頭ひとつ抜けていく。いつになったら勝てるんだろう? ぎゃふんと言わせられる? このままじゃ勝ち星とともにさよならされてしまう。
部内で、先輩の良きライバルは自分という自負があった。気に入られているのも自分だとも。部活動後は一緒に自主練習という名のワンオンワンを繰り広げるし、寮に戻れば常に行動を共にする。食事の席は学年ごとだが、先輩はいつも飛鳥を呼び寄せては自身の苦手な人参を飛鳥の皿に分けていた。たまの休日も先輩に連れられて試合を観に行った。
それなのに、今日のミーティングまで、先輩は一度も飛鳥に留学の話を漏らさなかった。先輩のいちばんは飛鳥であり、先輩のことは飛鳥がいちばん知っているはずだった。
「大学は?」
「まずはプレップスクールだよ。そこで大学入学の準備と、実力のアピールをして声かけてもらう」
「うまくいくといいっすね」
飛鳥は寝返りを打った。先輩を背にして、ぎゅっと目をつぶる。全くもってつまらない。
「……なに、寂しいの?」
「別に。俺だってアメリカ行きますよ」
そうだと思う。飛鳥の言葉は本当でもあり強がりでもあった。先輩がいなくなったあとの自分を想像できなかった。
だから勝てないのだと思う。まだひとりで立てるほど、飛鳥は強くなかった。勝つために、強くなるために、先輩をびたりと追ってしまう。同じ方法じゃ、ライバルに勝てないかもしれない。それでも先輩のあとを追いかけて、強くなりたかった。それしか考えられなかった。そうすべきだと、飛鳥は変えられてしまった。
「――おいで、飛鳥」
閉じたまぶたを、絶対に開けないと決めた。布団を握る手に力がこもる。
「飛鳥、来いって」
飛鳥にとって先輩は特別であり、ライバルでもあった。もうひとりで立たなければ、一生勝てないかもしれない。だから先輩のベッドに誘われても行かないと決めていた。勝負はコート外から始まっている。
でも、結局先輩の背中に顔を寄せていた。シングルベッドに百八十センチの男がふたり。狭いことこの上ないが、それでもこれが良かった。
「……先輩、俺と一緒にアメリカ行こう」
「ばか。一年も無駄にできねぇよ」
まだガキだな、と先輩が笑う。背中の振動は心地良かったが、それが今の自分と先輩の差だとも自覚した。
先輩のTシャツを引っ張って、涙を拭いた。埋められない実力差も寂しさも、全部先輩のせいだとなすりつけた。
飛鳥と先輩 古間木紺 @komakikon
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