おなか空いた
わたしは家の隅々を探索し始めた。
拠点を離れて、もっと安全な場所を探す。それが脅威から身を守るためでもあるけど、心穏やかに過ごすために必要だった。
わたしの触覚は一定の間隔で、うるさくピクピク揺れた。走っては、落し物を思い出したかのように足を止められるけど結局、なんでもない、という感じでまた動き出しての繰り返し。
洗濯機の裏で襲撃された同士たちは、謎の噴霧を浴びてしまったためか、やがて力尽きた。
お母さんも女の人に掃かれて、どこかに持ってかれてしまった。
わたし一人生き残った。
触覚の危険信号は安全な場所を発見するまでずっと止まないだろうね。
わたしは薄暗い廊下でも注意深く道を選んだ。
低い位置を這ったり、天井を上ったりした。
コの字を描くようにして、躊躇いながら明るいリビングに入った。
すると触覚が暴れ出した。
人間がいたんだ。今さら。もう間に合わない!
心の中で喚きたてた。
「わぁ! ゴキブリ!!」
わたしは弧を描いて、来た道を戻ろうとした。時間が掛かる。
ごめんなさい、ごめんなさい、わたしが悪いです。わたしが悪いからやめてください。
切羽詰まって、それでも六本の足をなんとかジタバタさせた。
ちょうどいい隠れ場所をみつけて、わたしは降下した。
これほどなく、たくさん動いた。休むことも含めて、人間の目から隠れたい。
不思議なことに足は一度も止まることなく、ソファの下に滑り込めた。
触覚はだらんとした。
人間の足が隙間からみえた。白い。一番小さい方。
ふっとため息を吐いた。
振動が徐々に大きくなる。
音はリビングで止まった。
もう一人の人間の足が現れて、近くの人間に向いた。ちょっと丸くて、二番目に大きい方。
「ねぇ、どこ? どこ行ったの、ハヤト」
「わかんない」
「はーあ、また増えちゃうよ」
女の人は台所に行くと、コンと凶器が置かれる音がしたので、わたしはふっとまた息を吐いた。
「おかあさん。今日のおやつはー?」
「クッキーあるから。それ取って」
「やった!」
少年がソファの近くから離れた。
しばらく出ない方がいいかも。わたしはここを拠点にするか考えて、一応候補に入れた。
トコトコとまたやってきた。
ドサッ。頭上に小さな丘がつくられる。
何かが破れる音がしたと思うと、香ばしい匂いが鼻をかすめた。
わたしは地面をジッとみて、食べかすが転がるのを想像した。
口の中の涎が垂れる。
クッキー、クッキー。
サクッ、サクッ、もぐもぐ。
交互に、ドンドンと鈍い音がリズミカルに鳴った。
待っても、待っても、食べかすは降ってこなかった。
少年の足が現れて、
「おいしかった! おやつまだあるー? おかあさん」
と言うと、カツンと耳障りな音が鳴った。
わたしはハッとした。
「お姉ちゃんの分食べて、おかあさん知らないよ、怒られても」
「んー、どうしよっかなー」
絶対、母親が持たせた! わたし食べたかったのに!
「ねえ、お皿置きっぱにしない!」
「はい」
少年はトコトコと台所へ行った。
あぁ、わたしのクッキー。今日たくさん動いたせいでお腹が空いている。なにか食べないと餓死するかも。
いいよね、人間は。好きに美味しいものが食べられて。
「えー余ってないの? クッキー」
おねだりが聞こえた。食べかす残しといて、もらえるわけないよ。いらないならわたしにくれてもいいのに。
少年にクッキーを貰ってほしくない。
はぁー寒っ、と廊下の方から声がした。
まだチャンスはある。
黒い足が振動もなく現れた。
「なんか薬くさい」
「あ、おねえちゃん」
「今日のおやつは? お母さん」
少女は台所の方を向かった。
「今日はクッキーだよ。おねえちゃんクッキー食べる?」
「ハヤトに言ってないよ」
「ただいまくらい言いなさいよ」
ゴソゴソと物音がして、
「はいよ」
と女性の方は、たぶんクッキーを渡した。
わたしは頭部を覗かせて、少女がクッキーを持っていることを確認した。急いで退散し、あとを追いかけた。
「あ」
という少年の声が聞こえた。
けど、触覚の反応はない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます