第11話
「おい、ここから出せ!」
どんなに叫んでも騎士は魔法を解かなかった。それどころかこちらを一瞥することもなく、宙に浮いたまま周囲を睥睨していた。兜を抱えたまま、時折首を横に振っている。
遠くから魔獣の咆哮が響く。
魔導騎士とやらは、拠点周辺の魔獣しか討伐していないようだった。
魔獣をあれほど容易く屠れる能力がありながら、視認できる距離にいる群れを放置していることに腹が立って仕方なかった。自分を取り囲む格子状の雷を、腹立ちまぎれに殴りつける。
バチンッ。身体ごと弾かれ、無様に地面に転がった。
「そんな強いのになんでだよ……、外にはまだ、人がいるんだぞ」
呻きながらそう呟く。身体が痺れて起き上がることすらできない。
『ちがう、そうじゃない』
人のものとは思えない美しい声が、辺りに広がった。脳内に直接語り掛けられているようなその声は、地底湖のように澄んでいて、同時に命を感じさせないほど冷たかった。
宙に浮いたままの騎士は、またも首を横に振っている。
「……なにが、ちがうんだ。お前はまだ、生きているかもしれない人を、見捨ててるんだぞ」
『世界をねじ伏せようとしてはいけない。全てを自分一人で背負う必要はない』
騎士が腕を軽く振った。空中に光輝く軌跡が残り、そこからまるで波紋のように銀色の光が広がっていく。何の音も聞こえないのに、その光が魔獣たちの命を刈り取っていくのがわかった。
『雪崩。雪崩が起きる瞬間を思い浮かべて。そのきっかけはささいな衝撃。私たちはその、小さな始まりになればいい』
どこかで見た覚えのある技。でもそれよりもはるかに完成されていて、それと今見ているものとが結びつかなかった。あれはいったい。
『世界には、すでに力が満ちている。傾きを見つけて、その背にそっと触れてあげて』
朝日を一身に浴びている騎士は、きらきらと光輝いていた。鳥肌が立ちそうなほど冷たい声なのに、その表情はどこまでも優しかった。それを見たらまったく根拠はないのに、もう大丈夫だと感じた。
無理に起き上がろうとするのをやめて、地面に寝転がったまま騎士を見上げる。
『そう、それでいい。力も速さも、何もいらない。ただ、押すだけ。この技の名は』
彼女はここにはいない誰かに触れるように、片手をゆっくりと伸ばした。
「『湖月斬り』」
――その瞬間、彼方から一陣の風が吹いた。
大岩も防壁も関係なく粉みじんにしたその風は、しかし兵士の誰一人として傷つけることなく、その頬を優しく撫でて流れていった。
見晴らしの良くなった拠点に朝日が差し込んでいる。
その周囲には夥しいほどの魔獣の死骸が広がっており、その遥か向こうから黒い鎧が歩いてきているのが見えた。
あれから一日が経過した。ろくに睡眠も取らずに治療をし続けたミリアは、魔導騎士にそれを咎められ、なぜか一緒に休憩を取っていた。
部隊を救った魔導騎士は、エリナよりも小柄な女性だった。
「魔導騎士団第七席、雷鳥のリィナ」
あの戦いの後、自分よりも小さな俺やミリアを見つけたのが嬉しかったのか、彼女はわざわざ近くまで来て胸を張って自己紹介をしていた。その時わずかに感じた嫌な予感は的中していたらしい。ミリアと並んで座りながら、どこからか取り出したお菓子を一緒に頬張るその姿は、煌びやかな鎧さえなければただの子供のようだった。
威厳のようなものががらがらと音を立てて崩れていく。
颯爽と現れ窮地を救ったあの騎士はいったいどこへ行ってしまったのだろう。俺はため息を吐きながら、もらったお菓子を一口齧った。
「え、うま」
「んふー」
彼女は満足そうに笑って、またお菓子を口いっぱいに頬張った。戦闘に関すること以外では口数が極端に減るのも、それに拍車をかけていた。
ずっと空を飛んでればいいのに。
鼻高々にミリアの頭を撫でている姿を見て、そう思ってしまったのは仕方ない事だろう。
だが、魔導騎士はこの帝国でよほど神聖視でもされているのか、俺以外からは未だに憧れの眼差しを向けられていた。ガルドやカイルの二人は、必要以上に遜っていて見ていられないほどだった。護国の要、兵士たちの頂点に位置する存在ということだろう。
「ん、いい子いい子」
頬を赤らめながらされるがままのミリアに苛立って、その腕を引っ張って引き離した。
「嫌がってるでしょ。やめてください」
「ん? ごめん、ね?」
「いえ、まったく! まったくです!」
ぶんぶんと首を横に振るミリアの背を押して、救護班の元まで送り届ける。先の戦いで部隊の大半は大けがを負っていた。左腕を失ったレンは今も、意識が戻らないままだ。峠は越えたとは言え、まだまだミリア達に休んでいる暇はなかった。
ミリアや他のメンバーに魔力を配り、水を新しいものに入れ替えてからリィナの元へ戻ると、そこにはレオンやエドワードたちが集合していた。
「リィナ殿、部隊を代表してお礼を言わせていただきたい。助けていただき、ありがとうございました」
レオンが深く頭を下げると、他の者たちもそれに合わせて頭を下げた。
「ん。遅くなった。申し訳ない」
彼女の視線の先には、氷漬けにされた兵士たちの死体があった。腐敗しないように、エリナが魔力を絞り出して凍らせたものだ。
「いえ、多くの者が救われました」
「ん。なら、あれの討伐、手伝って」
彼女はそう言って赤い空を指差した。「もちろんあなただけ。どう?」
「いやいや、リィナ殿がここにいるということは討伐のための人員はすでに派遣されているはず。隊長が行く必要はないでしょう」
たまらず副隊長が口を挟むと、彼女は困ったようにそっぽを向いた。
「わたしは、速すぎる、から」
「え?」
「まだ、来てない、かも?」
首を傾げている彼女に、おそるおそる副隊長が尋ねた。
「もしや、指令を待たずにここへ?」
彼女がこくりと頷くのを見て、副隊長が顔を押さえた。その様を見るに、何やら大変な事態らしかった。地球で例えるなら軍艦を一隻拝借してしまったようなものだろうか。いや、それ以上? 核爆弾級?
皆の背後で首をひねっていると、副隊長が顔を上げた。
「……どうして、そこまで。あなたには関係ないでしょうに」
「故郷だから」
リィナは部隊が来た方向に視線を向けた。「故郷、だったから」
彼女のまっすぐな言葉に皆が口を噤んだ。軽はずみに口を開いてはいけない雰囲気があった。全員の視線が、自然とレオンの方へと向けられた。
レオンが力強く頷く。
「わかりました。行きましょう」
「ありがと。あれの首を持って帰ればたぶん、許される。じゃあ行こ」
「いえ、もう少し待ってください。残される者たちの安全を確保しなければ、さすがに行けません」
「それなら、大丈夫」
彼女の目がきょろきょろと動き、俺のところでぴたりと止まった。細く短い指がこちらへと向けられる。
「落ち人、でしょ? 雷系のスキルも持ってるよね」
「だが、ハルトはまだスキルを使いこなせていない。戦力としては不十分です」
「ちがう。そうじゃない。魔力が世界と同じせいで力をうまく伝えられてないだけ」
いつの間にか手帳を取り出していたエリナが、リィナの足元で鼻息を荒くしてメモを取り始めた。「どういうことですか! 力をうまく伝えられないとは!」その様子に頬を引きつらせたリィナが人一人分横にずれて座った。距離を詰めようとしたエリナが、エドワードに取り押さえられた。
「えーと、海の中で小さな水がいくら動こうと大した影響はない。空気も同じ。彼もそう。人の形をしているけれど、彼は小さな世界そのもの。世界に影響を与えるには世界とは違う存在にならなくてはいけない」
レオン以外の全員がぽかんとした顔で宙を見上げた。レオンだけが得心がいったように頷いている。「なるほど。同じ存在には触れられない、そういうことですね」
「……どういうことです?」
「わかりやすく言えば、歯車がかみ合ってない。だから、力が伝わらない」
「はあ」
まだ困惑している様子のエリナに痺れを切らしたのか、彼女は俺を手招きした。
「つまり、魔力を変質させてしまえばいい。無理やりにでも歯車を合わせてしまえば出力は上がる」
彼女が腕を掴んだ瞬間、感電したかのように身体ががくがくと痙攣し始めた。駆け寄ろうとしたエドワードやガルドが、何かに弾かれたように吹き飛び、視界から消えた。
「そんな勢いで来ないで。すぐ終わるから、見てて」
手帳を持ったエリナがものすごい勢いで視界を横切っていく。「何があったんですか、どういうことですか、今のどういう仕組みかわかりましたか」と二人に根掘り葉掘り尋ねている声が薄っすらと聞こえた。たまらず苦笑いすると、痛みが少しだけ和らいだ気がした。
体の中を焼かれるような痛みにじっと耐えていると、腕から放電現象が起きはじめた。腕以外の部位からも同じように放電現象が起き始めると、リィナはそこでようやく腕を離した。
「うん、これで大丈夫なはず」
満足そうに笑っている目の前の女を睨みつけると、彼女は楽しそうな顔をしたまま遠くに生えている木を指差した。
どういうことだろう。あそこに魔術を撃てってこと?
紫電が迸る両腕を遠くの木に向けると、太く鋭い雷が飛び出した。鼓膜が破れそうなほど大きな音が響き、次の瞬間、木の幹は裂けその断面は黒焦げになっていた。
「……え?」
呆然とした表情でこちらを見ているレオンやエドワードたちを、まったく同じ表情で見返す。何が起こったんだろう? これは夢?
「今は私の魔力に近くなってるから、かなり雷系が強化されてるはず。逆にそれ以外は使いづらい。でも、ただの魔獣なら十分、でしょ?」
そう言って首を傾げた彼女に、俺たちは黙ったまま首を縦に振り続けた。
皆が正気に戻るまでの間に拉致された隊長が帰ってきたのは、それから三日後のことだった。
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