『怨嗟の躯(おんさのむくろ):呪われた設計者の連鎖』

トモさん

第1話:完璧な沈黙の代償

美樹の解雇から三週間が経っていた。


佐々木美樹(25歳)のマンションの部屋は、真昼だというのにカーテンが固く閉め切られ、冷蔵庫の中は空だった。部屋に漂うのは、淀んだ空気と、微かにカビたような匂い。


床に散らばった封筒は、工務店からの解雇通知、弁護士からの連絡、そして匿名の人間からの誹謗中傷の手紙だった。彼女はもう、その一つ一つに目を通す気力さえ残されていなかった。


美樹はベッドの上で、厚手の毛布を頭からかぶり、体育座りのように小さくなっていた。


「……静かに。静かにしなきゃ。私が、欠陥品だとバレる。早く、沈黙しなきゃ……」


美樹の唇は震え、ブツブツと意味のない言葉を繰り返していた。彼女の肌は乾燥し、弾力を失い、まるで40代後半の女性のようにやつれていた。以前の、工務店のエースとして輝いていた面影は、どこにもない。


彼女の記憶の奥には、半年前にあの呪われた家で、土屋悟の呪いの核である黒い皮膚の塊を燃やした瞬間の光景が焼き付いている。あの時、呪物が発した黒煙と共に、美物の上着には、微かな「残りカス」が付着していたのだ。


その日以来、美樹の頭の中には常に、土屋悟の冷たい声が響いていた。


『完璧を壊したお前こそ、最も醜い欠陥品だ。お前は失敗作。沈黙し、家の中に還れ』


その声に従うように、美樹の体は朽ち果て、彼女の専門能力はゼロになった。彼女の周囲で起こる全ての不幸は、彼女が「完璧な家」の敵であることの証明だと、彼女自身が信じ込んでしまったのだ。


その夜。美樹と連絡が取れないことを心配した従妹の杉山茜(16歳)が、彼女のマンションを訪れた。


「お父さん、お母さん。お願い、美樹お姉ちゃんは私たちを助けてくれたんだよ!私たちが行かないと!」


茜は両親に強く訴えた。しかし、父の光一(42歳)は、自分の家を取り戻した安堵感から、再び呪いに関わることを極度に恐れていた。


「茜!もういい加減にしろ!あの呪いは連鎖するんだ!私たちはもう、あの狂気から卒業したんだ!これ以上、美樹の不幸を、この家に持ち込むんじゃない!」光一は珍しく声を荒げた。


母の秋乃(42歳)も、光一の背後に隠れるように顔を歪めた。「光一さんの言う通りよ。私たち、やっと安らぎを手に入れたの。美樹ちゃんのことは、かわいそうだけど…私たちは関われないわ」


茜は、両親の「自己保身」が、呪いの恐怖によって強化されていることを感じ、胸が締め付けられた。


「わかったよ。私一人で行く」


茜は反対を押し切り、美樹のマンションへ向かった。


呼び鈴を鳴らしても応答はない。ドアに体当たりするようにノックし続けると、ドアが微かに開き、美樹が姿を現した。


茜は、美樹の変わり果てた姿を見て、愕然とした。


「お姉ちゃん!どうしちゃったの、その顔…!」


美樹の目には、茜の姿が映っているのかすら定かではなかった。彼女の口は、虚ろに動いていた。


「…茜…静かに…しなければ…私の服に…汚点が…」


美樹は自分の肩を指差した。茜が目を凝らすと、美樹が呪物を燃やした際に着ていた作業着の肩の部分に、煤(すす)のような、微かな黒いシミが付着しているのが見えた。


「お姉ちゃん、それ…!あの時の、呪いの残りカスだ!」


その言葉が、美樹の虚ろな意識をわずかに揺り動かした。彼女の顔に、一瞬だけ理性の光が戻った。


「…ち…がう…これは…私を…殺す…」


美樹はそう呟くと、再び毛布の中に逃げ込んだ。


茜は、美樹の服に付着した呪いの媒介と、美樹の「死」を望む怨念の存在を確信した。


(お姉ちゃんを助ける。私はもう、あの時の怖がる私じゃない)


茜は、美樹の部屋の隅に転がっていた、美樹が工務店で使っていた古い業務連絡帳を手に取った。その連絡帳の裏表紙には、美樹がこの半年間、呪いの正体を探るために残したであろう、乱雑なメモがあった。


そのメモの隅に、一つの連絡先が走り書きされていた。


「土屋高氏 公務員」


茜は、土屋悟の息子という、唯一の手がかりを握りしめた。

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