【短編】大好きな人にイヤリングを贈られた翌日、私たち三人の日常は音もなく終わった
どとうのごぼう
俺は幼馴染の誕生日にイヤリングをプレゼントした――それが私の心を壊す始まりだった。
「
パンッ。
クラッカーの残響が部屋の空気を震わせる。目の前で沙羅が眉をひそめた。
「もう3人とも17歳なんだし、クラッカーとかする年齢でもないでしょ」
「はい。沙羅の素直じゃないお言葉いただきましたー!」
今日は幼馴染の沙羅の誕生日。俺の家で彼女を祝っていた。
もう1人の幼馴染、瑠衣も一緒だ。
「沙羅もなんだかんだ言って乗り気だろ?」
軽口を叩くと、沙羅はふいっと横を向いた。薄茶色のセミロングが彼女の動きに合わせて揺れる。
「別に……
沙羅の視線を逸らしながらの返答。
こういう時の沙羅はいつも内心少しだけ喜んでいる。分かりづらい反応だが、俺達は小学校からの幼馴染だ。それぐらいは分かる。
こういうところが沙羅の可愛いとこだよな。俺は心の中で苦笑した。
「それじゃ食べよ! 沙羅の誕生日だけあって、俊が気合入れて作ってくれたしさ」
瑠衣は笑みを浮かべて、俺の方をチラッと見ながら楽しげだった。
……彼女の声の調子が、俺しか知らない甘さがちょっと混じっていて焦る。
「よし、じゃあ俺も食べるか!」
「私も食べよっかな」
3人で箸を伸ばす。
テーブルを囲む3人。この瞬間が、なんだか愛おしく思えた。
祝って、祝われて。笑って、時には冗談で言い合って。
10年以上の仲の3人が仲良く笑い合える。そんな時間がこれ以上ないほど大切に思えた。
――だが、胸の奥に申し訳なさも刺さる。
沙羅は、俺と瑠衣の
隠すしかない。それは分かっている。だが、それでも罪悪感だけは消えてくれない。
笑顔の裏で、心が小さく軋む音がした。
俺は考えるのを止め、肉じゃがを口に運んだ。
◇ ◇ ◇
「いやー、ケーキも美味しかったね!」
瑠衣は満面の笑みを浮かべながら、ハンカチで丁寧に口元を拭う。窓の外では夕暮れが近づき、瑠衣のロングストレートの黒髪が煌びやかに照らされる。
「そうだね。――あ、瑠衣。門限大丈夫?」
沙羅が訊ねる。
「うん、まだ大丈夫。18時までには帰れるよ」
「しかし、門限が18時っていうのは高校生になって厳しいよな。もうちょっと緩めてくれてもいいのにな」
つい愚痴ってしまう。
瑠衣がどれほど不自由か考えると、そんな言葉も出てしまう。
「瑠衣の家は昔から厳しすぎるからね。厳格なのが悪いとは言わないけど、程度があるでしょって感じ……」
沙羅も納得いかない様子でため息をこぼす。
瑠衣の家は明治から続く名家。古い伝統と格式が彼女の自由を縛っている。
婚約者も大学を出たら家の判断で決められる。……不愉快な話だ。
「瑠衣が自由に恋愛すら出来ないなんて……そんなの可哀想だよ……」
沙羅がそこまで言ったところでハッと顔をあげた。
「ご、ごめん。不快な発言して……」
沙羅は他者を哀れむ行為を嫌う。自分が瑠衣に同情したのを申し訳なく思ったに違いない。
「ううん、大丈夫だよ沙羅。私もそこの部分については未だに納得いってないしね。何なら、大学を卒業したら、白馬の王子様に見つけてもらって駆け落ちできないかなーとか思ってるし」
瑠衣は冗談めかして笑った。
「ふふっ。それ、いいかもね」
沙羅も同じ様に笑う。
――だが、冗談の裏に本気の覚悟が混じっているのを俺は知っている。瑠衣の笑顔の裏に隠された、静かな決意を。
ふと気づく。ケーキを食べ始めたあたりから、沙羅がちらちらと俺を見ていることに。
――そこで、俺は思い出した。
……なんて大事なことを忘れてんだ俺は。
「沙羅。まだ誕生日プレゼント渡してなかったな。わるいわるい、うっかりしてた」
瑠衣はもう沙羅に渡したってのに俺だけが忘れてた。
「ああ、俊もあったの? 俊のセンスがイマイチなのは知ってるから、むしろない方が良かったぐらいだけどね」
沙羅はそっけなく返す。いつもの皮肉。だが、その目が少しだけ期待に輝いているのを俺は見逃さなかった。
彼女が俺を何度も見ていたのはプレゼントを期待してのことだ。これまでの付き合いから分かる。
素直じゃない沙羅の不器用な期待。それを察して、俺だけでなく瑠衣も微笑んでいた。
俺はそっとバッグに手を入れ、掌に収まる小さな四角い包みを取り出す。
「沙羅、これ。誕生日プレゼント」
差し出すと、沙羅はぱちりと瞬きをした。
「……ありがと。今、開けてもいい?」
「もちろん」
言った途端、沙羅は勢いよく包装紙を破り始めた。
普段はこういうところは丁寧なのに今日は違う。それほど楽しみにしていたのだと気づく。
沙羅、嬉しそうだな……。
その様子を見て痛んだ胸を笑顔で誤魔化す。
考えたらいけない。
今日は彼女を祝う日だ。
俺の罪悪感なんて今は邪魔なだけだ。
箱の蓋がそっと持ち上げられる。
次の瞬間、沙羅の指先が止まった。動きがぴたりと止まる。
「……っ、これ……」
声がわずかに震える。
箱の中にあったのは、淡く光る白い三日月のイヤリング。
小さく控えめだけど、耳元でそっと主張する曲線。
沙羅はイヤリングが好きだ。だから探した。彼女に似合う静かな輝きを。
「沙羅って、月のモチーフが好きだろ? 見つけた時、ちょうどいいなって思ってさ」
沙羅はイヤリングを見つめたまま、唇をきゅっと結ぶ。その目がわずかに潤んでいるように見えた。
「……ふぅん。俊にしてはそれなりのセンスがあるんじゃない」
皮肉をいいながらも、沙羅は照れたみたいに目を伏せる。
そんな様子を見て、瑠衣も嬉しそうに微笑んでいた。
……沙羅にこんな顔させたくて選んだのに。
なのに、俺は――。
胸の奥がずきりと痛んだ。
俺は笑みを浮かべた――作り笑い。
「似合うといいな」
――彼女が喜んだ様子に罪悪感が湧く。
だから、笑顔でごまかす。
喜ぶ沙羅が真実を知ったらと思うと胸が痛くなり、ごまかす為の卑怯な笑みを浮かべた。
――そうして、瑠衣の門限もあり、この日は解散になった。
夕焼けが部屋を赤く染める中、俺は2人を見送った。
2人が帰ったあと、自室で天井を見上げながら沙羅のことを想う。
イヤリングを見つめたときの沙羅の顔が、まぶたの裏に居座る。……あんなの反則だろ。
嬉しそうで、照れていて、いつもの皮肉屋とは似ても似つかない顔で。
……もし、あれが俺に向けた気持ちだったとしたら。
喉がひゅっと狭まり、心臓が変な跳ね方をした。
認めたくない想いが胸の奥をつついてくる。
そんな考えを追い払うように水を飲む。
冷たいはずなのに、喉を通るたびに苦味が残る。
「……頼む。ちがうって言ってくれ」
誰に向けた祈りなのか、自分でも分からなかった。
◇ ◇ ◇
私の誕生会が終わった夜。自室でバッグから小箱を取り出し、イヤリングを手に取る。
――私なんかに似合うだろうか。
最初に浮かんだのはそんな疑問だった。自信のなさが、心の奥から湧き上がってくる。
「着けてみないと分からないか……」
そんな独り言をぼやいた後、私は慎重に耳にかける。
鏡の前に立ってみる。
「……きれい」
それがイヤリングに向けた言葉か、鏡の中の自分へだったのか、正直分からない。
後者ならかなり痛い。でも、それでもいいと思った。今日だけはそんな自分を許してもいい気がした。
『似合うといいな』
そう言った俊の笑顔が胸を刺す。
優しい笑顔。
ずる過ぎるほどに優しい笑顔だった。
ふと、鏡の中に映る私の表情を見ると、僅かだが微笑んでいた。
そんな自分が恥ずかしくなり、思わず無表情へと戻す。頬が熱い。
――俊にもらった物で、こんなに喜んでいるなんて……。
……でも、もう自分の気持ちに嘘は付けない。
――ずっと考えてきた、俊への感情。
俊といると少しだけ胸が高鳴る。
俊とずっと一緒にいたくなる。
俊と2人で過ごせる時間が増えればいいのに……これからの永い
そんなことを考えていると、胸が早鐘のように鳴り、どきどきが抑えられなくなってしまった。
「寝よう……」
胸の高鳴りを抑えるため、私はベッドへ潜る。
俊のことを考えていると、ずっと眠れなくなってしまう。何時だってそうだ。
だから、そういう時は別のことを考える。
瑠衣のことを想う。
たぶん……いや、確実に瑠衣は俊のことが好きだ。
私はそれなりに観察眼があるつもりだ。更にはあの2人とは10年以上の仲。だから間違いない。
……そして、瑠衣は俊と結ばれることは叶わない。
瑠衣の家は厳しい。自由恋愛すら許されないからだ。彼女もそれを受け入れ、諦めているように見える。
……同情は嫌いなのに、どうしても瑠衣にはしてしまう。
瑠衣は私の親友だ。
その親友が家の決まりで告白も許されず失恋する――。自分のことじゃないのに腹が立ってきた。
瑠衣はどんな思いで俊と接しているのだろうか……。叶わない想いを抱えたままひっそり失恋するしかないのか……。
そう考えると、私のことじゃないのに涙が零れそうになる。
だけど、そうしたらいつか私が俊のそばに立つ。
それは仕方のないこと。
だけど……心が痛い。
「ごめんね、瑠衣……」
声に出すとより胸が締め付けられる。
その時、瑠衣になんて詫びればいいだろうか……?
『瑠衣が俊のことを好きなのは知ってたけど、彼から告白されたから……ごめんなさい……』
そんな図々しい言葉を吐くしかないのだろうか……?
想像するだけで、胸が苦しくなる。
「はぁ……」
そう思うと憂鬱になってきた。今日は考えごとをするのは止めよう。
掛布団をかけ直し、眠りへ落ちるのを待つ。
月のイヤリングは小箱の中で静かに光っていた。
◇ ◇ ◇
――翌日、日曜日の昼。
私は自宅で恋愛映画を見ていた。映画は最初こそ面白かったが、途中からイマイチになり惰性で見ている。
「……あれ?」
そこで私は気づく。いつも机の上に飾ってある小さなパンダのぬいぐるみがない。
出かける時もバッグに入れるほど大切な、手のひらサイズのぬいぐるみ。
……幼い頃に俊に誕生日プレゼントでもらった、私の大事な宝物。
昨日は俊の家にしか行っていない。
バッグの中も部屋中を探してもない。……なら、俊の家に置き忘れた以外にないか。
私は着替えて俊の家に向かうことにした。
LINEで彼に聞いても良かったけど……正直に言えばこれを口実に俊と会いたかった。
その流れで数分でもいいから彼と話せるといいな。
出る直前、私は鏡の前へ立ち、俊からもらった三日月のイヤリングを付ける。
――やっぱり似合ってる……はずだ。
俊が見たらなんて言ってくれるかな。
『似合ってるよ、沙羅』、そんな台詞もいいが『沙羅の可愛さが引きたってるな』、そんな言葉がほしかった。
実際に言われたら柄にもなく顔を赤らめてしまいそうだ。
……恋する乙女にもほどがあるだろう。私は……。
そんなことを夢想しながら私は俊の家へと向かった。
◇ ◇ ◇
俊の家の前へ着く。俊の両親はどちらも単身赴任中だ。
私は彼からもらった合鍵で、いつもの様にドアを開ける。
中学一年の時、俊は私と瑠衣に『幼馴染なんだからいつでも家に入ってくれよ。両親にも許可取ったからさ』と言って手渡された。
さすがに不用心にもほどがあると呆れて、皮肉を言ったのを覚えている。
……だけど、本当はそれだけ俊に信頼されていることが嬉しくて……帰ってから、合鍵を見つめながらにやにやが止まらなくて――あの時の私は、さぞかし気持ち悪い挙動をしていただろう。
俊の部屋の前に立ち、ノックしようとした時だった。
声が聞こえた。
――瑠衣の声だ。
俊の声も聞こえる。2人が一緒にいる。
――ちょっと待って。
瑠衣って今日、用事が入ってたんじゃなかったっけ?
私の記憶が確かなら、今日は瑠衣が友達に誘われて好きな歌手のコンサートへ行くことになったと言っていた。
どういうこと……?
「……っ」
なんとなく嫌な予感がした。
額に汗が少し滲む。
私は音を立てないようにゆっくりとドアを僅かに開けた。
ほんの少しだが瑠衣と俊の姿が見えた。
『――ほんと久しぶりだね。こうして俊の家で2人きりって』
『ああ、最近は外で会うこと多かったからな』
一見、普通の会話をしている。
瑠衣が嘘をついていたのは気になる……俊と一緒にいることも。
だけど、それ以上に盗み聞きをするという行為が私の倫理観が許さなかった。
そう思い、ドアを閉めようとした時――。
『もっと2人で会える時間、作れたらいいのに……』
『そうだな……俺も瑠衣と2人で一緒にいたいしな』
『私もだよ……俊』
聞き逃せない言葉が耳に飛び込んできた。
今の会話、どういう意味……?
俊も瑠衣もいつもの調子なのに、言ってる事が恋人同士のそれとしか思えない。
――思えないって、何を現実逃避してるの……? どう考えてもこの2人は――
心臓が嫌な音を立てて脈打つ。
さっきから出ている冷や汗がより滲み出る。
『ねえ……今日は準備してきた?』
『なんのだ?』
『――避妊具……だよ』
瑠衣は恥ずかしそうに俊を見つめながらとんでもない言葉を口走った。
あの可憐な瑠衣が発した言葉とは思えない。
何を言ってるの瑠衣……?
私が知ってる瑠衣じゃない。喉が締め付けられる。息ができない。
『あ……切らしてたというか……そういうことするとは思ってなくて……』
あからさまに動揺した俊に瑠衣は――。
『大丈夫だよ。私が昨日買っておいたから』
瑠衣は頬を染め、隅に置いてある自身のバッグを見た。
私は右手で口を抑える。瑠衣の言葉に吐き気がしたからだ。
――ああ、そうだ、付き合ってるんだ……。
俊と瑠衣は付き合ってる。
しかも……肉体関係もある。
その事実にようやく脳が追い付く。全身が震えているのに気づく。
胃の中が逆流して吐き気が増す。喉の奥が焼けるように熱い。
『でも、大学入って……卒業間近になったら、あれ、いらないんだよね』
『……そうだな。隠れて付き合っていた恋人と妊娠した……。瑠衣の発案通り、それしかないからさ……』
――ああ、そういう算段なんだ。
瑠衣は恋愛は禁止されているほど厳格な家庭だ。だが、厳格な家庭だからこそ、恋人と妊娠なんてなったら産まない選択は瑠衣の両親は与えないだろう。
……そんな強行突破をしてでも添い遂げる覚悟をしてるんだ、2人は。
しかもその発案は俊じゃなくて瑠衣……。
瑠衣って、他人には大人しくて、親しい友達にだけには明るくなれる――そんな引っ込み思案な性格だと思ってた。
その瑠衣がそんな考えを抱いて……俊と付き合っていたなんて――。
『でもさ、沙羅には俺たちが付き合ってることは言ってもいいんじゃないかな……?』
「……っ!?」
私の名前が俊の口から出て、思わず声にならない声を上げた。
幸い、声は小さく2人は気づいていない様だ。
『騙しているみたいで悪いし……沙羅は信用できる。断言してもいい。だから――』
『駄目だよ、俊』
申し訳なさそうな表情で話していた俊を、瑠衣が首を振って遮る。
『沙羅は信用できるけど、うっかりとか、魔がさしてとかで、親や親しい人につい言っちゃう可能性があるもん。沙羅にも絶対に言っちゃ駄目だよ』
そう言いながら、瑠衣はほんの少しだけ目を伏せた。
瑠衣の言葉だと思いたくなかった。
こんな私が傷つくことを瑠衣が言うはずないって思いたかった。
だって瑠衣は私の親友だから。10年以上一緒にいる、大切な友達だから。
……私って、瑠衣から信用されてなかったんだ。
その事実が、じわじわと胸に染み込んでくる。
瑠衣を親友だと思ってたの私だけ……。
一方通行だったんだ。ずっと。
目尻に涙が溜まる。視界が滲む。
『……そう、だな』
俊の声は震えていた。
彼が握りしめた拳の音が、扉越しに聞こえた気がした。
――言いたい。でも言えない――
そんな迷いが、空気に滲んだ気がした。
俊も苦しんでいる。それは分かる。
でも、それでも――。
『そうだ。あれ着けようかな――俊からもらった大切な宝物』
そんな重苦しい空気を払拭するかのように、瑠衣はバッグから指輪ケースを取り出し丁寧に開ける。中に入っていた銀色の指輪を右手の薬指に着けた。
「……っ!」
息が止まった。
――凄く綺麗だ。
――私が俊にもらったイヤリングより断然。
最初に浮かんだのはそれ。
私のイヤリングより数倍――いや、十倍以上、値が張るであろうことが見ただけで分かる。銀色の指輪が眩しいほどに煌めく。
……何を比べているんだろうか。恋人に高価なプレゼントをするのは普通の事だ。
おかしくない……。
そう……何もおかしくないんだ。
だけど、途端に私のイヤリングはただの金属の塊になった気がした。
『相変わらず似合ってるな瑠衣』
『ふふ、ありがと』
『だけど、くれぐれも人前では着けないようにな。怪しまれるといけないしさ』
『分かってるって』
嬉しそうに笑う瑠衣の姿が眩しい。
2人とも心底幸せそうだった。私が見た事がない俊と瑠衣がそこにいた。
――自分が惨めだった。
『俊、何か足元にあるよ?』
『ん? なんだ?』
『――ん……』
瑠衣はほんの少し背伸びした。瑠衣と俊の唇が重なる。
「……っ!?」
何、やって……! 2人とも、私の前で何をやって……!?
『おいおい、瑠衣。突然だな』
『でも、嬉しかったでしょ?』
瑠衣は満面の笑みを浮かべる。
『ああ、嬉しかったよ、瑠衣』
俊も笑みを浮かべた。
私には見せた事のない柔らかな笑み。
――もう限界
私はそっと扉を閉じ、気づかれないように家の外へ飛び出した。
急いで路地裏へ逃げ込む。
「う、うぅ……」
吐き気が収まらない。右手を口に当てたまま何とか抑え込む。
胃液が喉まで上がってくる。飲み込む。また上がってくる。
相変わらず感情がぐちゃぐちゃだ。ぐちゃぐちゃすぎて頭がおかしくなりそうだ。
瑠衣が俊と付き合っていた――言葉にしてしまえばそれだけの話。
でも、それだけの話が何よりも心を抉った。
「うぐ……ぐす、あぐ……」
ぽとぽとと涙が地面へと落ちる。
瑠衣からは私は大して信頼されていなかった……。
俊は……私のことが好きだと勝手に驕って考えていた……。
だから、瑠衣には家の事情のこともあって同情していた。
……だけど、本当に同情される方は……哀れんで見られる方は私だった――。
「うぐ……っ、ぐぅ……っ!」
私は嗚咽しながら耳に着けていたイヤリングを外した。
――こんなもの……っ!!
イヤリングを思い切り地面へ叩きつける――。
「…………」
――叩きつけた……つもりだった。
だけどイヤリングを持った右手が全く動いてくれない。
思い切り捨ててやりたいのに、イヤリングへすら未練が断ち切れない想いが混ざって私を苦しめる。
「はぁ……はぁ……」
私は拳を握りしめるのを止め、雑にバッグの中へイヤリングをねじ込んだ。
それが今の私に出来る精いっぱいだった。
「うぐ、ぐす……っ」
まだぽろぽろと涙が溢れる。嗚咽が一向に止まらない。いい加減泣き止まないのか、私は……。
明日からどんな顔をして2人に会えばいいのか――。
このぐちゃぐちゃした気持ちにケリなんて、つけられるはずがない。
私は声を押し殺して涙が止まるのを待った。
永遠に涙が枯れる事はなさそうなのに――。
それからどれだけ泣いただろうか。
私はゆっくりと立ち上がった。
涙のあとをハンカチで拭う。
私は震える手でバッグからイヤリングを取り出す。昨日まで、宝物だったもの。
そして、もう1度、耳につけた。
――これが、私の想いの全部だ。
どれだけ無様でも――どれだけ未練がましくても――。
それでも私の想いは変わらない。
路地裏から出て家路を辿る。
足取りは重い。でも、前に進むしかない。
明日から俊の前でこれを着けて生きていく。
どう思われてもいい。
何とも思われなくてもいい。
どれだけ一方通行でも、私が俊を好きな気持ちが変わることはないから――。
-終-
【短編】大好きな人にイヤリングを贈られた翌日、私たち三人の日常は音もなく終わった どとうのごぼう @amane907
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