帝都公会堂の鐘 ー天道真一の祈音ー

アーチの下の暗号

「山根君、これはただのアーチじゃない」


天道教授は、古びた設計図をルーペで覗き込みながら言った。

場所は大学の資料室。埃とコーヒーの匂いが混ざった空間である。


「どう見てもアーチですけど……あ、でも先生、ここに線が一本——」

「そう、それだ! 建築線ではない。詩のような線だ」

「詩のような線って何ですか……」


教授は勢いよく立ち上がる。

「帝都公会堂を設計した川辺英之は、設計図の中に“自分の信念”を隠した。だが、戦後の改修でその意味は失われた。われわれがそれを解き明かすのだ!」


山根はため息をついた。レポート締切は明日だ。だが教授の目が輝いている以上、逃げられない。



数時間後、二人は夜の帝都公会堂に忍び込んでいた。


「不法侵入ですよ……」

「学問のためのフィールドワークだ、問題ない」


教授が指差したのは、ホール正面の巨大な石造アーチ。

ライトアップされた陰影の中に、微かに刻まれた線模様が浮かび上がっていた。


「“A.M.O.R.”……ラテン語ですか?」

「そう。愛——だ。だが、これは単なる言葉遊びではない」


教授が懐中電灯を照らすと、影が床に落ち、まるで心臓の形のように浮かび上がった。

山根は思わず息をのむ。


「公会堂の構造そのものが、彼の“妻への手紙”になっていたんだ」

「……設計図に、愛のメッセージを?」

「そう。建築は詩なのだよ、山根君!」


二人の足元に桐子が現れた。

「——何してるんですか、あなたたち」


あっさり現行犯。

だが桐子は、教授の説明を聞き終えると、ふっと微笑んだ。

「じゃあ、その“愛の詩”、ちゃんと保存してあげましょう。正式な調査として。」


教授は帽子を取り、深々とお辞儀した。

「感謝する、桐子君。学問にも恋にも、理解ある人が必要だ」


山根は思った。

——こんな教授のゼミ、やめようと思ってたけど。

もう少し、付き合ってみてもいいかもしれない。


そして翌日、大学の掲示板にはこう書かれていた。


「天道ゼミ:新入生募集中(ただし徹夜覚悟)」


山根はその下に、こっそり一行書き足した。


「教授、紅茶こぼしました」

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