第1話 AIが作品を生成しても、やることは同じへの応援コメント
「AIで小説を生成している書き手」の観点から興味深く拝見しました。私にとっての「拘り」。それはとってもたくさんあります。で、AI出力された文章はよく読むと粗がいっぱい。それをまたプロンプトで細かく注文出して……みたいな感じですね。
作者からの返信
猫又竜之介さん、コメントありがとうございます!
そうですよね。
やっぱり、簡単にはいかないとは思っていました。
ある意味、書き直してしまったら、既にAI作品としての華美がなくなってしまいますもんね。
私は、特にAIを否定していません。共存共栄が理想です。
ただ、区別はしますが、特にマイナスの意味はありません。
貴重なコメントありがとうございました!
第1話 AIが作品を生成しても、やることは同じへの応援コメント
ペンは罪を負わない。
紙も、キーボードも、スマホも、ただ沈黙している。
それらをどう使うかを決めるのは、いつだって人だ。
作家とは、天から選ばれた存在ではない。
言葉を積み、削り、失敗を重ねて身につけた技術職だ。
だからこそ、技術が変われば、作家の立ち位置も揺れる。
AIは何かを奪うのだろうか。
それとも、長く閉ざされていた扉を開く鍵なのだろうか。
映画を観て「自分ならこう描く」と思ったことは、誰にでもある。
物語の続きを想像したことがない人はいない。
けれど多くは、そこで立ち止まる。
「才能がない」「絵が描けない」「文章が書けない」
その諦めが、創作を未然に終わらせてきた。
AIは、その諦めに差し出された一枚の足場かもしれない。
才能の有無ではなく、考えたことを形にできるかという地点まで、人を運ぶ道具。
そこから先に進めるかどうかは、結局、使う人間の覚悟次第だ。
AIを否定する声の中に、恐れが混じるのは自然だ。
自分が積み上げてきた居場所が、揺らぐかもしれないから。
それは嫉妬ではなく、防衛本能に近い。
新しい技術が現れるたび、同じ議論が繰り返されてきたように。
だが、道具が増えた世界で問われるのは、いつも同じだ。
何を語るのか。なぜ語るのか。
AIが書いた文章か、人が書いた文章か。
その違いが意味を持つのは、物語が空虚なときだけだ。
心を揺らす一文があれば、作者が誰であろうと、人は立ち止まる。
もしかしたら、AIという道具の向こうから、
未来の文豪や、誰も見たことのない物語が生まれるかもしれない。
それを恐れるより、問うべきなのは一つだけだ。
この道具を使って、
自分は何を語りたいのか。
AIに書いてもらいました。
不快に感じたら削除します
作者からの返信
済美凛さんとAIさん、コメントありがとうございます!
まず最初にまったく不快ではありませんよ!
これは、文末のわたしの要望に応えて頂いた貴重なコメントですから。
ちょっと、話の振れ幅が大きように思いますが、主張と問いかけがある、素敵な評論だと思います。
ちょっとだけ、感情的な部分が感じられて驚きました。これは、プロンプトの影響なのですかね。
AIを道具として捉え、道具として使うことにより創作を諦めない拠り所とすると言った主張ですね。
筋が通ってますね。
ただ、そう言った裏側には、やはり悲哀なのか、プライドなのかそんな見え隠れする書き手の心は感じられないのが残念です。
理論としての主張で、感情としての主張が追いついてない感じです。
正直、このコメントに手を加えれば、かなり良いエッセイになりそうですね。
感動しました。
ありがとうございました!
第1話 AIが作品を生成しても、やることは同じへの応援コメント
どれだけAIが進歩しようが、己の中の何かを世に問いたいと願い筆を執るのであれば、やることはさほど変わりますまい。
売文あるいは売名したいだけなら、大いにAIに頼る人もいるのでしょうが。
とはいえ、現状、AIという「先入観なくくり返し小説を読んでくれ得る存在」は既に貴重、誤字脱字チェックも自分でやる前にAIを通しておくとだいぶ工数が削減できる、この辺は真実であり、大いに採用の余地があると考えます。
作者からの返信
掬月さん、コメントありがとうございます!
私も校正にAIは、最適だと思います。AIが示す候補を直すか、直さないかは、使い手の自由ですからね。
人として何かを伝えたい、人として何かを問う。これは、どんなツールを使おうと、人の意志なのですから、本当におっしゃる通り、やる事は変わりません。
上手く付き合う。それだけです!