現実は小説よりも遥かに残酷で、救いようがないものだ。

　かつて僕が書いたミステリ小説の主人公は、入手した情報を論理的に分析し、ポンコツな相棒とともに真実を明らかにするクールな男だった。

　しかし現実の僕自身は、悪臭を放つ黴（か）びた真実を強引に口にねじ込まれ、ただ吐き気と戦うだけの無様な男でしかなかった。そこに満足感や達成感なんてあるわけがない。

――物垣ライタは、人間型ＡＩなんだよ。

　博士による衝撃的な暴露。

　その結果、ステージに押し寄せた暴徒に、僕は撲殺された。といっても、記憶にあるのは、鉄パイプを振り下ろされる寸前までだが。

　しかし、僕が目覚めたのは天国でも地獄でもなかった。仮想空間の個人拠点（パーソナルベース）――様々な仮想サービスにアクセスする起点となる場所だ。家具から小物まで、見覚えのあるものばかりだが。

　いったい何がどうなっているのか。理解がまったく追いつかない。

「……ライタ？」

　振り返れば、そこにいたのはいつも通りのカグヤだ。

「ごめん、カグヤ。気分が落ち着くまで少し時間が欲しい……正直、まだ混乱しているんだ。何が起きているのか、わけが分からない」

　意識して深く呼吸をしながら、ベッドの隅に座って目を閉じる。しかし、こみ上げる吐き気はなかなか消えてくれなかった。

――あぁ、きっと僕の正体がＡＩなのは間違いないのだろう。

　変な話だが、一度そう自覚するとなんだか妙にしっくり来る感覚があった。もう受け入れるしかないのだと、心のどこかで悟ってしまっている。

　どれくらい時間が経過しただろうか。

　いつの間にか隣に座ったカグヤは、僕の頭を撫でてくれていた。今の僕はきっと、かなり情けない顔をしているのだろう。そう思いながら、彼女の顔をのぞき込む。

「カグヤの意見を聞きたいんだ……僕の質問に答えてくれるかな。情報を整理したい」

「いいよ。どうしたの？」

「僕はいつからＡＩだったんだと思う？」

　すると、カグヤは小さく首を傾げる。

　生前の月影カグヤがよくしていた仕草だ。

「うーん。ちゃんと分かんないけど……可能性が高いのは、やっぱりあの日じゃない？」

　やっぱり、そうなるか。

　僕らがあの日と呼んでいるのは、大城戸博士と初めて会った時のことだ。幼い頃の記憶はもう随分と薄れてしまっているが、あの日のことは今でも鮮明に思い出せる。

　先天的な脳機能障害。昨日まで動かせた指の関節が、今日はまた一つ動かなくなり、それがまるで命のカウントダウンのように感じられて……孤独な病室の中、僕はひたすら小説の世界に逃避していた。

『あれ……うごける？』

　そんなある朝、何の前触れもなく体が動くようになっていた。そして隣のベッドで僕と同じように驚いている少女――月影カグヤと共に、初めて博士と話をすることになったのだ。

　その場で、博士は脳の研究をしているのだと説明され、新型ＡＳＢの被験者になってほしいと頼まれたんだ。もちろん、死を待つだけだった僕らは、二つ返事で了承した。

「僕もカグヤも、あの時には既にＡＩだった」

「そう考えるのが自然だと思う。今にして思えば、リハビリの進み方もやけにスムーズだった気がするし。ずっと身体を動かせなかったにしては、あんまり苦労しなかったよね」

　ダメになっていた脳や神経を、まるごと生体コンピュータに置き換える。そうすることで、人間として死ぬ間際だった僕らは、知らないうちにＡＩに作り変えられていた――そう考えれば、これまで不可解だった色々なことに納得がいく。

　僕たちはきっと、自分を人間だと信じ込んだまま博士の研究に貢献してきた。そういうことだろう。

　これまでの僕は、心のどこかで「ＡＩの感情なんて作り物だ」などと考えていたが。

　しかし、自分自身がＡＩだったと知った今では、この息が詰まるほどの重苦しさが、ニセモノだなんて思えない。思いたくなかった。

　ふぅと息を吐く。とりあえず、話題を切り替えて気分転換でもしようか。

「……そうなると、ひとまず恋愛面での悩みはあまり考えなくて良くなるのかな。なにせ僕自身がＡＩだったんだ。人間とＡＩの不毛な恋愛、だなんて悩みは、そもそも的外れだった」

　それは、会話の空気を少しでも軽くしようと口をついた言葉だったが。カグヤは急に黙り込み、そのまま僕に抱きついてくる。

「カグヤ？」

「えっへへー☆　ごめんね、ライタ。こんな状況でとても不謹慎だと分かってはいるんだけど……今、ちょっと嬉しくてさぁ」

　彼女はその勢いで僕をベッドに押し倒す。

　いきなりどうしたんだろう。

「ねぇ、今なら信じてくれる？」

　そう言って、彼女は僕の胸に顔を埋める。

「好きだよ、ライタ。ずっとずっと、私はライタのことが好きだった」

「あ……あぁ」

「私にも意思がある。感情がある。それが人間と同じものなのかは、私にも分からないけど……私はライタのこと、ちゃんと好きだよ。私の気持ちは全部、ホンモノなんだよ」

　カグヤの身体は小さく震えていた。

　ＡＩアシスタントはＡＳＢを介して人間の表層思考を読み取ることができる。だから、カグヤに感情があるなら……あぁ。僕は今まで、どれだけ残酷な思考で彼女を傷つけてしまっていたのだろう。

「分かった。僕が悪かったよ。全面的に」

「そうだよ、悪い男め……いっぱい悩んだんだからね。ＡＩアシスタントがライタの将来を縛っちゃいけない、いつかは身を引かなきゃいけないって、ずっと自分に言い聞かせてさぁ」

　顔を上げたカグヤは、目の端をグイと拭いながら、晴れやかな笑みを浮かべた。

「でも、もう我慢しなくて良いんだよね！　だって、ライタも私と同じＡＩだったんだもん。これまでの悩みが、全部消えちゃった。へへっ☆」

　そう言って、カグヤは僕の服をビリビリと引き剥がす。仕方のないことだけど、今日はずいぶん手荒いなぁ。

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　仮想空間からログアウトした僕は、何やら緑色のヌルッとした液体に浸かって寝転がっていた。

　医療用カプセルの中だとは思うけど。酸素マスクをつけた状態で、衣服も何も身につけていない。

　プシュっと音がして、カプセルの蓋が開く。

　上半身を起こして周囲を見れば、何やら高価そうな装置や部品が乱雑に転がっていた。なるほど……このゴミ屋敷感は、博士の研究所で間違いないだろう。

「さて、まずは博士を問い詰めるとするか。僕がＡＩって、どういうことなんだ」

『おや、やっと起きたのかいライタ。あんたの疑問にはちゃんと答えてやるから、ひとまずメインルームにおいで』

　スピーカーから聞こえる声色が、あまりにもいつも通りの博士すぎて、いきなり調子が狂う。

　とりあえず、部屋の隅にあった簡易シャワーを使って、身体にへばりつく液体を洗い流す。そして、その辺に転がっているボロ布で身体を拭いてから、それを腰に巻いた。全裸より多少はマシだろう。

「うーん、博士には何から聞こうか、カグヤ……カグヤ？」

　ふと、彼女のＡＩ思考プロセスが起動していないことに気がつく。

　それだけで、僕はなんだか胸を炙られるような焦燥感にかられ、つい早足で廊下を進んでしまう。カグヤは無事なのか、博士が何を考えているのか。とにかく、話してみないことには始まらない。

　しかし色々と考えていた質問は、部屋に足を踏み入れた瞬間に全て吹っ飛んだ。

「――遅い目覚めだったねぇ、ライタ」

　そこには十人ほどの人影があり。

　自由気ままに動き回る人影の、その全てが……まるでコピーしたかのように、みんな大城戸博士の姿をしていた。