婚約破棄してスローライフを目指します!

seika

第1話 目が覚めたら悪役令嬢でした

 

 ――まぶしい。


 目が覚めた瞬間、真っ白な天井が目に飛び込んできた。


 体がいつもより軽い。視界に入るのは見覚えのない部屋。天井に吊るされたシャンデリアや家具の配置まで、すべてがやけに豪華だ。そして、ふかふかの肌触りがいいベッド。私の知らない香水の匂いが鼻を刺激する。


 ……ここ、どこ?


 昨日の記憶を手繰り寄せる。


 会社で上司に『根性が足りない』って小言をいわれて、心の中で「黙れこのハゲが」と毒づきながら残業していた。そのあと、終電を逃して資料を抱えたまま立ち上がったら、目の前が真っ暗になって……あれ、もしかして私……死んだの?


 勢いよく体を起こし、ベッド脇のドレッサーに置いてあった手鏡を掴んだ。


 映り込んだ顔を見た瞬間、思わず息を呑む。つややかな黒髪が肩まで流れ、整った顔立ちと長いまつげ。少しつりあがった黒い瞳が鏡越しに私を見つめている。その美しい容姿には見覚えがあった。


「私じゃない……っていうか、これは……」


 ――リリアナじゃない!?


 私が愛読している恋愛小説『真実の花を王に捧ぐ』の挿絵に描かれていた、悪役令嬢リリアナにそっくりだ。


「うそでしょ……これは夢の中……?」


 自分の頬をつねってみるが、鈍い痛みが残った。


「……痛い……」


 そしてゆっくりとベッドから起き上がった。


 カーテンを開けるとそこに広がっているのは自分の知っている光景ではなかった。女性たちは煌びやかなドレスを着ていて、笑いながら通りを歩いている。男性はタキシードのような服に帽子をかぶり、馬車が街を駆け抜けていた。


「あ……ありえない……」


 これが小説なんかでよく見る”転生”ってやつ?


 部屋の隅に置かれた大きな姿見に自分が映っていた。豊満な胸に長い脚。雪のように白い肌はまるで人形のようだった。


「私は佳奈かな……のはずなんだけど……本当にリリアナになっちゃったのね……」


 ふわふわのベッドに仰向けに倒れ込む。


「どうせならアメリアの方が良かったのに……」


 目を閉じて、原作を読んだときの感想を思い返した。ヒロインって本当に天使みたいだったな。誰にでも優しくて、健気で可愛くて。平民から貴族の養子になったせいか偉ぶることもなく、読者の誰もが彼女を好きになっていた。


 もちろん、わたしもその一人だった。


 そんな彼女の前に立ちはだかるのが、悪役令嬢リリアナ。王子のそばにいるヒロインを妬み、嫉妬に狂っては、ありとあらゆる嫌がらせを仕掛けた。そのたびに王子とヒロインは困り果てていた。


 当時の私は「嫌な女だな」と思っていたけど、まさか自分がその悪役令嬢になるなんて……夢にも思わなかった。


 そのとき、ドアがノックされた。


「お嬢様、起きておられますか?」


 低く落ち着いた声が響く。ゆっくりと扉が開き、執事のような格好をしたリリアナと同い年くらいの少年が現れた。一つに束ねた銀の長髪に、深い青色の瞳は、まるで透き通った青空のようだった。


 ……綺麗。その雰囲気にはどこか懐かしさすらあった。


「……あなたは?」


 少年は一瞬だけ眉をひそめた。その青空にかすかな動揺が走るが、すぐに何事もなかったように完璧な微笑を浮かべた。


「執事のカイでございますよ、リリアナお嬢様。本日はお昼から第二王子殿下とアメリア様との、お食事会がございますので準備なさってください」


 “王子”と“アメリア”の名前が耳に入り、本当にあの小説の世界に迷い込んでしまったのだと実感する。


「お嬢様……顔色が優れませんが」


「……少し、夢を見ていたの」


 動揺を悟られないように笑顔を作る。心配そうな表情を浮かべているカイは、リリアナの専属執事だ。幼い頃から彼女に仕えており、原作にも登場していた人物。


 だが、作中での出番はごくわずか。台詞もほとんどなくクールな執事として、数度名前と挿絵が出る程度だった。それでも、端正な容姿とお嬢様に忠誠を誓う有能な執事という肩書きが、女性の胸をくすぐり読者の間で密かな人気キャラだった。


 登場シーンの感想欄では「もっと出番を増やしてほしかった」「実は裏で何か知っていそう」と推測するファンも多く、“影の推しNo.1”と呼ばれていた。その本人が私の目の前に立っているなんて。


「……やっぱり、本物の破壊力はすごいわね」


「何かおっしゃいましたか?」


「いやっ、なんでもない……なんでもありませんことよ!」


 おほほほ、と苦し紛れの笑いで誤魔化す。あぶない……お嬢様っぽくしないとボロが出てしまう。


「お嬢様、そろそろお支度を。気が乗らないでしょうが。」


「え、ええ。わかったわ」


 そうよ。私がリリアナである限り、誰にも怪しまれてはいけない。だってこんな話、誰にも信じてもらえないだろうから。

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