第3話 妖精パックと怪しげな薬
ここ三日ほど、夕刻頃から夜まで外に出かけると必ず後ろからつけられている。
角を曲がるたびに赤がぴょこぴょこと風に揺れているのが見える。
あいつはあれで尾行しているつもりなのか?
次の曲がり角で待ち伏せし、「おい」
と尾行していた少女に声をかける。
「うひゃあ!」
赤い髪の少女は素っ頓狂な声を上げて尻餅をついた。
「何してんだ」
「何って……あ、あんたが人を殺したりしないか、見張ってただけだケド……」
「勘弁してくれ、姫様ってのは暇人なのか」
「む……私は学生だから、公務には追われてないの」
「迷惑だからやめてくれ」
「ヤダ!」
「はぁー……もういい勝手にしろ」
俺が歩き出すと、彼女は鼻息交じりに俺の横に位置取り、歩き始めた。
「もっと離れろよ」
「なんでそんなこと言うの。ついてきていいって言ったじゃん」
「まあ確かに言ったけどさ……」
「この後飲みに行くんでしょ! 一緒に行ってあげてもいいんだけど? 一人で寂しく飲んでるの知ってるんだからね」
こいつ、なぐってもいいか?
「いや、そういうの必要ない」
「な!? こんなかわいい娘とお酒が飲めるのに!?」
「ばあちゃんが言ってた。自分でかわいいという女はろくな奴じゃない」
「むむむ……あんたが飲んでる間、外で待ってるの退屈なのよ。一緒に行かせてください、お願いします!」
大声で叫ぶものだから、通行人の視線がとても痛い。
「ったく、しかたねえな」
「やた!」
* * *
チャリン
行きつけの酒場のベルが鳴る。
店に入ると、アンナがこちらに手を振っていた。
アンナは二歳年上の女性で、猫耳族だ。髪型はネイビーブルーのショートカット。
薄く紅を差したように頬が火照り、優し気な目元は力がほどけている。
彼女とは酒場でたまたま意気投合して、一緒に飲む仲になったのだ。
テーブルには空いたエールのジョッキが二杯。
「あれ~え? 今日はルカ、女連れなんだ。しかもこんなかわいい子、どこで拾ってきたの?」
アンナはコーヒーにひとかけらのビターチョコを落としたような、苦みと甘みのあるハスキーで落ち着いた声で話す。
俺はアンナが座っているテーブル席に座り、
「拾ったんじゃない。勝手にくっついてきて離れなくなっただけだ。こういうのなんて言うんだっけ……何とか虫……?」
「私を引っ付き虫みたいにいうなぁ!」
赤髪の少女はポカポカと地味に痛いパンチを肩にぶつけてくる。
「仲いいんだね~」
「アンナ、人の話聞いてたか?」
「ふふ。きいてるよ~。そろそろ紹介して欲しいんだけどな~」
そう言われて、この赤髪の少女のことをほとんど知らないことに思い至った。
「こいつは、あれだ。姫らしい」
紹介を終わると、赤髪の少女は、
「あんた名前も知らないの!? 私は王女なのに……」
「そう言われてもな……」
王族の名前になんて興味ない。
少女はアンナに向き直ると、
「もういいわ。私はキルシェ、この国の第三王女です」
左手でローブの端を持ち上げ、右手を胸元に添えると、背筋はまっすぐ。顎だけを一息分だけ引き、見惚れるほど見事なカーテシー。
「かわいいわね~。私はアンナ。よろしくねキルシェちゃん」
アンナは立ち上がってキルシェに抱き着いた。
「こいつ、酔っぱらうと誰にでも抱き着くんだ」
「え……? 誰にでもってことは、ルカにも?」
「ああ、ほんと困るよな……」
「うれしいくせに~。でも、男の人で抱き着くのは、ルカだけだよ~」
「二人は、その、そういう関係なの?」
キルシェは声をこわばらせて言う。
「そう言う関係~?」
「こ、恋人というか……」
「あ~ないない! 私~、年上好きだから」
「そう、なんだ」
キルシェはホッとしたように、固く結んでいた唇がわずかに開き、口角が自然に上がる。
「その反応、もしかして~」
アンナがキルシェの耳に口を寄せて何かを囁く。
キルシェはゆでダコのように耳まで真っ赤になった。
「あんたもすみに置けないね~」
アンナがニヤニヤと笑いながら俺を見る。
「どういう意味だ?」
「ま、いいから飲も飲も! 二人もエールでいい? いいよね~? 店員さんエール二つ!」
遠くであいよーという声が聞こえた。
「は~いそれじゃあカンパ~イ!」
俺たちはグラスをぶつけて飲み始めた。
アンナはあまり自分のことを話したがらないので、会話は自然とキルシェのアカデミーでの話になっていった。彼女はアカデミーで勉強して、この国を良くしたいらしい。
「わ~えら~いキルシェちゃん」
アンナは酒で顔が真っ赤になったキルシェの頭を撫でている。
二時間ほど飲んでいると、
「き、気持ち悪い……」
キルシェは今にも吐きそうな切羽詰まった顔で、口元を押さえている。
「ごめんね~。ついかわいくて調子に乗って飲ませ過ぎたね。じゃあルカ、後よろしくね。ちゃんと送っていくんだよ~」
くそ、なんで俺が。
「うっぷ……」
「おいまて、ここで吐くな! 清掃代とられるだろうが!」
外へ連れ出すとさっそく、
「おええ」
キルシェは胃の内容物をこれでもかとぶちまけた。
店で勘定を済ませ、水をもらってくる。
「ほら、水飲め。少しは楽になるから」
「うわぁ……世界が回ってるぅぅぅ」
頭がふらふらになりながらも、俺が渡した水を飲み干す。
「家の方向分かるか?」
「うーん……たしかあっちー」
そう言って指さしたのはピンクのネオンが揺れるホテル街だ。
「あっちはホテル街だぞ」
「あ……うん、こっちー」
逆方向を指さす。
ほんと危なっかしいやつ。
「お前、スラム街で酒飲むの禁止な」
キルシェは何か言いたげに口をもごもごしていたのだが、やがて、
「……分かった」
と不満げにつぶやいた。
「じゃあルカも約束して。人を殺したりしないって」
「……善処する」
キルシェはじーっと真剣な目を俺に向けてくる。
その有無を言わさない視線に根負けした。
「分かった……。もう人は殺さない」
「よろしい!」
「あと、お前はもう俺につきまとうな」
スラム街にお姫様がいるというだけで、どれほど危ないか俺はよく知っている。
「なんでそんなこと言うの……」
キルシェは目じり一杯に涙をためて俺を見る。
「どうして泣くんだよ」
女ってのはほんとにわからん。
「勝手につきまとって、迷惑だったんでしょ。悪かったわね!」
「そんなこと言ってないだろ……?」
平民街までキルシェを送る。
「もう自分で帰れるから」
そう言って彼女は俺に背を向けて歩き出した。
ったく、何なんだあいつは。おいしかったはずの酒が、胃の中で別の物質に変わったかのように、口の中いっぱいに苦みが広がっていった。
* * *
拠点にしている宿屋にて。
――ふわり。月明かりをくぐる粒子のような光。窓辺に腰かけた手のひらサイズの存在は、純白の羽根をゆるやかに打ち鳴らす。
「なんだ妖精か」
そういや、女神ユーティが転生特典を届けるとか言ってたっけ。
「僕はパック! 女神ユーティ様からお届け物をもってきました!」
差し出されたのは桃色に輝く液体の入った小瓶。
「女神ユーティの祝福です! テッテレー! おめでとうございます! あなたは今代の救世主に選ばれました!!」
パックはこれでもかと手を叩き、祝福する。
「折角だけど、そういうの、間に合ってるんで。じゃ」
バタン
そんな怪しげな薬を飲めるか。
バンバンバンバン!!!!!
「なんだうるさいな! 近所迷惑でお巡りさん呼ぶぞ!」
「それは困ります! 警察のご厄介になったなんてユーティ様に知られたら、どんな折檻を受けるか……。とゆうか、あなた、救世主に選ばれてうれしくないんですか? 最大級の栄誉ですよ! 世界を救えるんですよ!」
「うそくさい」
「そんな!? 私は正式な神の使者なのですよ! とゆうか、したがってもらわないと世界が滅びますし、私がユーティ様に叱られるんです!」
「だいたい、その怪しげな薬は何なんだ?」
「よく聞いてくれました! この薬、女神の祝福は魔王を打ち倒すための力を与えてくれる薬で……詳細は飲んでのお楽しみです!」
こいつ、実は効能を良く知らないんじゃないか?
魔王は倒したいけど……。
「お前の言うことは信用できない」
「全くもう……疑り深い人ですね。仕方ない、こうなったら奥の手です」
「奥の手? なんだ実力行使に出ようってのか? 受けて立とうじゃないか!」
俺は腰の短剣を構える。
「あなたがいけないんですからね! ……スリープ」
瞼が重くなり、唇に硬質なガラスの感触。とろみのある液体が喉を滑り、意識は闇へ沈んだ。
* * *
ちゅんちゅん。鳥が鳴く声がする。
目が覚めると、窓から陽光が射しこんでいた。
体の様子がどうにもおかしい。腕に力が入らないし、胸が苦しい。それに少し細くなったような……?
「……ん? え?」
鏡を見て絶句した。スレンダーな体に、ふわふわの長くて白い髪。
服を脱ぐとあるはずのない大きな……胸!? 柔らかい!?
慌ててパンツを脱ぐと、そこにあるはずのものが……ない!?
「うそだろ~~~!!!!?」
部屋中を転げまわる。なんだこれ!?!?!?
いやこれは夢だ。そうに違いない。起きたら女の子になってましたなんて、そんなこと現実に起こるわけがない。
壁に頭をぶつけると……ちゃんと痛いじゃないか!?
「こんなの、現実に起こるのか?」
落ち着け、昨日何があったっけ……?
そうだ、あの妖精パックとかいうのがきて、女神の祝福とかいう怪しい薬を無理やり飲まされて……。あれか!?
そうだあの薬に違いない。あの妖精を探し出してとっちめてやる!
身体が小さくなった分ぶかぶかになった服を着て、宿屋から転がり出る。
「どこ行ったパック!!」と叫びながら町中を駆け回る。
人混みをかき分けて進むたび、八百屋のカゴに頭を突っ込んだり、パン屋から出てきたおばさんにぶつかって転げ回ったり、全く前に進めない。
「ねえねえ、お姉ちゃん大丈夫?」
と通りすがりの子どもたちに心配される始末。
「なんで朝っぱらからこんなに賑やかなんだよ!」
屋台の間をすり抜けると、今度は飴細工屋の棒が髪に引っかかって髪が大惨事に。
女の身体ってどうしてこう動きにくいんだ!
「くそ! 誰か手のひらサイズの妖精見ませんでしたか!!」と周りの人に聞きまくるが、
「見てないなあ」とあっさり。異世界でも都会の人は不親切だ。
焦れば焦るほど足は空回り。気がつけば町の反対側まで全力疾走、息も絶え絶え。おまけに胸の脂肪が重いし走るたびに弾むし、邪魔でしょうがない。
「あの妖精、どこだあっ! はぁ、はぁ」
噴水の広場で息を整えていると、
「見つけたぞ!!」
広場を浮遊しているパックを発見。なりふり構わず全力ダッシュ。
「な、なんですかあなたは!?」
両手でパックを捕まえると、
「この詐欺妖精が!! 怪しげな薬を飲ませやがって!」
「あ、もしかして、ルカ様ですか?」
「そうだよ! お前のせいでこんな体になっちまったがな!」
「おかしいですね、女神の祝福は単に魔王を倒す力を授けるもののはずですが……。性別が変わるなんて作用は……あれ……? まさか……そんな」
パックは目を反らす。
「おい、ちゃんと説明してくれるんだろうな」
「それは……かくかくしかじかでして……」
「じゃあお前は女神の祝福と違う薬を、間違えて俺に飲ませたってことか?」
「はいぃ……さようで」
「で? どうしたら元に戻れるんだ?」
「それがその……当方ではお答えできかねる問題でして……」
「つまり、お前は間違えて俺を女にして、なおかつ、元に戻る方法を知らないってことか?」
「あ、あの……ちょっと苦しくてしゃべりにくいので、この手を緩めてはくれませんか?」
思いっきり握り締めていた手の力を少し緩めると、
渾身の力を振り絞ったパックが俺の手から抜け出て空に飛び立つ。
「ごほっごほっ! あー苦しかったー! ごめんなさいルカ様。私には元に戻す方法が分かりません。てへ☆」
「おい、ぶりっこして許されると思ってんのか? 責任者だせ責任者! どうしてくれるんだこの体!」
「ユーティ様なら知ってるかもしれませんが……怒られるの怖いしなぁ……」
「誰のせいでこうなってると思ってるんだ?」
「それは……謝ったじゃないですかー! 許してくださいよぉ」
「ごめんで済むなら警察はいらないんだよ」
「ひぃぃ! もしかしたら、アカデミーの禁書庫ならもとに戻る方法も分かるかもしれません。これ、推薦状です! 僕の推薦があれば無料で入学できますよ!」
えっへんと胸を張るパックにもはや呆れを通り越してすがすがしさすら感じるのだが、今のところほかに手がかりもないし、やむなしか。無料なのは地味にありがたい。
「これは受け取っとくけど……」
女神ユーティに聞いてこいと言いかけたところで、
「それじゃあ私はこれで! さいならーーー!!!」
パックは全速力で空を飛んで行った。
「まてこらーーーーー!!!」
追いかけるが相手は空を飛んでいるのだ。追いつくはずもなく、パックはあっという間に見えなくなった。
女神ユーティからの連絡はいつでも一方通行だ。こちらから連絡する手段はない。どういうわけか、リダイヤルしても、メールに返信しても絶対に繋がらないのだ。
女神ユーティと妖精パック……あいつらは次会ったら絶対ぶん殴る。
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