エピローグ

エピローグ

「久しぶりの我が家って、やっぱり落ち着きますね!」

「お前、図太いにもほどがあるぞ……」


 数日ぶりのシャワーにご満悦な表情を浮かべているレイミアは、温水の熱とシャンプーの薬品の匂いをまといながらダイニングのテーブルについた。


「ジャネットさん、ギルドでうまくやっていけると思いますか?」

「ブラッドドッグの襲撃もあって、今の沿岸ギルドは人手不足だからな。コーラル出身ならいくらでもやりようはあるだろう……元テロリストの一員、ってのがバレたら話は別だが」

「怖いこと言わないでくださいよ」


 サクラの冗談を最初は苦笑いで受け止めていたレイミアだったが、しばらくするとその表情に影が差した。

 彼女の思考に浮かんできたのは、ガリアをはじめとした蒼穹そうきゅう解放戦線の生き残り達の顔。彼女達のほとんどは、あの軍事拠点に残ることを選んだのだ。


「あんたが何を考えているのかは知らないが、それはアイツらが自分で決めたことだ。お前が責任を感じることじゃない。疲れるだけだぞ」

「……そうかもしれませんけど」


 結局わかりあうことはできなかったが、それでも同郷の仲間であり、一宿一飯の恩を受けた相手でもあったことには変わりない。サクラの言うように簡単に割り切るのは、彼女にはまだ難しかった。


「というか、人の心配をしている場合か? また無一文だろ、お前」

「そのことなんですけど、サクラくんに教えてもらいたいことがありまして」


 レイミアは一息で、自分の決断を言葉にする。


「私、正式に傭兵になろうと思ってるんですけど、どうすればいいですか?」

「……別にあんたなら、傭兵じゃなくても食い扶持は稼げるだろ」


 サクラの声が露骨に低く、小さくなる。だが、その反応はレイミアも予想通りであり、たじろぐようなことはなかった。


「生活費を稼ぐだけならサクラくんの言う通りかもしれませんけど、私の目標のためには、すっごい額のお金が必要なんです。なので、大金を稼ぐには傭兵って仕事が一番いいかなって」

「目標?」

「私、やっぱりコーラルに戻りたいんです……ママやパパにまた会いたい。妹達の姿を一度でいいから見てみたい。だから、そのためにコーラルの住民権を手に入れたい。それが、私が自分で決めた、私の生きる目的です」


 レイミアの夢想にも近い目標を聞いたサクラは、その言葉を咀嚼そしゃくするようにしばらく黙り込んだ末、最終的には大きなため息を漏らした。


「……なるほど、俺が知らない間に、フィーナからあの人のことを聞いたんだな」

「あ……」


 そこでようやく、レイミアは自分が口を滑らせてしまったことに気づき、気まずそうに視線を横に逸らした。

 しかし、勝手をとがめられるだろうという彼女の予想に反し、サクラは口角を薄く釣り上げた不敵な笑みを浮かべている。

 それは、今までの共同生活の中では一度も見せなかった表情で、レイミアのこめかみに大粒の冷や汗が一滴流れた。


「そうかそうか……俺と目的を一緒にしてくれる、っていうなら、俺も遠慮はいらねぇよな」


 そして彼は、おもむろにどこからか取り出した一枚の紙をテーブルの上に差し出した。サクラの不敵な笑みに対して、レイミアは震え交じりのぎこちない笑みを浮かべる。


「……なんですか、これ? 紙なんて、コーラルでも貴重品ですよ?」


 この流れで差し出されるものが愉快な代物のはずがない。恐る恐るそれを手に取ったレイミアの予想は的中した。


「それ、お前を助ける時に作った借金の借用書」


 サクラはピシッとレイミアの手元の紙を差し出しながら、その正体を端的に告げる。

 そこに書かれている文字を無言で熟読すると、それは確かにサクラと沿岸ギルドのギルド長の間に交わされた借金の証書であるとはっきり記載されていた。


「え? ちょ、ちょっと待ってください! サクラくん、あのヘリコプターは現金で買ったって言ってましたよね? なんで借用書がここにあるんですか?! しかもこれ、借入金が……ご、五千万ボンドって書いてるんですけど!」


 今まで貰っていた傭兵稼業の分け前もかなり高額だったが、今回はさらに桁が違う。レイミアからすれば、まさに目が回りそうになる額、というやつだ。


「いや、ヘリ本体は俺の貯金で買えたんだけどさ……」

「だったら、なんでこんな借金が?」

「あのタヌキおやじ、燃料が空っぽの状態で渡してきやがったんだよ」

「じゃあ、この借金は……燃料代?」

「そういうことだ。石油燃料なんていう超貴重品だったうえに、足元を見られてな…………相場の十倍を吹っ掛けられた」


 サクラとしても、その際のやり取りは思い出したくないものらしく、説明する彼の口元はピクピクと引きっている。

 それを聞かされたレイミアはというと、現実を受け止めきれず、口をパクパクと開け閉めさせることしかできなかった。


 思わず借用書をビリビリに破り捨てそうになったが、その紙はプラ製の不燃紙で、破ることも燃やすこともできない代物であったために、その現実逃避は実現できなかった。

 そこに印刷された八桁の数字は、インクの艶もあってか今なお燦然さんぜんとした光を放っている。


「単なる“居候”に家計の悩みを伝えるのも悪いと思ってたんだが……俺と同じ目標のために、一緒に仕事をしてくれるってことなら、当然、この借金返済にも協力してくれるんだよな?」


 その借金が生まれた経緯が経緯だけに、レイミアに嫌だという権利はどこにもなかった。

 サクラもそれがわかっているのか、あくまでも強制させるような言い方はせず、レイミアの同意の言葉を待つような態度を貫いていた。


「サクラくん、すっごく……すっっっごく! 悪い人の顔してますよ!」

「言ったろ? 俺達は一蓮托生だって」

「確かに言ってましたけど、これはただの連帯保証人じゃないですか!」


 涙目で何度も借用書に書かれた数字の桁を数えるが、当然その数は変わらない。


「あーもう! わかりましたよ! 借金五千万に、コーラルの住民権が一人一億! 全部合わせて二億五千万ボンド! しっかり稼いでやります!」


 その態度はヤケクソもいいところだが、地上でこれからも生きていくのならその思い切りは必要になってくるだろう。


「その代わり!」


 ヤケクソついでとばかりに、レイミアは借用書をテーブルに叩きつけると、ずいっと体を乗り出してサクラの顔を間近に見る。

 その勢いに圧され、さっきまでニヤニヤ笑いを浮かべていたはずのサクラが今度はたじろぐ番になった。


「サクラくんがコーラルに行きたい理由、ちゃんと教えてください!」

「……別に大した理由じゃ――」

「一蓮托生」


 今のレイミアは無敵だった。元々知的好奇心のネジが外れている彼女が「教えろ」と言った以上、決して逃してはくれないだろう。

 それでも、サクラは口を横一文字に結び、最後まで抵抗を試みたのだが、ジリジリと顔を近づけ続けるレイミアとの我慢比べには勝てなかった。

 両者の額が触れるか触れないかというところで、彼は体をのけぞらせて諸手を挙げる。


「母さんの遺品……コーラルに持っていきたいんだよ」


 自らの髪を掴んでぐしゃぐしゃにする彼の顔が赤らんでいるのは、レイミアとゼロ距離で見つめあったからか、あるいは別の理由からか。

 きっと、こちらに関しては聞いても決して教えてくれないだろう。


「話は終わり! ほら、飯するぞ!」


 そして、サクラは逃げるようにレイミアの手元から借用書を取り上げると、それと入れかえるように食糧庫から引っ張り出した夕飯をテーブルに置いていく。

 肉のペースト、魚の塩漬け、乾燥野菜に豆の水煮。ずらりと並ぶ種類豊富な缶詰達だ。


「好きなのを選べ」

「じゃあ……今日はこれにします!」


 レイミアは少し悩んだ後、その一つにまっすぐに手を伸ばした。

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廃棄少女は終末世界で深海の夢を見るか 宮浦玖 @9miyaura

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