第五章 隻眼の『灰被り』

隻眼の『灰被り』:1


 企業連合軍『ホーネット』の襲撃は突然のことだった。


 レイミアは何が何だかわからないまま、老人や子供達と一緒にトレーラーの荷台に押し込まれ、隠し通路から外に運び出された。

 すし詰め状態の荷台で何時間揺らされたことだろうか。レイミアの体感では、それは一日以上続いたような気がしたが、暗く密閉された環境ではそれも曖昧だ。

 だれもが疲れ切るほどに長い移動の末、ようやく揺れが収まったかと思うと、彼女達は自動小銃で武装した男達によって乱暴に荷台から降ろされた。

 最初、レイミアは彼らが企業連合軍の人間なのかと思ったのだが、見るからに古い装備と不統一な衣服を見てその考えを改める。

 彼らもまた、蒼穹そうきゅう解放戦線の構成員なのだろう。


「ここは、どこですか?」


 男達はレイミアの質問には答えてくれず、無言で奥に進むように促すだけだった。

 頭上に土の天井が広がっていることから、地下であることは理解できたが、その様相はギルドとも、以前の地下アジトとも違う。

 建造物のシルエットはどこにもなく、壁面も、鉄板で舗装されているのはごく一部で、土がむき出しになっている個所の方が圧倒的に多い有様。

 町や施設というよりも、単なる洞窟というほうが近い。それがレイミアの率直な感想だった。


「ヴェルフェルトちゃん! ああ、よかった。あなたも無事だったのね」

「ガリアさん!」


 同じようにトレーラーから降ろされた人々の流れに沿って地下通路を進んでいる最中、見知った顔がレイミアを出迎え、抱きしめた。


「ガリアさんもご無事でなによりです……あの、ここはいったい?」

「蒼穹解放戦線が以前使っていた軍事拠点だそうよ」

「軍事拠点……?」


 まだ状況が把握しきれていないレイミアは、ガリアにさらに詳しく説明を求めようとするが、それは地下洞穴を揺らす突然の怒声に遮られてしまう。


「だから俺はコーラルへの攻撃なんて反対だったんだ!」


 沈黙が支配していた洞穴ほらあなに響いた声は、その場にいる人々の視線を一気にかき集めるのに十分な大きさだった。

 その視線の先では、隻腕の男が自分よりも屈強そうな男の胸倉を掴んでおり、剣呑けんのんとした雰囲気が漂っている。

 皆一様に一歩引いてそのやり取りを見る中、レイミアは耳に飛び込んできた言葉の衝撃に突き動かされ、ほとんど無意識にその男達のもとに駆け出していた。


「どういうことですか! コーラルを攻撃って……どうしてそんなことを!?」

「ん? 君は新入りかね?」


 胸倉を掴まれていた屈強な男は片腕の男を軽くあしらい、軍服に似た意匠の服を整えると、レイミアを威圧的に見下ろした。

 先ほどの銃を持った男達よりも一層軍人らしい立ち振る舞いではあったが、レイミアがかつて直接見た企業連合の正規軍人と比べると、どこか粗暴そぼうさが目立つ。


「どうして? それは簡単だ。『企業』に認めさせるためだよ。我々をこんな地上に追いやったことが間違いであったと」

「認めさせる……?」


 レイミアには、その男の言葉の意味がよくわからなかった。どれだけ考えても、コーラルを攻撃することと『企業』に自分達の是を認めさせることが繋がらず、返す言葉を見つけることができない。


「ここに改めて宣言しよう。今回の作戦は間違いなく成功であったと!」


 反論がなかったのをいいことに、似非軍服の男はレイミアや隻腕の男から視線を外し、地下空洞に集められた人々に向けて声高々に宣告しはじめた。

 いや、それは宣告ではなく、演説というべきかもしれない。その言葉には確かに人を動かしうる熱を帯びていた。


「現に、『企業』どもはその最高戦力たるホーネットを差し向けてきた。これこそまさに、奴らが我々に脅威を感じていることの証左に他ならない! 聡明な諸君なら、そのことも容易に理解できるはずだが?」


 軍服の男の言葉が周囲に広がるにつれ、人々の間でかすかなざわめきが生まれはじめる。


「確かに、なんとも思っていないなら、俺達なんて放っておくはずだよな」


 最初の一滴は小さな呟きだった。それは一瞬にして、波紋のように周囲に伝播でんぱした。


「そうだ……『企業』はビビッてるんだよ!」

「俺達がまた何かする前に、先んじてきたってことか!」

「いまなら、私達をコーラルに戻すよう、交渉できるかも……」


 人々が口々に呟きだしたのは、あまりにも都合のいい希望的観測。レイミアは聞くに堪えないそれらに我慢できず、金切り声で叫ぶ。


「そんなわけないじゃないですか!」


 彼女は知っている。圧倒的な強者ギルドに害を成した無法者ギャングがどんな末路を辿ったのかを。


「『企業』はあなた達を恐れてなんていません! ただ不愉快で、邪魔なだけです!」


 あの時、ギルドの長がギャング達に向けていた感情は、害虫に向けるものと大差なかった。脅威など微塵みじんも感じていない。不快だから排除する。ただそれだけだ。

 コーラルを攻撃された『企業』が自分達に向けているであろう感情も、それと同じであろうことは想像にかたくない。


「交渉の余地なんてあるはずがない。このままじゃ、みんな殺されちゃいますよ!」


 この異様な熱に浮かされた空気を放置してはいけないと、彼女の直感が告げていた。

 どうにか彼らを思いとどまらせようと、レイミアは必死に訴えかける。すると、その肩にだれかの手が置かれた。


「ヴェルフェルトちゃん」


 振り返った先にいたのはガリアだった。


「ガリアさん……お願いします。一緒にみなさんを説得してください! 今ならまだ、助かる方法を考える時間が……」


 まだこのコミュニティでは新参者に過ぎない自分の言葉では、誰の耳にも届かない。それを痛感したレイミアは、すがるようにガリアの手を取る。

 しかし、ガリアはその手を握り返してはくれなかった。


「あなたは、どうしてそんなことを言うの?」


 心底不思議そうなガリアの目が、レイミアに気づかせる。彼女は助け舟を出すためではなく、いさめるために自分に声をかけただと。


「ヴェルフェルトちゃん、あなたはコーラルに帰りたくはないの?」

「それは……帰れるなら、帰りたいですけど。でも、それとこれとは話が……」


 そしてそれは、ガリアだけではなかった。この場にいるほとんどの人が、レイミアに対し“理解できないもの”を見るような視線を向けていた。


「………っ!」


――同じなんだ……この人達にとって「助かる」っていうのは、「コーラルに帰る」ことだけなんだ――


 彼らの平穏も、日常も、幸福も、それらはすべてコーラルにしか存在しないのだろう。だから、地上で生き延びるというレイミアの主張は、彼らに決して届かない。彼らの純粋無垢な瞳を見ただけで、彼女はその事実が嫌というほど理解できてしまった。


「それとも、もしかして何か他にあるの? コーラルに帰る方法が」

「いや、それは……」


 レイミアの言葉が詰まったのを機と見たのか、似非えせ軍服の男が再び声を張り上げる。


「諸君! 落ち着きたまえ。我々は何も間違ってはいない!」


 人々がレイミアを“異物”と認識しているのとは対極的に、彼に向けられる視線は、もはや“英雄”を見るようなものに近づきつつあった。


「恐れることはない。最後まで共に戦い続けよう! 我々はここで『企業』を迎え撃つのだ!」

「戦うって……こんな状況で『企業』と戦うつもりなんですか?」


 ここに逃れてきた人々はほとんどが女、子供、老人、怪我人だ。まともに武器を持って戦えるような人たちではないのはレイミアにもすぐにわかる。

 だが、似非軍服の男は当然のことのように答える。


「最後まで屈服せず、抵抗し続けることにこそ意義があるのだよ」

「そんな意義……」


 いったい何の価値があるのか、と彼女は最後まで口にすることはできなかった。

 きっと彼らには――少なくとも目の前の似非軍服の男にとっては、それは本当に命よりも価値があるのだと感じてしまったから。


「ヴェルフェルト君……だったかな? 君はまだ若い。判断を誤ることは罪ではないが、いまはとても大事な時なのだ。君の稚拙な考えで我々の団結を乱されるのは困るのだよ」


 自らの寛大さをアピールするためだろうか、その声色は不快なほどに甘ったるかった。

 レイミアは納得したわけでも、彼の意見に同調したわけでもない。


「しばらく大人しくしていてくれるかな?」


 だが、今この場で彼に逆らうのはもう不可能だと痛感した彼女は、その言葉に従うしかなかった。

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