第四章 軍靴の音は静かに

軍靴の音は静かに:1

「行けばいいじゃないか」


 もうすっかり舌に馴染なじんでしまったサクラの手料理。それを口に運ぼうとしていたレイミアの手がぴたりと止まる。

 フィーナから教えてもらった『コーラル棄民のコミュニティ』の情報について、どうするべきか頭を悩ませていた彼女は、思い切って夕食のタイミングでサクラに相談したのだが、返ってきた答えはあっさりとしたものだった。


「サクラくんは……行ったほうがいいって思うんですね」

「いいもなにも、あんたは最初からそこに行くのが目的だったんだろう? むしろなんで悩むんだよ?」

「それはそうですけど……ちょっと不安になったと言いますか」

「考え過ぎだ」


 レイミアは弱気な声をらし、ぐるぐるとスプーンでシチューをかき混ぜるが、サクラはそんな彼女の不安を一蹴いっしゅうした。


「そもそも、あんた自身はコーラルの生まれだ。血生臭い俺達と一緒にいるより、同じ境遇きょうぐうで育った人間と一緒にいるほうが自然だろ」


 正論だ。だが、それはあまりに正論過ぎて、反論の余地がなくて、どうしようもなく冷たい言葉に聞こえた。


「じゃあ、風呂入ってくるから。出発する日時が決まったら言え」


 レイミアと目も合わせずに自分の夕飯をかき込んだ彼は、有無を言わせぬ態度で言い切ると脱衣所へと消えた。

 ダイニングに残されたレイミアは、一人になってもシチューをぐるぐるとかき混ぜ続けていた。


 ◇


「サクラくんって、もしかしてコーラルの人が嫌いなんでしょうか?」


 もはや行きつけになりつつあるギルドの酒場で、レイミアはシードルのジョッキを片手にテーブルに項垂うなだれていた。

 すでに五杯目。水で薄められて度数は高くないが、流石にそこまで飲むと酔いも回るのだろう。

 顔を赤らめて管を巻く友人の姿に、対面に座るフィーナは苦笑を漏らす。


「むしろ逆、だと思うけどねぇ」

「逆?」


 つまり、サクラは自分に好意を抱いている? そんな短絡的な思考に至ったレイミアは赤い顔をさらに耳まで赤くする。しかし、フィーナの発した続きは、そんな想像とは全く別だった。


「サクラのお母さんはレイミアと同じ、コーラル出身の人だったからね」

「……え?」


 思考が停止し、危うくジョッキを落としかける。

 サクラの母がコーラル出身だったなど、レイミアははじめて聞いた。だが、そういえば以前、フィーナが彼とコーラルに何か繋がりがあるようなことを言おうとしていたのを思い出す。


「じゃあ、サクラくんもコーラルの?」

「ううん。サクラは正真正銘の地上生まれ……ストリートベビーって知ってる?」


 レイミアは無言で首を横に振る。だが、同時にその字面だけで、あまり気分の良くなる話ではないのが容易に想像できた。


「いろいろな事情で路上に産み棄てられた赤ん坊。サクラもその一人だったんだって。そして、そんな実の親すらわからない彼を拾って育てたのが、レイミアと同じようにコーラルから棄てられた一人の女の人だった」


 フィーナは過去を思い起こすようにぽつぽつと語る。


「私も小さいころに何度も会ったことがあるけど、美人で優しい人だった。血の繋がっていないサクラを本当の子供のように大事にしていて、彼を養うために傭兵になった」

「その人は……今、どこに?」


 レイミアにも半ば答えはわかりきっていた。だがそれでも、ちゃんと聞かなければならないのだと、そんな気がした。


「サクラが十歳の時に、傭兵として『企業』と反企業レジスタンスの抗争に参加して、返ってこなかった」


 レイミアはようやく、今までの疑問の多くが氷解した。

 サクラが貸してくれたワンピースも、今レイミアが寝泊まりしているあの部屋も、そして、あの部屋に残されていたドローンや古い情報端末も全て、サクラの養母のものだったのだ。


――サクラくんの料理の味が、コーラルの配給食に似ていたのも――


 レイミアは、かつて自分が口にした言葉を思い出し、奥歯をギリと音が鳴るほど噛みしめる。

 あの時、彼は一体どんな気持ちだったのか。想像することすら、おこがましい行為のように思えた。

 フィーナは言うべきなのかと迷う素振りを見せた後、レイミアに問う。


「サクラが命がけであんなにお金を稼いでいる理由、って聞いてる?」

「いいえ、サクラくんは自分のことは何も話そうとしないので」

「あー、やっぱりかぁ。あの子らしいけどね」


 地上のことや生活に必要な知識ならいくらでも饒舌じょうぜつに語る彼だが、自分のことだけはそっけなく口をつぐむ。

 しかし、レイミアは確かに疑問に思っていた。

 これまで二度、彼の仕事を手伝ったことでわかったが、傭兵の収入というのは巨額だ。一度の仕事で数か月、あるいは一年は容易に生活に困らなくなるだろう。


 だが、レイミアが彼と出会ってからの一か月かそこらに、彼は十以上の依頼をこなしていた。にもかかわらず、食事や生活は質素そのもので、浪費ろうひの気配はない。

 彼にとってのお金は、ただ生きるためのかてではないのだと、レイミアはうすうす感じていた。


「これは噂というか、ほとんど流言飛語りゅうげんひごの類なんだけど」


 そう前置きして、フィーナはひと際声をひそめ、レイミアに耳打ちする。


極稀ごくまれに、コーラルの住民権が裏市場で取引されている……らしいの」

「コーラルの住民権が? ……いや、あり得ない話じゃないかも」


 コーラルは常に『企業』の管理によって、内部の人口がその能力と消費する資源を考慮したうえで一定に保たれるように調整されている。人口の増加を理由に、レイミアが地上に廃棄されたのもそれだ。

 しかし、イレギュラーは何も人口の増加だけではない。むしろ、事故や事件で人口が減少することほうが起こりえる。


「そんなものがあるなら、サクラくんも教えてくれたってよかったのに……」


 それが手に入れば、また家族に、生まれるはずの妹達にも会えるかもしれない。

 だが、期待に口元をゆるませるレイミアとは対照的に、フィーナの表情は暗い。


「そのサクラが前に言ってたの……唯一見つけた取引の記録では、一人分が一億ボンドだったって」

「一億……」


 その途方もない数字によって、レイミアの胸に灯った希望のはあっさりと吹き消される。

 それはいったいどれだけの月日をかけて、何度命を危険にさらせば至ることができるのだろうか。

 サクラがこのことをレイミアに教えず、フィーナもまた言い渋った理由がよくわかった。

 だが、そうなるとまた別の疑問が浮上する。


「サクラくんはどうして、そこまでしてコーラルに?」

「そこだけは私にも教えてくれなかったけど、そんなにおかしい話でもないんじゃないかな。私達地上の人間にとって、コーラルは天国みたいな扱いだしね」


 その例えにレイミアは何も言い返せない。

 フィーナの故郷がギャングによって壊滅させられた時、コーラルでの生活がいかに恵まれていたかを痛感したのだから。


「まあ、そういうわけだから。サクラがコーラルの人……っていうか、レイミアのことが嫌いってことは絶対ないから、安心して」

「むぅ……フィーナが言うなら、信じますけど……」


 それでもまだ納得がいかないのか、レイミアは頬を膨らませてジョッキの底に残っていたシードルを一気にあおる。


「でも! 自分とお前は別世界の人間だ、みたいな態度されるとやっぱり寂しいですよ!」

「サクラはお母さんが傭兵になったのも、その結果死んだのも、全部自分が地上に縛り付けたせいだと思ってるからね。レイミアには『コーラルの人』として生きて欲しいんだと思うよ」

「……そうなんでしょうか」


 たしかに、自分がサクラやフィーナのように、地上の人間として生きていけるのかと問われれば、レイミアは即答できない。


「だって、サクラが自分の意見を他人に押し付けるなんて、はじめてだもん」


 フィーナは少しだけ感慨深そうにつぶやき、弱い酒で唇をらした。




――――――――――――――――――――――

TIPS:

【旧世界】


大炎災以前の時代を示す俗語。

地下遺跡をはじめ、非常に高度な文明を有していた痕跡などは残っているのだが、記録の類は一切発見されていないため、文化に関しては全て謎に包まれている。

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