地上に棄てられた少女:4

 ダイニングテーブルに一人残されたレイミアは、サクラが選んだ缶詰を手に取る。

 内容物を確認するより先に、空腹に耐えきれなかった体が缶のプルタブをこじ開けさせた。

 どうやら、中身は培養ばいよう肉のペーストだったらしい。テーブルにすでに用意されていたスプーンを手に取り、中身を少量すくって口に運ぶ。


「味が濃い……」


 コーラルの配給食とは全然違う。ドロッとしたゼラチン質のソースは一口で塩分過多だとわかる大雑把おおざっぱな味付けで、カロリーも非常に高そうだった。しかし、丸一日の絶食の後には、その濃い味付けがたまらなく美味しく感じられた。

 一口ごとに、体がカロリーを吸収していることがわかる。そうなってはもう口に運ぶ手は止まらない。だれにも見られていないのをいいことに、レイミアは幼子のように培養肉のペーストをソースの一滴も残さず貪った。


「美味しかった……」

「海底のお嬢様の口にあったようでなによりだ」


 レイミアが食事に集中している間にシャワーを浴び終えたのか、いつのまにかサクラが戻っていた。深紅のパーカーから薄手のトレーナーに着替えた彼は、実は筋骨隆々きんこつりゅうりゅう……というようなことはなく、むしろ華奢きゃしゃにすら見える。


――となると、あの剣のほうに何か秘密が? あ、そういえば、あの剣はどこに……――


「さてと。とりあえず、あんたの名前は?」

「え? あ、はい! 私は、レイミア・ヴェルフェルトです」

「ふーん」


 自分から聞いておきながら、まるでどうでもいいことのように聞き流し、サクラはテーブルの上から豆の水煮缶を手に取って食べはじめた。


「……」

「……」


 自分の今後の処遇しょぐうについて何か話がはじまるのかと思ったが、サクラは険しい顔で黙々と豆を口に放り込むだけだった。


「あ、あの……」

「ん?」


 レイミアはすぐにその沈黙に耐え切れなくなり、自分から話を切り出すことにした。


「私、コーラル出身なんですけど、色々あって追い出されちゃって」

「……ん」

「海底にはもう帰れなくて……」

「うん」


 返ってくるのは相槌あいづちなのか、咀嚼そしゃくなのかもわからない空返事ばかり。それでも、レイミアは折れずに言葉を続ける。


「こっちに来る前に、私みたいにコーラルから廃棄された人達が集まってるコミュニティがある、って教えてもらったんですけど、どこにあるか知りませんか?」

「……………いや、そんなコミュニティ自体、俺ははじめて聞いたな」

「そうですか……」


 一縷いちるの希望はバッサリと切って捨てられ、レイミアは肩を落とす。


――もう少しフォローとか、なぐさめるとかしてくれてもいいんじゃないかな――


 という八つ当たりじみた感情を込めてサクラを見るが、彼は変わらず食事に集中している。おそらく、レイミアの視線には気づいてすらいないのだろう。


「じゃあ、あの……私、地上に知り合いとか頼れる人、全然いなくて」

「だろうな、聞いている限り」

「だからその……サクラさんにお願いがあって」

「お願いって?」

「サクラさん、私のこと助けてください!」


 意を決し、立ち上がって深く頭を下げる。

 今の自分にできることなどこれくらいしかないが、この右も左もわからない地上で生きていくには、目の前の少年を頼るより他はない。

 サクラはそこでようやく豆の水煮を口に運ぶ手を止めて、レイミアの顔を見た。だが、その表情は食事中と変わらず険しいままだ。


「助けてって、具体的にどうして欲しいんだよ?」

「ええと、それは……」


 具体的に、と言われてもレイミアにも上手く答えを言語化できない。

 地上に来て早々、『企業』の無人兵器に殺されかけ“死にたくない”という感情ばかりが先行していたのだから、具体性がないのも当然のことだった。

 言葉に詰まったレイミアをスプーンで指しながら、サクラは淡々と言葉を続ける。


「あんた、金は持ってんのか? ……っていうか、コーラルに金ってあんの? わかるか、金」

「それくらいはわかります! コーラルにだってお金はありますよ。お仕事したり、勉強の試験でいい成績を取ったりしたらもらえますし。それでお洋服とか本を買ったりしてました……今は何も持ってませんけど……」


 そもそも、コーラルの紙幣しへいが地上で使えるのかどうかもレイミアにはわからない。

 仮にコーラルでの貯蓄を持ってきていたとしても、それだけで地上で何不自由なく生きていく、というのは不可能だろう。


「飯も水もタダじゃない。人間ってヤツは生きてくだけで金がかかる。生きたいなら、生きるための金は自分で《かせ》稼げ」


 それはつまり、サクラはレイミアの面倒を見る気はない、という拒絶の言葉だった。


「まあ、拾ったよしみで今日の分くらいはおごってやるから、明日、日が登ったらストークに頼んで……」

「お金を稼ぐって、どうすれば……」

「手っ取り早いのは、私物を売るか、身体を売るかってところじゃないか?」

「身体を、って……嫌ですよそんなの! 破廉恥はれんちです!」


 地上では珍しいことではないのかもしれないが、海底では売春は立派な違法行為だった。その価値観のもと十七年の月日を過ごしてきたレイミアにとって、サクラの提案はとても受け入れられる内容ではない。


「じゃあ、残るは私物だな」


 そう言ってサクラはどこからか、携帯型の情報端末を取り出してテーブルの上に置く。


「それ、私の! 返してください!」


 先ほど着替えを脱衣所に持ってきた時かと気づき、レイミアは必死になって端末に手を伸ばす。

 サクラも別に強奪するつもりはなかったのか、レイミアが大事そうに端末を胸に抱くのを冷ややかに見ているだけだった。


「それ、『企業』製の正規品だろ? 地上じゃ希少品だから、物好きな機械オタクに売ればまとまった金にはなるぜ?」

「それも嫌です……これは、家族との唯一の思い出なんです」


 これを失えば、いよいよレイミアとコーラルを繋ぐものがなくなってしまう。

 自分がわがままを言っていられる立場ではないのはわかっているつもりだ。つもりだったが、それでも嫌なものは嫌だった。


「選ぶのはお前だ。俺は何も強要する気はない……けど、タダであんたの世話を何日もしてやるほどお人好しでもない。明日になったら、ストークに頼んで知り合いの集落まで運んでもらうから、そのつもりでいろ」


 最後にそんな非情な宣告を言い放つと、サクラはまた苦い顔のまま黙々と豆を食べる作業に戻っていった。


 ◇


 今日はここで寝ろ、と言われてレイミアが放り込まれたのは、整理されたダイニングと違ってかなりごちゃついた部屋だった。


 最初は物置にでも押し込まれたのかと思ったが、部屋の隅のベッドや衣装ケースなどの存在を見て、なんとかちゃんとした寝室だと気づくことができた。

 ただ、窓際にある作業台には、いくつもの壊れた機械類がほこりをかぶって積まれており、この部屋がしばらく使われていないことも同時に表していた。


「疲れた」


 肝心かんじんのベッドはというと、古びてはいるものの埃などは一切なく、レイミアは気兼ねなくベッドの上に横になることができた。

 体中が重い。硬いベッドの上で体が溶けていくような錯覚さっかくすら覚える。それほどまでに、疲労が全身に蓄積ちくせきしていたのだろう。


「明日からどうしよう」


 体は疲れているのに、不思議と眠気だけはなかなか来なかった。

 その理由が廃棄ボックスの中でたっぷり眠ったからか、はたまたサクラによって直視させられた、あてのない未来への不安からなのかは、彼女にはわからなかった。


「お金か……」


 とにもかくにも、まずはそこだ。

 サクラの言う通り、食事を得るにも、寝泊まりをする場所を確保するにも、支払える対価を持っていなければ話にならない。


「…………」


 レイミアは自分の体をまじまじと見てみる。上背うわぜいはそこそこあるのだが、肉付きはお世辞にも良いとは言えない。コーラルにいた頃、友人に「ちゃんとそういうのが好きな男を『企業』が選んでくれるよ」などと、変な慰めを受けたこともある。


「いやいや、無理。怖いし」


 だれに聞かれているわけでもないのに、レイミアはかぶりを振った。

 何もサクラが提案した二つだけが、お金を稼ぐ手段ではないはずだ。と自分に言い聞かせる。


「そういえば、サクラさんはどうやってお金を稼いでいるんだろう?」


 そこに今後のヒントがあるのではと、砂浜でのサクラとストークの会話を思い返してみた。

 彼はたしか、無人兵器の残骸ざんがいやレイミアの乗ってきた廃棄ボックスを売ってお金にするようなことを言っていたはずだ。


「兵器と戦って、お金を稼ぐ……」


 レイミアは昼間に目撃したサクラと無人兵器の戦いを頭の中で思い描き、その姿を自分に置き換えてみた。

 脳内シミュレーションの結果、数秒も経たずにレイミアは無人兵器によってハチの巣にされてしまった。


「……寝る前におトイレに行っておこう」


 久しぶりにちゃんと飲み食いをしたせいだろうか。どうせまだしばらく寝付きも悪いだろう。レイミアは重い体をベッドから持ち上げて、一旦ダイニングに戻った。

 するとそこでは、サクラが大型のえ置き情報端末の前に座り、人差し指だけを使ったたどたどしい手つきでキーボードをタイプしていた。何かの作業中のようだ。


「あんた、まだ起きてたのか」


 レイミアの存在に気づいたサクラは彼女の方を一度振り返り、湯気の立つマグカップに口をつけると「さっさと寝ろよ」と目線だけで伝え、端末のモニターとにらめっこをする作業に戻っていった。

 そんな彼の表情は今日一番の険しさを記録しており、それはレイミアの生まれ持っての好奇心を強く刺激した。


「サクラさんは何してるんですか?」


 その足は自然とサクラの背後に歩み寄り、彼女はドット欠けの目立つモニターを勝手にのぞき込んでいた。


「傭兵組合に今日の仕事の報告だよ」


 サクラがあっさりと答えてくれたことに、レイミアは目を丸くする。

 てっきり「お前には関係ない」とか「どうでもいいだろ」などとあしらわれると思っていたからだ。だが、彼が質問に答えてくれるのだとわかると、疑問は次々と湧き上がってきた。


「サクラさんのお仕事って傭兵なんですか? 聞いたことがあります。『企業』や反抗勢力にお金で雇われて戦うんですよね?」


 つまり、今日彼が『企業』の無人兵器と戦っていたのは、傭兵としての仕事、つまり戦争行為の代理だったということだろうか。


「それはまた、ずいぶんと古い知識だな」

「……古い、ですか」

「昔はそんな仕事しかなかったらしいが、今の傭兵は金を積まれればなんでもやる『武力』が売りの便利屋、みたいなもんだよ」





――――――――――――――――――――――


TIPS:

【七大企業】

『企業』のうち、特に大きな力を持ち、企業間の勢力争いの中核を担っている七つの企業。

表面上は業務提携を行っていることになっており、友好的な関係を振舞っている。そのため、資源争いなどの企業間抗争は、主に子会社同士の代理戦争の形をとって行われる。


【オリビア】 バイオ技術と生育栽培に携わっており、食料という必須の分野で大きな力を有している。


【ガイウス】 軍需産業の雄。しかし、兵器開発の分野は他社も力を入れているため、企業としての総合力では一歩劣る。


【グレゴリオ】 旧世界の研究を主としている研究者の企業。遺跡から発掘した機器の再現など、他社にない独自の路線を取っている。


【石動】 クローニングによる生物養殖を行う企業。元はオリビアの子会社だったが独立し、現在は価格競争など対立関係にある。


【アルミラージュ】 酸素の精製、水質改善等の環境浄化機構について研究している企業。企業全体と当社が管理するコーラルはある種の自然信仰に近い宗教色を帯びている。


【マイアサウラ】 医療機器や薬品など医療分野に関する製品開発を行っている企業。業務の方向性上、アルミラージュとの繋がりが強く、少なからずその宗教色の影響を受けている。


【EGO】 情報媒体、ネットワーク開発運営を主として行っている企業。企業間の抗争において目立った活動は多くないが、情報収集を得意とするために暗躍の噂は後を絶たない。

レイミアが生まれ育ったのは、このEGOが管理、運営しているコーラル。

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