地上に棄てられた少女:3


 サクラは相変わらず見た目からは想像できない腕力を発揮し、兵器の残骸ざんがいや、レイミアが入っていた廃棄ボックスをその細腕で持ち上げては次々トレーラーのコンテナに積み込んでいった。

 レイミアが大人しくその光景をながめること一時間、彼らの作業はようやくひと段落ついたらしく、運転席にストークが、助手席にサクラが乗り込んできた。


「真ん中に詰めろ」

「は、はい!」


 サクラのぶっきらぼうな指示に従い、レイミアは二人に挟まれる位置に座り直す。トレーラーの座席自体はそれなりに広く、物理的な窮屈きゅうくつさはないのだが、如何せん見知らぬ男二人が左右にいる状況は、年若い少女にとっては心理的に肩身が狭かった。

 そんなレイミアの気持ちなど知らないトレーラーは無慈悲に動き出し、どことも知れぬ目的地へ向かって走りだした。


 海底の舗装ほそうされた車道とは比べようもないほど荒れ果てた道を、トレーラーはガタガタと揺れつつも軽快に進む。道中、タイヤとサスペンションだけでは殺しきれなかった衝撃が、直に乗客のお尻を責め立てた。

 もっとマシな道はないのか、とレイミアは窓ガラスから外を観察するのだが、見える範囲に広がるのは、うっすらと白いヴェールに包まれた荒地だけ。マシな道どころか、道らしい道すら存在しなかった。


――でも……綺麗きれいな景色――


 地平線まで一面に広がる真っ白な光景は、レイミアの想像していた“荒廃した地上”の姿とは大きくかけ離れていた。


「あの、さっきからずっと降ってるこれって、もしかして雪ってやつですか?」


 地上の寒冷地では、雨や雪といった大気中の水分が降下してくる自然現象がある。そんなデータベース由来の知識をもとに、レイミアは助手席に座るサクラに問いかけてみた。

 ちなみに、サクラに聞いた理由は、彼の方が自分と年齢が近くて話しかけやすそうだと思ったから。

 だが、サクラは不機嫌そうに頬杖ほおづえをついて窓の外を眺めるだけで、質問に答えるどころか、聞こえているのかすら怪しい態度を示した。


「雪なんて洒落しゃれたもんじゃなく、これは『鉄の灰』ってやつだよ」


 レイミアを無視するサクラの代わりに、運転席のストークが彼女の疑問に答えてくれた。

 しかし、その言葉はレイミアの記憶には全くない未知の単語だった。


「『鉄の灰』……?」

「まあ、コーラルで生まれ育ったなら知らなくて当然か……なら、『ネフィリムコア』ってのは知ってるか?」


 そちらの方はコーラルでの基礎教養の一つであり、レイミアにとっても馴染なじみ深い言葉だった。


「旧世界の遺跡から発見されたオーパーツ、ですよね? あらゆる物質を分解し、電気エネルギーへと変換する金属構造体」

「ああ。コーラルも地上も、ネフィリムコアが生み出す電気が生活の基盤なことは変わらない。アレのおかげで、俺達は辛うじて人間らしい生活が出来てる」


 この車もネフィリムコアが作った電気で動いているしな、とストークはハンドルを軽く叩いて見せた。

 ネフィリムコアの発見により、人類はあらゆる物質を燃料とすることが可能となった。『企業』が海底工業都市なんてものを作り出せたのも、このネフィリムコアの存在ありきといっても過言ではない。


「だがまあ、便利なもんには欠点がつきものってな」

「欠点、ですか?」

「ネフィリムコアが物質を分解して電気エネルギーを生み出す時、小さな金属粒子が排出される。そいつはちょいと厄介な代物でな、自然に分解されないわ、電波を遮断しゃだんするわ、果てには人体に有害だときてる」

「……もしかして」

「おお、察しがいいな嬢ちゃん。そう、それが『鉄の灰』だ。『企業』の連中が海底に逃げるほどビビった人類史上最強、最悪の汚染物質さ」


 ストークから告げられた真実にレイミアは言葉を失う。

 『企業』が海底にコーラルを作り出したのは、地上の環境汚染が理由だとは教えられてきた。けれども、その環境汚染の元凶が自分達の生活を支えていた代物であること、そして、今もなお、その汚染物質が生み出され続けていることまでは知らされていなかったからだ。


「でも、コーラルにはこんな灰、どこにもなかったですよ?」

「そりゃそうだろ。『企業』は環境汚染から逃げるために、手間暇かけてコーラルなんて海底シェルターを作ったんだぞ? 灰に限らず、厄介な代物は全部地上に丸投げってなもんよ」


 ストークは愉快ゆかいそうに、レイミアの知らなかった恐るべき地上と海底の関係を告げる。


「まあ、地上で長生きしたけりゃ、間違っても道端に落ちてるもんを拾って食ったりしないことだな」


 ストークの全く笑えない冗談を聞きながら、レイミアは改めて窓の外の景色を眺める。

 ついさっき何も知らずに抱いた“綺麗”だという感情は、もう湧き上がっては来なかった。



 結局、その後はレイミアも言葉を発しなくなったことで車内は一気に静かになった。

 その間も三人を乗せたトレーラーは灰の積もった荒野を進み、一軒の小さな家屋の前に停車する頃には、周囲はすっかり暗くなっていた。


「ほら、着いたぞ」

「ここは、どこでしょうか?」

「あ? 俺の家だよ。ほら、もう日も暮れてるんだ、さっさと降りろ」


 サクラは助手席から灰の積もる地面の上に飛び降り、レイミアに下車を促す。


「まさか、まだ一人じゃ動けないのか?」

「う、動けますよ!」


 せめて少しでもあなどられないようにというちっぽけな見栄みえから、レイミアはサクラに習ってトレーラーの助手席側の扉から勢いよく飛び降りた。


「ひゃっ!」


 もっとも、着地に失敗し盛大に尻もちをついていては、見栄もなにもないのだが。


「あうぅ……」


 レイミアは羞恥しゅうちに頬を赤らめながら、服についた灰をぱんぱんと払い落とす。一方、サクラはそんな彼女の情けない姿には一瞥いちべつもくれず、単身、金属材製の家屋に入ろうとしているところだった。




「ま、待ってください!」


 地上に来てから何度言ったかわからない言葉とともに、レイミアもサクラの家に駆けこんでいった。


「おじゃまします……」


 パチンとサクラが電灯のスイッチを入れると、真っ暗だった室内が一気に白い光で照らされた。


――コーラルの家とそれほど変わらないな――


 明るくなった部屋の内装を見て、レイミアが抱いたのはそんな感想だった。

 質素な樹脂製のダイニングテーブルを中心に、生活感がありながらもすっきりとまとまっており、この家の住人がしっかりと管理していることがうかがえた。

 いくつか扉があることから、このダイニング以外にも部屋はあるようだが、自分達以外の住人がいるような気配は感じられない。

 ストークが後から入ってくる様子もないことから、ここは本当にサクラが一人で生活している住居だとレイミアは推測した。


「……あれ?」


 そこでようやく、レイミアは自分が異性と二人切りの状況になっていることに気がついた。


「とりあえず、シャワーを浴びて来い」

「ひゃ、ひゃい!」


 レイミアは上擦うわずった奇妙な声で返事をして、サクラに誘導されるままシャワールームへと向かうのだった。


 ◇


 地上には上下水道はない、という情報はデマだったらしい。

 それどころか、シャワールームの仕様もコーラルのそれと大きく変わらなかった。そのおかげもあり、何の説明もなくシャワールームに放置されたレイミアが途方とほうに暮れる、というようなことはなかった。


「ど、どどど……どうしよう」


 温かいお湯を頭から浴びながら、彼女は自らを紅潮こうちょうする頬を押さえる。

 過程はどうあれ、今の自分は男性の家に連れ込まれた状態だ。


「はじめては痛かったって聞くけど……」

「おい!」

「はい! なんでしょうか!」


 ぐるぐるとあらぬ妄想にふけっていたレイミアの意識が、ドア越しのサクラの声で現実に引き戻される。


「着替えはタオルの上に置いておく」

「ありがとうございます」

「それと、ちゃんと灰は洗い流しておけよ。残すと肌とか髪が荒れるぞ」


 言うべきことだけ言って、サクラの気配はすぐに扉の向こうから消えた。

 彼に言われた通り、髪に絡みついた灰を洗い落とすため、シャンプーのボトルを手に取る。


「消毒液の匂いがする……」


 こればかりはコーラルで使っていたものと同じ、というわけにはいかないらしい。

 なかなか泡立たないシャンプーで髪に絡みついていた灰を落とし、薬品の匂いが鼻につくボディーソープで念入りに体を洗い清め、レイミアはシャワールームを出た。

 サクラの用意してくれたという着替えは、意外なことにちゃんとした女物のワンピースだった。


「……ちょっと、丈が短い」


 サイズが一回り小さいのか、スカートの裾が太もも辺りまでしかない。それにかなり古いものなのか、そですそには裁縫のほつれが目立った。

 とはいえ、今のレイミアは贅沢ぜいたくを言える身分ではないし、我慢できないほどではなかった。

 そうして、寝巻に着替え終えたレイミアがダイニングに戻ると、サクラはテーブルの上に缶詰をいくつも並べているところだった。

 無言で手を動かす彼と目が合い、先ほどの妄想が再燃したレイミアはさっと顔を横にらす。


「あの、ええと……できれば優しくお願いします」

「やっと出たか。じゃあ、次はメシだな」

「メシ……ああ、ご飯」


 その言葉が脳に響いた瞬間、レイミアは自分がもう丸一日以上何も食べていないことを思い出した。

 恐怖や混乱、不安と考えごとばかりで全く気付かなかったが、胃のなかはもう完全に空っぽだ。しかも、脳がそれをちゃんと認識してしまったせいか、空腹は飢餓きが感にまで昇華され、一気にレイミアの思考と欲求を埋め尽くした。


「流石に今日は作る暇もねぇから、缶詰そのままだが……」

「私も食べていいんですか!」

「ただし一人一個だ。ほら、好きなの選べ」

「……え?」


 テーブルにズラリと並んだ様々な種類の缶詰を前にして、レイミアは突然立ち尽くしてしまった。食事に目を輝かせていたさっきまでとのあまりに急激な変化に、サクラは目を細めていぶかしむ。


「どうしたよ? まさか一個じゃ満足できない、とか抜かす気か?」

「あ、ええと……私はどれを食べればいいんでしょう?」

「はあ? いや、好きに選べって言っただろ」


 豆、肉、野菜に魚。テーブルの上に並ぶ缶詰は種類豊富で、露骨なハズレというものはなさそうに見える。だからこそ、レイミアは選べなかった。


「どれが正しいのか、わかんなくて……ゴメンなさい」

「あぁ! もう面倒くせぇな! じゃあ、これでも食ってろ!」


 いつまでも視線をテーブルの上で泳がせ続けるレイミアにしびれを切らし、サクラはその中の一つを掴んで彼女の前に押しつけた。


「ったく……海底じゃ何食って生きてたんだよ、お前は」

「ええと、コーラルだと、その日の栄養状態に合わせて配給食の内容が決まっていたので……地上だと、何を食べるか自分で考えないとダメなんですね」


 サクラとしては皮肉をぶつけたつもりだったようだが、レイミアはそれに気づかず、コーラルの食糧事情を説明するというズレた態度で返した。


「なんだ、それ……毎日三食、『企業』が食いものを用意してくれるのかよ?」

「そうですね……消費カロリーが少ない日は量が減ったり、病気の時は栄養が豊富なご飯だったり」

「そりゃまた、至れり尽くせりだ」


 サクラはコーラルと地上の生活の違いに呆れたように吐き捨てると、おもむろに立ち上がった。


「どこに行かれるんですか?」

「風呂だよ。俺が入ってる間にメシ食っておけ」


 彼は不愛想な表情を浮かべたまま、そう言ってそそくさとシャワールームに消えてしまった。




――――――――――――――――――――――

TIPS:

【コーラル】


『企業』によって管理、運営されている海底工業都市。

アーコロジーの一種であり、『企業』による厳格な管理社会が形成されているが、その結果、大気が汚染された世界においても人工的に生成された清浄な酸素と水が循環する環境が保たれている。


内部は第一区から第九十九区までが渦巻状に配置されており、中心にあたる第一区にはコーラルを運営する企業本社が存在する。


コーラルは【七大企業】がそれぞれ一つずつ所有しており、現在稼働しているコーラルの数も七つ。

コーラルの居住者は例外なく企業の役員、および従業員として登録されている。

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